およそ1年ぶりに私をそそった広報紙のある記事。去年の11月号で縁が結ばれた中国。
そして、今回はモンゴル。
我が人類の発祥地と言われるアフリカと、蒙古斑を持つ私達黄色人種のふるさと(で
しょ?)モンゴルは、生存中に行きたい所。幼い頃よりの夢。
「オイ、レイコ。帰りたい帰りたいって、血が騒ぐだろう?」
って、いっつも従兄にからかわれてきた私なのよ。理由?
モンゴル人には美人はいない、って言われてるわね。美人がいたら、漢族の血か
コーカサイドの血が入ってるって。純粋モンゴル人には、所謂(いわゆる)美人はい
ないってね。それで、帰りたいだろう?ってことなのよ。
ええ、美人とは億光年も距離をおいてることは重々承知の私だから、
「そう、お兄ちゃん。帰って来い帰って来いって、呼ばれてるのよ」
「そうだよなぁ、お前は遊牧民、採取民族だよ。決して農耕民族じゃぁないよなぁ」
「ウン、モノに執着しないから、当たりかもね。モノに執着する人を見ると浅ましい
って感じるものねぇ」
いつだったか、前にも書いたけど、モンゴルの遊牧民(今や定住者もいっぱい)の
女性が、一生に持つ服は4枚ですって言ってるのを聴いた時、思わず
「羨ましい」
子どもの頃
「レイコは今日何回着替えたの?」
「たった3回よ」・・・着替えたを泣いたに変えても同じ。ええよく泣いたわね(蛇足)。
なんて言ってたことを覚えてるわ。そして今でも、絶対に人と同じ格好はしたくない!
って思ってる女なのにねえ。思わず羨ましいって言った自分に驚いたのよ。でも、確
かにそそられるものはないわねぇ、今現在の日本で。100か0の人間にとってはね・・・・・・。
易々(やすやす)と手に入るものなんか欲しくない。何もかもね。
それで、「モンゴル人と日本人」という講演会が我が区であったの。抽選だったけど、
区役所の大会議場で聴かれるって、ハナからそんなに集まらないってことだったんじゃ
ない?だから、多分抽選もなかったって思うわ。
それで、最前席は、お定まりのように空いてる。
本当に聴きたいって思うなら最前席でしょう。
日本人男性とうら若きすらりとした姿態のモンゴルのお嬢さん。美人さん。
男性は、経歴が凄い。外務省・世界銀行職員を経て、モンゴル支援NPO法人・世界相手
のコンサルタント業。
お嬢さんの方は、筑波大学院留学生で、モンゴルNGO「21世紀遊牧社会センター」職員。
ソ連崩壊後、モンゴルも市場経済へ移行。そこに起こる様々な問題。
でもでも、面積は日本のおよそ4倍。なのに、人口は50分の1。その人口を占める
20%の遊牧民は、最長1000キロの移動を年間にする。
ゲルは誰でも歓迎。たとえ留守でも鍵などかけない。勝手にどうぞ。入りました、の
書き置きや何かしらのお礼の金品を置いて立ち去る。
仏教が彼等の宗教。ラム(子羊)も子牛も殺さない(食べない)。
やっと火葬が取り入れられてきたけれど、ゴビの辺境では、地面に布で巻かれた死体
をそのまま置く。1週間余で死体がなくなっていれば成仏。まだあれば生前の行いが
悪かった証拠。鳥やオオカミが食べてしまうのでしょうね。都市部に近い所では掘っ
て埋める。
近年は、子ども達は親元を離れて寄宿舎生活ですって。10年間の学校生活のために。
厳しい自然環境の中で生き抜いてきた彼等のDNAは、集団生活を苦手として頼りは自
分自身。「今」が最優先。自然の中で生きてきた彼等が生きるために持った時間。
そんなモンゴルの民。涙ぐましい努力を払って、規則づくめの相撲社会で生きている
朝青龍、白鵬達って思ったわね。だけど、あの強さは、信じるものは自分、という揺
るぎなさから生まれたものだってわかったわ。
同じ蒙古斑をお尻に持つ私達だけど、対極にいるような存在よお互いは。
日本に来たことがない彼等でも、流暢に話す日本語ですって。キリル語に属するモン
ゴル語はロシア語と同じ。ロシア語の発音が出来なくて、只今棚の上に置いてしまっ
た私。それと同じ語族だったなんて。
お嬢さんが簡単な挨拶を披露してくれたけれど、全然・全く・一つも・ちらっとも
聞き取れなかった。ガックリ・・・日本語表記できない言語。
でも、だから、私は知りたい。言いたい。
彼女に参考書とあればCD,カセットを手配してって、厚かましくもお願いしちゃいま
した。
北京のモンチャンに
「レイコサンいらっしゃい」
って言われてるけど、どうせ行くならモンゴルにもって思ってたの。でも、どうやっ
て?ウ~~ン、なんとかならないかなあ、なんて考えてたの。最初はツアーに参加
するかなあ、なんてね。
まさか、モンゴル人と知り合いになれるなんて思いもしなかったから。
しかも、北京とウランバートル(モンゴルの首都)間は鉄道が通っていたのよ。
極寒の北京詣でになりそうかな?よ。
そのお嬢さんの名前が「パドラルザヤ」さん、通称「ザヤサン」ですって。
そのザヤサンは流暢な日本語を話す。
「是非来てください、案内しますから」
って。ザヤサンは京都人じゃないから、その言葉は信じていいと思うわ。
せめて、挨拶くらいはモンゴル語で言えなきゃねぇ、伺う国の挨拶語くらいは、ね?
