ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

縄文ノート178 「西アフリカ文明」の地からやってきたY染色体D型日本列島人 4/4

2023-09-16 11:37:13 | 縄文文明

5 西アフリカで「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典(マザーランド・フェスティバル、バースランド・フェスティバル)」を

⑴ 海人(あま)族と山人(やまと)族~日本列島への移動ルート

 Y染色体亜型、言語(言語構造、倭音倭語、農耕・食物語、宗教語、性器語)、食物・食文化(イモ・イネ・雑穀、モチモチ・ネバネバ食、ソバ・豆)、霊(ひ)宗教の総合的な分析から、Y染色体D型人はニジェール川流域の「西アフリカ熱帯雨林」で誕生し、ヒョウタンなどを持ってコンゴ川を遡り、東アフリカ湖水地方に移住し、アフリカの角(ソマリアとエチオピア)から中央・南・東南アジアを通り、Y染色体O型人と交わり「海・海辺の道」を通って竹筏と丸木舟で日本列島にやってくるとともに、Y染色体D型人の一部は東インド・ミャンマー高地からチベットを経てモンゴル・シベリアを経由して北海道に渡り、日本列島人で合流したと結論づけました。―縄文ノート66 竹筏と「ノアの箱筏」(210405・6)、「63 3万年前の航海実験からグレートジャーニー航海実験へ」(210324)、「152 朝鮮ルート、黒潮ルートか、シベリアルート、長江ルートか?」(220918)参照

 以上の分析から、縄文人は海人(あま)族(漁労・水辺栽培民)と山人(やまと)族(狩猟・焼畑民)の2つの文化を持って日本列島にやってきたと考えます。

 縄文人の海人(あま)性としては、琉球から北海道にかけて貝輪とヒスイ(霊吸い)、黒曜石の交易(妻問夫招婚の贈物)の交易を行い、さらに朝鮮半島・シベリアとも黒曜石交易は広がり、丸木舟を作る丸ノミ石斧は東南アジアから琉球・九州に分布し、曽畑式土器もまた琉球から九州、朝鮮半島南部へと交流や往来があったことを示しています。―縄文ノート「27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」(200729→1216)、「144 琉球の黒曜石・ヒスイ・ソバ・ちむどんどん」(220627)、「161 『海人族旧石器・縄文遺跡群』の世界遺産登録メモ」(230226)参照 

 この海人(あま)族のルーツは西アフリカのニジェール川流域と海岸で半身浴(Half body swimming)により魚介類やカエル・ヘビ・トカゲ・ワニなどを食べていた人類誕生から始まり、さらにコンゴ川を遡り東部湖水地方で暮らし、神山天神信仰や銛・黒曜石文化を携え、インド洋から東南アジアの海岸・河川で水芋(里芋)や水稲の水辺農耕を行い、霊(ひ:pee)信仰や性器信仰、龍神(トカゲ龍)信仰を育み、竹筏と丸木舟で日本列島に移動したと考えられます。

 一方、東インド・ミャンマー・タイ・ラオス・雲南高地の照葉樹林帯に移動した山人(やまと)族は、イモ・ソバ・マメなどの焼畑農耕や寒冷地に適した温帯ジャポニカを育てるとともに、イモもちや米もち、納豆などの「モチモチ・ネバネバ食文化」や神山天神の霊(ひ)信仰を育みます。

 両者は西インド・ミャンマーで交流・交易を続け、共同で東南アジアから日本列島へ竹筏と丸木舟でやってきたと考えれ、縄文人はこの海人族と山人族の両方の文化を受け継ぎ、それが古事記の海幸彦(漁師:海人)と山幸彦(猟師:山人)の兄弟部族の対立と共同の歴史に反映したと考えられます。

 私はスサノオ・大国主一族の米鉄交易による建国から縄文社会研究に入ったため、縄文人の海人族性に注目して分析してきましたが、Y染色体D型人の照葉樹林帯文化や焼畑農耕、長野県和田峠・星糞峠や福島県高原山の黒曜石原産地遺跡などを検討するようになり、縄文人は海人族と山人族からなると考えを変えるに至りました。―縄文ノート「44 神名火山(神那霊山)信仰と黒曜石」(201014→210120)、「67 海人(あま)か山人(やまと)か?」(210409)参照

