ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団65 「委奴国王」は「ひな国王」?

2009-09-13 16:34:50 | 歴史小説
「漢委奴国王」の金印(ウィキペディアより)


●ヒメ 22:39
「委奴国」を「ひな国」説と読む根拠はあるの?

●ボク 22:40
通説は「委」は「倭」の略字で、「委奴国」は「倭の奴国」で、奴(な)国の事と考えられています。奴国は、後の儺県(なのあがた)、博多付近の国とされています。
他に、「いと国」と読み、「伊都国」にあてる説などがあります。

●ヒナ 22:42 
『後漢書』では「建武中元二年 倭奴国奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭国之極南界也 光武賜以印綬」と記載されています。
これによれば、「委奴国」は「倭奴国」で、「倭国」とは書き分けられています。「倭の奴国」ではなく「委奴国=倭奴国」という国名であったと考えられます。

●ヒメ 22:45
「委奴国=倭奴国」は、どう読むのかしら?

●ボク 22:46
「委奴国」なら「いな国」、「倭奴国」なら「わな国」「わの国」ではないでしょうか?

●ヒナ 22:47
日向説は、「委奴国」を当時の古音から「ひな国」と読める、という説を紹介しています。
戦前の教科書で「あかひ あかひ あさひはあかひ」と書かれていたように、「い」と「ひ」は同じような発音で後漢側に伝えられ、「委奴国」は「いな国」「ひな国」であった可能性があります。

●マル 22:50
記紀神話のアマテラス・スサノオ物語が、「筑紫の日向(ひな)」を舞台にしていることと合うわよね。

●カントク 22:51
新唐書は、天皇家の祖先は「天御中主から至彦瀲(ひこなぎさ)まで、およそ三十二世、皆、尊(みこと)を号として、筑紫城に居す」と伝えておる。「筑紫の日向(ひな)」、現在の旧甘木市の「ひな城」に「委奴(ひな)国」の城があったのではないかな。

●ヒナ 22:54 
李巡(倭国の大乱の頃の漢の高官)が『爾雅』の注釈で、「夷に九つの種がある。・・・八に倭人、九に天鄙」と書いています。「天鄙」の「鄙(ひ)」はわが国では「ひな」と読んでいます。

●ボク 22:54 
『後漢書』には「倭奴国」と「倭国」が書かれていて、「委奴国」とは書かれていませんよね。

●ヒナ 22:55 
2つの可能性があります。もとは「委奴国」と「倭国」に書き分けられていたものが、後世に「委(い、ひ)」を「倭(わ)」の誤りと考えて「倭奴国」に書き換えた可能性が1つです。もう1つは、「委」=「倭」=「い、ひ」であった可能性です。

●カントク 22:58 
「新唐書」は「遣使は高麗平定を賀す。やや後に夏音を習い、倭名を悪い意味と知り、日本の号に変えた」と伝えておる。
倭は夏音で「わ(背が丸く曲がって低い)」と呼ばれる以前には、「い、ひ(従順な人)」と呼ばれていて悪い意味ではなかった、と考えられないかな。

●ヒメ 23:01
いつもいいところで、時間切れです。来週末は姫路でミーティングですから、続きはすぐに議論したいなあ。ボクちゃん、日程調整よろしくね。皆さん、お休みなさい。

●ボク 23:03
皆さん、明日からの数日で、ご都合のいい日をメール下さい。お休みなさい。



●ボク 10月4日(日)8:00
おはようございます。今日は野外に出かけたくなるというか、いい洗濯日和ですね。
皆さんの希望日は、なんと、今夜でした。「ネバー・オン・サンデー」というビデオを見たことがありますが(マニアックでしょ)、「フィーバー・オン・サンデー」ですかね。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

にほんブログ村 小説ブログへ,にほんブログ村 小説ブログ ミステリー・推理小説へ,にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ,ブログランキング・にほんブログ村へ