ああ、でも言えるようになるかしらねぇ。
そんな話をケイコサンにしたのよ。
そうしたら、アラビア語も発音が難しい言語なんですって。でも彼女が知り合った
モロッコ人、来日したこともないのに、ダジャレまで言える独学の日本語。
母国語の発音が他言語の民族にとって難しければ難しいほど、外国語の習得能力は抜群
とみたわね。中国人も世界に散らばって、根を張ることが出来たのは、その言語習得術
によるところが大きいと思うわ。
日本語は唇の動きの言語だと思うけど、舌の動きがモノを言う言語にかかったらお手上
げね、日本人は。
英語のTH、R、は舌の動き。V、Fは歯。 に見られるように、舌や歯がものを言うです
ものねえ。日本語にはない。中国語も四声に翻弄されるし、「い」の口で「う」、
「う」の口で「い」だなんて発音もあったり。
スペイン語はそれに比べたら易しいわ。巻き舌はあるけど厳密じゃあない。
それでも、又新しい知り合いが出来たことは何より。しかも若い人がね。
ザヤサンはインテリ。もちろん英語もペラペラ。
これから、インターネットでチャンポン言葉でメール交換よ。
中身の濃い日曜日でした。
平日1時間に1本のバス。土日は運行されてなく、隣駅に近い区役所迄、往復歩きました。
どんな山奥に住んでるんだって?横浜の田舎ではあるけれど、普通の町です、因みに。
片道45分。エクササイズって思えばいいのよ。フ~~~、でも正直疲れたわ。帰って
きて、今度はマリリンのお散歩30分。私はマゾ趣味はないから、少し腹立たしかった
わね、なんでこんなに歩かなきゃいけないのよ!ってね。
グァテマラ、中国、モンゴルなんて所の人とタイムリーなやり取りができるなんて、
地球は小さく狭くなってきたわねぇ。
そして、今回はモンゴル。
我が人類の発祥地と言われるアフリカと、蒙古斑を持つ私達黄色人種のふるさと(で
しょ?)モンゴルは、生存中に行きたい所。幼い頃よりの夢。
「オイ、レイコ。帰りたい帰りたいって、血が騒ぐだろう?」
って、いっつも従兄にからかわれてきた私なのよ。理由?
モンゴル人には美人はいない、って言われてるわね。美人がいたら、漢族の血か
コーカサイドの血が入ってるって。純粋モンゴル人には、所謂(いわゆる)美人はい
ないってね。それで、帰りたいだろう?ってことなのよ。
ええ、美人とは億光年も距離をおいてることは重々承知の私だから、
「そう、お兄ちゃん。帰って来い帰って来いって、呼ばれてるのよ」
「そうだよなぁ、お前は遊牧民、採取民族だよ。決して農耕民族じゃぁないよなぁ」
「ウン、モノに執着しないから、当たりかもね。モノに執着する人を見ると浅ましい
って感じるものねぇ」
いつだったか、前にも書いたけど、モンゴルの遊牧民(今や定住者もいっぱい)の
女性が、一生に持つ服は4枚ですって言ってるのを聴いた時、思わず
「羨ましい」
子どもの頃
「レイコは今日何回着替えたの?」
「たった3回よ」・・・着替えたを泣いたに変えても同じ。ええよく泣いたわね(蛇足)。
なんて言ってたことを覚えてるわ。そして今でも、絶対に人と同じ格好はしたくない!