 なお、縄文遺跡が東日本に多いことから、縄文人北方起源説がみられますが、全国各地で地域計画や都市計画をやってきた私の経験からみれば、この説は西日本において縄文遺跡が市街化によって埋もれた可能性を無視した非科学的な説と言わざるをえません。

 縄文海人族が暮らした海辺は現在の漁村集落となり、縄文山人族が暮らした西日本の川沿いの丘陵部では市街化が進んでいるのです。市町村の土地利用計画で新たに住宅地・工業団地の適地を探すとそこにはだいたい縄文遺跡の上に弥生遺跡があって開発ができなかった経験からみて、縄文人にとって居住条件のいいところは古代から中世、近世・近代にかけて宅地として継続されていたに違いないのです。

 発掘された遺跡・遺物だけからの判断は、考古学者の侵しがちなタダモノ(唯物)主義の「サンプル誤差」と言わざるをえません。

 出雲から金属器が発見されていないことから出雲を未開の地として出雲神話を後世の創作と決めつけた考古学・歴史学は、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡により出雲が日本最大の青銅器の集積地であったことによりひっくり返ったにも関わらず、なんらの反省もなくスサノオ・大国主建国史をいまだに認めず、大和中心史観・天皇中心史観を振り回しています。そのタダモノ(唯物)主義の「建国史ねつ造」の批判・反省のないままに、「縄文東日本中心説」「縄文人北方起源説」がまかり通っていますが、そろそろ卒業してはどうでしょうか? ―縄文ノート「27 縄文の『塩の道』『黒曜石産業』考」(200729→1216)、「117 縄文社会論の通説対筆者説」(220107) 

 

 

⑵ 「Y染色体亜型アフリカ単一起源説」か「メソポタミア中継分岐説」か?

 さらにY染色体D型・O型の縄文人のアフリカからの移動の歴史を辿ると、西欧中心史観(白人中心史観、肉食進歩史観)や中華中心史観(揚子江流域稲作起源説、中国からのY染色体C型・O型拡散説)のインチキが浮かび上がってきます。

 いずれも、西欧人も中国人もアフリカの黒人がルーツであることから歴史を明らかにしようとしていない傾向です。西欧中心史観はユダヤ人の旧約聖書の影響やアフリカ・アジア植民地支配正当化の意識から、人類誕生をメソポタミアあたりから論じたり、人類進歩図を石先槍を持った白人男性像で描き、人類進歩を武器と征服戦争で論じ、中華中心史観は揚子江流域で温帯ジャポニカから熱帯ジャポニカ・インディカが生じた、中国からアジアにY染色体C型・O型人が拡散した、中国人から日本人が派生したなどとする説も見られます。―縄文ノート「68 旧石器人・中石器人は黒人」(210410)、「71 古代奴隷制社会論」(210429)参照

 また神がアダムとイブを創ったとするチグリス・ユーフラテス川沿いの「エデンの園」を人類誕生の地としたい旧約聖書教の影響を受け、メソポタミアの地でF型から北のトルコへG・I・J・R型が、東へN・O・Q型が分岐したという説(崎谷満;図50、Ⅾ型・E型のルーツを東アフリカに置いている)が見られます。

 このような「人類進化メソポタミア中継分岐説」に対して、C型から分岐したY染色体D型・O型の日本列島人やj型・I型、R型などのアフリカからの移動からみて、図51に示すように私はアフリカにおいて人類の基本的な脳力・言語・食・文化・宗教の原型は完成し、その後に中東、南・東南・東アジア、ヨーロッパへ移動したと考える「人類進化アフリカ起源説」です。

 Y染色体D型がナイジェリアで3人見つかっていることからみても、今後、分析がアフリカで進めば、C型・F型・K型・P型・Q型・N型などもアフリカで見つかる可能性があると考えます。

 

⑶ 西アフリカで「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典」を!

