ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団66 スサノオは「揖屋王」か「日向王」か?

2009-09-19 14:34:46 | 歴史小説
黄泉比良坂があったとされる揖屋の揖屋神社(島根県東出雲町)

●ヒメ 19:00
日曜の夜のミーティング、ごめんなさい。スサノオは「出雲のイヤ王」か「筑紫のヒナ王」か、どうしても1週間、待てなかったの。

●カントク 19:02
ヒメ、ひょっとして娘に裏切られる「リヤ王」と「イヤ王」をかけてない?

●ヒメ 19:03
娘は父親を裏切り、愛する男をとるに決まっています。スセリ媛は、父スサノオの「生太刀と生弓矢と天の詔琴」を愛する大国主と奪い、揖屋の黄泉比良坂に逃げます。王権と宗教の印、この2つを奪うんだから、日本版「リヤ王」物語よね。

●マル 19:05
スサノオと大国主って、6代離れていたよね?

●ヒナ 19:06
スサノオから「八嶋士奴美神―布波能母遲久奴須奴神―深淵之水夜禮花神―淤美豆奴神―天之冬衣神―大国主神」と続いていますから、このスサノオは「6代目スサノオ」の天之冬衣神のことではないでしょうか?

●ボク 19:08
天之冬衣神と大国主神は親子じゃあないの?

●ヒナ 19:09
大国主は天之冬衣神と刺国大神の子の刺国若比売との間にできた子、と書かれていますが、一方、スサノオの娘の須世理毘売の夫とも書かれています。
天之冬衣神の子どもではなくて、王位継承権のない、別のスサノオ一族の王子だったのではないでしょうか?あるいは、天之冬衣神の子どもで、王位継承順位の低い、傍系の王子だったのかもしれません。

●マル 19:12
そうすると、スサノオ6代目の天之冬衣神の娘、王位継承権のある須世理毘売とは、従兄弟か異母妹との結婚ということになるわよね。「大国主逆玉伝説」というわけね。

●ヒナ 19:13
天皇家の例をみても、その可能性が高いと思います。

●ボク 19:14 
すみません、話を元に戻して昨日の続きに入りたいのですが、『後漢書』では「倭奴国」は「倭国」の一部であり、「倭奴国」は「倭国」の極南界にあった、と書かれています。これはどう解釈しますか?

●ヒナ 19:16
対馬や壱岐、九州北岸の国々、さらにその南の有明海北岸から筑後川に沿った国々、その全体を「倭国」と言い、有明海から筑後川にかけて「委奴(ひな)国」があったのではないでしょうか?
そうすると「倭国」の極南界は「委(倭)奴国」になります。

●マル 19:19
魏志倭人伝の「倭人国」と「邪馬台国」と、この「倭国」と「委奴国」の関係はそっくりじゃない。

●ヒメ 19:20 
スサノオは出雲の揖屋生まれ、アマテラスは「筑紫の日向」の卑弥呼からの創作、と整理してきたよね。ところが、「委奴国王」=「筑紫の日向(ひな)国王」が出雲の「スサノオ」というのは、矛盾していない?かなりヤバいよね。

●ボク 19:23
出雲のイヤ王=スサノオが、同時に、「倭国」の極南界の「夷奴国王」にはなりませんよね。

●カントク 19:24
まてまて、注意したはずじゃ。スサノオは、対馬をルーツとする通商部族じゃ。
各地に進出した天族のうち、出雲のスサノオが、韓郷、対馬、筑紫、瀬戸内海沿岸の国々と交易し、各地に拠点を築いて天族全体のリーダーとなった。そして、「委奴国王」の王位を奪い、後漢に使いを出したとは考えられないかな?

●マル 19:28 
逆に、スサノオはもともと「筑紫の日向」の「委奴国王」であったが失脚し、母・イヤナギの国、出雲に行き、出雲から吉備や播磨、讃岐、大和、木国などに勢力を拡大した、という可能性もあるわよ。

●ヒナ 19:30
記紀の記述だと、出雲のイヤナギが「筑紫の日向」の「委奴国」の王となり、その子のスサノオが「委奴国王」となった。しかし、権力争いに敗れ、「筑紫の日向」=「高天原」から出雲に追放された、となります。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
コメント
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