新・人間革命
【「聖教新聞」平成23年12月20日(火)より転載】
http://m.seikyoonline.jp/
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共戦32(12/20)
日蓮大聖人は、極寒に身を責められ、食べる物も、着る物も乏しく、命をも狙われていた流罪の地・佐渡にあって、門下に宛てた御手紙に、こう記されている。
「流人なれども喜悦はかりなし」(御書一三六〇ページ)――それが、仏の大境涯であり、「絶対的幸福」の発露であろう。
初代会長・牧口常三郎もまた、軍部政府の弾圧によって獄に繋がれながら、看守を折伏し、取り調べの場で価値論を説き、家族らに励ましと指導の葉書を送り続けている。
その葉書には、「何の不安もない」(注1)とある。また、検閲によって削除されているが、「心一つで地獄にも楽しみがあります」(注2)とも記されている。
幸福は、最終的には、環境条件によって決定づけられるのではない。
幸福は、どこにあるのか。自身の胸中にあるのだ。心の宮殿のなかにあるのだ。その宮殿の扉を開けるカギこそが、信心なのである。
山本伸一は、話を続けた。
「人生の総仕上げにあたっては、生老病死など、無常の現象をありのままに見つめ、その奥底を貫く常住不変の妙法に則り、一途に絶対的幸福境涯の確立をめざしてください。
豊かな『心の財』を得た幸福境涯というのは、内面的なものですが、それは、表情にも、言動にも、人格にも表れます。
その言動には、感謝と歓喜と確信があふれるものです。そして、思いやりに富み、自分の我を貫くのではなく、皆のために尽くそうという慈愛と気遣いがあります。さらに、人びとの心を包み込むような、柔和で、朗らかな笑顔があるものです。
また、幾つになっても、向上、前進の息吹があり、生命の躍動感があります。ゆえに、大聖人が『年は・わか(若)うなり』(同一一三五ページ)と仰せのように、若々しさを感じさせます。
一方、愚痴、文句、不平、不満、嫉妬、恨みごとばかりの人もいます。それは、自分の不幸を表明しているだけでなく、ますます自分の不幸を増幅させていきます」
【「聖教新聞」平成23年12月20日(火)より転載】
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共戦32(12/20)
日蓮大聖人は、極寒に身を責められ、食べる物も、着る物も乏しく、命をも狙われていた流罪の地・佐渡にあって、門下に宛てた御手紙に、こう記されている。
「流人なれども喜悦はかりなし」(御書一三六〇ページ)――それが、仏の大境涯であり、「絶対的幸福」の発露であろう。
初代会長・牧口常三郎もまた、軍部政府の弾圧によって獄に繋がれながら、看守を折伏し、取り調べの場で価値論を説き、家族らに励ましと指導の葉書を送り続けている。
その葉書には、「何の不安もない」(注1)とある。また、検閲によって削除されているが、「心一つで地獄にも楽しみがあります」(注2)とも記されている。
幸福は、最終的には、環境条件によって決定づけられるのではない。
幸福は、どこにあるのか。自身の胸中にあるのだ。心の宮殿のなかにあるのだ。その宮殿の扉を開けるカギこそが、信心なのである。
山本伸一は、話を続けた。
「人生の総仕上げにあたっては、生老病死など、無常の現象をありのままに見つめ、その奥底を貫く常住不変の妙法に則り、一途に絶対的幸福境涯の確立をめざしてください。
豊かな『心の財』を得た幸福境涯というのは、内面的なものですが、それは、表情にも、言動にも、人格にも表れます。
その言動には、感謝と歓喜と確信があふれるものです。そして、思いやりに富み、自分の我を貫くのではなく、皆のために尽くそうという慈愛と気遣いがあります。さらに、人びとの心を包み込むような、柔和で、朗らかな笑顔があるものです。
また、幾つになっても、向上、前進の息吹があり、生命の躍動感があります。ゆえに、大聖人が『年は・わか(若)うなり』(同一一三五ページ)と仰せのように、若々しさを感じさせます。
一方、愚痴、文句、不平、不満、嫉妬、恨みごとばかりの人もいます。それは、自分の不幸を表明しているだけでなく、ますます自分の不幸を増幅させていきます」