 今、アメリカを中心とした欧米中心の経済・政治・軍事のグローバリゼーションに対抗し、ロシアや中国、トルコ、イランなど、各国ではそれぞれの歴史的アイデンティティを過去の最大の帝国版図に求める帝国復古主義者や「神の国」建国を求める旧約聖書原理主義者などの動きとともに、旧植民地国では「グローバルサウス」の連帯が生まれてきています。

 このような時こそ、どの民族も元をたどればアフリカ黒人のDNA・言語・食・文化・宗教をルーツとしているという人類史の原点に立ち返り、「アフリカン・ファースト:もとはみんな黒人であった」という「DNA・言語・食・文化・宗教のグローバリゼーション」から未来を考えるべきではないでしょうか? 自然・いのちをなによりも大事にする共通価値感の形成に向けて人類誕生からの歴史から学ぶべきと考えます。

 大西洋奴隷貿易により西アフリカの奴隷海岸などからアメリカ大陸に売り飛ばされて強制労働させられた黒人は1200~300万人とされており、その多くは殺されたもののアメリカ合衆国にはアフリカ系黒人が約3900万人(12%)、ブラジルには黒人系1600万人・混血10900万人、ハイチにはアフリカ系1050万人・混血50万人、ドミニカにはアフリカ系80万人・混血560万人、キューバには220万人、アルゼンチンには黒人5万人・アフリカ系200万人などざっと7000万人以上のY染色体E型人がおり、中には日本人に多いY染色体D型人も含まれる可能性が高いと考えます。

 父親がベナン人の八村塁バスケ選手や父親がベナン人のサニブラウン短距離走選手、父親がハイチ系アメリカ人の大阪なおみテニス選手、父親がジャマイカ系アメリカ人のハリス米副大統領、タレントのボビー・オロゴンさん(ナイジェリア出身)、オスマン・サンコンさん(ギニア出身)、父親がアフリカ系アメリカ人の副島淳さんなど、西アフリカのY染色体E型人をルーツとしている人達に親近感を感じずにはおれません。

 特に西アフリカから東に進んだY染色体D型縄文人と、西アフリカからアメリカ大陸に連行されたY染色体E型奴隷の子孫(奴隷海岸から運ばれた人の中にはD型人が混じっている可能性あり)のうち日本にやってきた人たちが数万年の歴史をへて日本列島で出会った、という地球一周の壮大なドラマを追究したくなってきています。

 アメリカでは進化論を信じない人が4割と言われていますが、DNA的に兄弟といっていい東に進んだⅮ型人と西に進んだE型人(中にはD型人も)の日本列島での出会いは、旧約聖書の迷信を打破するいいきっかけになると考えます。アレックス・ヘイリーの『ルーツ』のように、このようなテーマに取り組んでもいいというアメリカ大陸から日本にやってきた黒人あるいはハーフの方をご存じでしたら是非、話してみて下さい。

 「縄文ノート76 オリンピックより「命(DNA)の祭典」をアフリカで!」(210527)で私は提案しましたが、人種差別・民族紛争・宗教対立を乗り越えるために、国連が主導して西アフリカにおいて世界平和に向けて「命(DNA)の祭典」「人類誕生の祭典(マザーランド・フェスティバル、バースランド・フェスティバル)」を開催すべきではないでしょうか? オリンピックや万博など競争の祭典ではなく、世界の人種・民族のルーツの共通性を確認する祭典です。

 Y染色体D型・O型の日本列島人のアフリカからの歴史解明はその先駆けとなるべきであり、若い世代の総合的な国際的な研究を期待したいと思います。

 わが国は縄文人のDNA・文化から、西・中央部・北アフリカ諸国・インド・東南アジア諸国やアメリカ大陸の黒人との交流・連携を深めるとともに、特に、スサノオ・大国主建国、大和朝廷からの朝鮮・中国との交易・交流・連携の歴史を大事にし、格差・分断・対立・戦争を乗り越える世界平和の実現に寄与すべきと考えます。

 

 

 

 

 

 

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