って思ってる女なのにねえ。思わず羨ましいって言った自分に驚いたのよ。でも、確
かにそそられるものはないわねぇ、今現在の日本で。100か0の人間にとってはね・・・・・・。
易々(やすやす)と手に入るものなんか欲しくない。何もかもね。
それで、「モンゴル人と日本人」という講演会が我が区であったの。抽選だったけど、
区役所の大会議場で聴かれるって、ハナからそんなに集まらないってことだったんじゃ
ない?だから、多分抽選もなかったって思うわ。
それで、最前席は、お定まりのように空いてる。
本当に聴きたいって思うなら最前席でしょう。
日本人男性とうら若きすらりとした姿態のモンゴルのお嬢さん。美人さん。
男性は、経歴が凄い。外務省・世界銀行職員を経て、モンゴル支援NPO法人・世界相手
のコンサルタント業。
お嬢さんの方は、筑波大学院留学生で、モンゴルNGO「21世紀遊牧社会センター」職員。
ソ連崩壊後、モンゴルも市場経済へ移行。そこに起こる様々な問題。
でもでも、面積は日本のおよそ4倍。なのに、人口は50分の1。その人口を占める
20%の遊牧民は、最長1000キロの移動を年間にする。
ゲルは誰でも歓迎。たとえ留守でも鍵などかけない。勝手にどうぞ。入りました、の
書き置きや何かしらのお礼の金品を置いて立ち去る。
仏教が彼等の宗教。ラム(子羊)も子牛も殺さない(食べない)。
やっと火葬が取り入れられてきたけれど、ゴビの辺境では、地面に布で巻かれた死体
をそのまま置く。1週間余で死体がなくなっていれば成仏。まだあれば生前の行いが
悪かった証拠。鳥やオオカミが食べてしまうのでしょうね。都市部に近い所では掘っ
て埋める。
近年は、子ども達は親元を離れて寄宿舎生活ですって。10年間の学校生活のために。
厳しい自然環境の中で生き抜いてきた彼等のDNAは、集団生活を苦手として頼りは自
分自身。「今」が最優先。自然の中で生きてきた彼等が生きるために持った時間。
そんなモンゴルの民。涙ぐましい努力を払って、規則づくめの相撲社会で生きている
朝青龍、白鵬達って思ったわね。だけど、あの強さは、信じるものは自分、という揺
るぎなさから生まれたものだってわかったわ。
同じ蒙古斑をお尻に持つ私達だけど、対極にいるような存在よお互いは。
日本に来たことがない彼等でも、流暢に話す日本語ですって。キリル語に属するモン
ゴル語はロシア語と同じ。ロシア語の発音が出来なくて、只今棚の上に置いてしまっ
た私。それと同じ語族だったなんて。
お嬢さんが簡単な挨拶を披露してくれたけれど、全然・全く・一つも・ちらっとも
聞き取れなかった。ガックリ・・・日本語表記できない言語。
でも、だから、私は知りたい。言いたい。
彼女に参考書とあればCD,カセットを手配してって、厚かましくもお願いしちゃいま
した。
北京のモンチャンに
「レイコサンいらっしゃい」
って言われてるけど、どうせ行くならモンゴルにもって思ってたの。でも、どうやっ
て?ウ~~ン、なんとかならないかなあ、なんて考えてたの。最初はツアーに参加
するかなあ、なんてね。
まさか、モンゴル人と知り合いになれるなんて思いもしなかったから。
しかも、北京とウランバートル(モンゴルの首都)間は鉄道が通っていたのよ。
極寒の北京詣でになりそうかな?よ。
そのお嬢さんの名前が「パドラルザヤ」さん、通称「ザヤサン」ですって。
そのザヤサンは流暢な日本語を話す。
「是非来てください、案内しますから」
って。ザヤサンは京都人じゃないから、その言葉は信じていいと思うわ。
せめて、挨拶くらいはモンゴル語で言えなきゃねぇ、伺う国の挨拶語くらいは、ね?
ああ、でも言えるようになるかしらねぇ。
そんな話をケイコサンにしたのよ。
そうしたら、アラビア語も発音が難しい言語なんですって。でも彼女が知り合った
モロッコ人、来日したこともないのに、ダジャレまで言える独学の日本語。
母国語の発音が他言語の民族にとって難しければ難しいほど、外国語の習得能力は抜群
とみたわね。中国人も世界に散らばって、根を張ることが出来たのは、その言語習得術
によるところが大きいと思うわ。
日本語は唇の動きの言語だと思うけど、舌の動きがモノを言う言語にかかったらお手上
げね、日本人は。
英語のTH、R、は舌の動き。V、Fは歯。 に見られるように、舌や歯がものを言うです
ものねえ。日本語にはない。中国語も四声に翻弄されるし、「い」の口で「う」、
「う」の口で「い」だなんて発音もあったり。
スペイン語はそれに比べたら易しいわ。巻き舌はあるけど厳密じゃあない。
それでも、又新しい知り合いが出来たことは何より。しかも若い人がね。
ザヤサンはインテリ。もちろん英語もペラペラ。
これから、インターネットでチャンポン言葉でメール交換よ。
中身の濃い日曜日でした。
平日1時間に1本のバス。土日は運行されてなく、隣駅に近い区役所迄、往復歩きました。
どんな山奥に住んでるんだって?横浜の田舎ではあるけれど、普通の町です、因みに。
片道45分。エクササイズって思えばいいのよ。フ~~~、でも正直疲れたわ。帰って
きて、今度はマリリンのお散歩30分。私はマゾ趣味はないから、少し腹立たしかった
わね、なんでこんなに歩かなきゃいけないのよ!ってね。
グァテマラ、中国、モンゴルなんて所の人とタイムリーなやり取りができるなんて、
地球は小さく狭くなってきたわねぇ。