ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

倭語論2  倭流漢字用法の「倭音・呉音・漢音」について

2020-01-24 19:36:30 | 倭語論
 「日」は倭音では「ひ」、呉音では「ニチ」、漢音では「ジツ」で、「本」は倭音では「もと」、呉音・漢音では「ホン」です。「JAPAN」は漢音の「ジツホン」からきていると考えられ、「ニッポン!ニッポン!」は呉音での応援になります。
 平安時代には「ひのもと」と発音されていましたが、さらに古い倭音では「ひなもと」と発音されていた可能性があることは、「な=ぬ=の」の用例から、『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(第2版:雛元昌弘著者名)、『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(梓書院:日向勤ペンネーム)などで詳しく説明しています。
 また、「一(壱、壹)」は倭音「ひと、ひ」、呉音では「イチ」、漢音では「イツ」です。邪馬壹国か邪馬臺(台)国か、という論争がありますが、邪馬壹国は呉音で「やまいちこく」ではなく、倭音で「やまのひのくに」「やまのいのくに」(ふぃ=ひ、い)と読むべきというのが私の説です。古事記・日本書紀などは呉音・漢音ではなく倭音で分析すべきであると私は考えています(詳しくは『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』)。
 私たちは倭音・呉音・漢音を特に意識することなく毎日使っていますが、日本語が中国や東南アジアの「主語-動詞-目的語」言語ではなく、「主語-目的語-動詞」言語を維持し続けたことから考えると、旧石器3万年・縄文1万年の歴史を受け継ぐ倭語・倭音が最も古く、その上に呉音、最後に漢音が入ってきたと考えられます。
 ここから日本民族のいくつかの特徴が浮かび上がります。
 第1は、旧石器時代から多くの民族を日本列島は受け入れながら、台湾やフィリピン、インドネシアのように、多DNA・多言語・多文化国にならず、活発に交流・交易・婚姻を行い、1万年の縄文時代から多DNAの単一言語・文化国になっていた可能性が高いことです。はやりの言葉で使えば、「縄文社会はダイバーシティた」(縄文社会は多様性社会)、多民族の「ワンチーム」だったのです。
 第2は、漢字をはじめとする中国文化の影響を受けながら、「主-目-動」言語構造を変えることなく、倭音・呉音・漢音を併用し、万葉仮名・片仮名・平仮名にみられる倭流漢字用法を確立して、豊かな表現力(言葉遊びを含む)を持った独自の言語文化、詩歌文化を作ってきたことです。「二二」と書いて「し」と読ませた古代人は、「39」とかいて「サンキュウ」と読ませる現代人の言葉遣いに生きています。独自性と受容性、創造性という文化的な特質です。
 第3は、「主-目-動」言語構造の維持と倭音・呉音・漢音の併用からみて、弥生人による縄文人征服説が成立しないことです。もしも中国大陸長江流域からからの弥生人征服があったなら、イギリスのようにケルト語(アイルランド語やウェールズ語、スコットランド語など「動詞―主語―目的語」言語構造)とゲルマン民族のイングランド語の「主語―動詞―目的語」言語構造の関係のように、わが国でも主要な言語は「主語―動詞―目的語」に変わったに違いありません。
 軍国主義・拝外主義の「外発的発展史観」「被征服史観」から、内発的自立発展史観への見直しが必要と考えます。
 国際社会においてわが国が尊敬を勝ち取ろうと考えるなら、アメリカや中国のように「経済的・軍事的超大国」を目指すのではなく、縄文1万年の歴史から続く「多様性、独自性、受容性、創造性、内発的発展性」の文化こそ伸ばすべきと考えます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 倭語論1 平和について | トップ | 倭語論3 「主語-目的語-... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

倭語論」カテゴリの最新記事