この5年で、私は日々の幸せが増幅しているのを感じています。
やっと5才。そう、家族には別れがくるかも、って。奇跡がおきて車椅子ですね、
っておっしゃったお医者様の予測を無視、木っ端微塵に砕いて、私は、私の人生
を歩いて、・・・ な~んて幸せなのかしらって思う日々なのです。
だって、四季は日本の季節を私に教えてくれて、毎日ちゃんとお食事が出来て、
お金の心配は一切なく(関わらない幸せ)て、愚息その①、ウチの宇宙人、馬専科
の3人の息子達は健やかに日々を暮らしているようだし、本に埋まって、時に絵筆
を持ち、怪しげな(そのものはまっとう)2カ国語といちゃついて、知りた~~い!
の欲求を、お気に召すままどうぞ! の環境にいられる私は、感謝こそあれ不平不
満なんて、これっぽちもないのです。だって、2回も人生を味わえるなんて、こん
な幸福な事を味わえるなんてね。
ですから、
その日、私は命の恩人にメールを出すのです必ず。
♪Happy birthday to me,happy birthday to me ♪って。
毎年、その日に、1才、2才、3才、4才になりましたって。そして、今年は5才に
なりました。今日、ここに生きているのは先生のお蔭ですって。間違いのない事実
なのですから。そして、私は、私が生き続ける限り、感謝の言葉を先生に送ります。
ありがとうの言葉には、期限なんてないのです。何回言ったからもういいのよ、な
んて思う人は、ありがとうの意味を知らない人だと思うのです。可哀想に・・・・。
2回の開頭手術。くも膜下出血で失神。救急車で運ばれての緊急手術と、予防のた
めのそれの。
その後何も後遺症はなかったかって? 大ありだったのよ。色々とね。
その中でも、両手が使えなくなって、少しでも動かそうとする時に起こるその激痛
は、例えようもないほどにね。気持ちは落ち込むし、ええ、セニョールに、なんで
助けたのよ~!って。
どれほどの病院その他に行ったかしら?いいと言われることは全部やってみて、一
向に改善しない心身に、苦しみぬいて辿り着いた所は「自分自身」だったのよ。
ええ、私は私に心から謝ったのよ。
「ごめんなさい」って。なぜ?
自分自身を信じない人間に、その機能がフル活動なんかしないって。
そうでしょう? ぜ~んぶ、自分以外の人がなんとかしてくれる、なんて、そんな
馬鹿な話はないってことに気が付いたのよ。
さあ、ここからの私は、強い強い決意をしたのです。今までの自分自身に対しての
贖罪の気持ちを込めてね。
『今後、どんなことがわが身に起ころうとも、それに踊らされない、自分の可能性、
力を信じきるのよ。全ての悪しき事は、針の先ほども頭の中には住まわせない事』
『死ぬまで、お医者様であろうと、私の身体に触ることはない。そういう事態にな
らないのよ、わかった?』って。
今?まあチョコチョコ不具合も起こることもあるけれど、無視!不愉快、不快なこ
とは、「さっさと、どこかに行っておしまい!付き合う気も、暇もないのよ!」
ええ、そんな大病をしたなんて、ケほども感じさせないし、病気を、身体の変調を
売りにするような愚かしさはないつもりよ。不調を口外はしない。人を不愉快にさ
せる権利はないって。でも、人の不幸話を、薄ら笑いをして聞きたがる恐ろしい心
の持ち主もいるけどね。そう、人の不幸は蜜の味って、あれ。
そういう人は、不幸になるのよ。
情けは人のためならずの反対ね。回りまわって、己にふりかかる。
そういう人と近しくなってはいけないのよ。
正に『友は選べ』『類は類を呼ぶ・・・同じ仲間が集まる』だからね。
それで?
まあ、オツムの中身は
元々大した機能はなしだったから、そこは差し引いても、言う事なしの私よ。
想像・創造が大好きだし、活字があれば、そうねえ、やっぱりALL or NOTHING人
間だから、今のところな~んにも不足はないわ。日々は、セニョール・ダンのお陰
で生きていられる。額に汗して、日々の糧を得なくてもいいとういう幸せ。浮世の
事に煩わされずに生きられるなんて、ねえ。幸福者よ私は。
そんなお誕生日を迎えたのでした。
やっと5才。そう、家族には別れがくるかも、って。奇跡がおきて車椅子ですね、
っておっしゃったお医者様の予測を無視、木っ端微塵に砕いて、私は、私の人生
を歩いて、・・・ な~んて幸せなのかしらって思う日々なのです。
だって、四季は日本の季節を私に教えてくれて、毎日ちゃんとお食事が出来て、
お金の心配は一切なく(関わらない幸せ)て、愚息その①、ウチの宇宙人、馬専科
の3人の息子達は健やかに日々を暮らしているようだし、本に埋まって、時に絵筆
を持ち、怪しげな(そのものはまっとう)2カ国語といちゃついて、知りた~~い!
の欲求を、お気に召すままどうぞ! の環境にいられる私は、感謝こそあれ不平不
満なんて、これっぽちもないのです。だって、2回も人生を味わえるなんて、こん
な幸福な事を味わえるなんてね。
ですから、
その日、私は命の恩人にメールを出すのです必ず。
♪Happy birthday to me,happy birthday to me ♪って。
毎年、その日に、1才、2才、3才、4才になりましたって。そして、今年は5才に
なりました。今日、ここに生きているのは先生のお蔭ですって。間違いのない事実
なのですから。そして、私は、私が生き続ける限り、感謝の言葉を先生に送ります。
ありがとうの言葉には、期限なんてないのです。何回言ったからもういいのよ、な
んて思う人は、ありがとうの意味を知らない人だと思うのです。可哀想に・・・・。
2回の開頭手術。くも膜下出血で失神。救急車で運ばれての緊急手術と、予防のた
めのそれの。
その後何も後遺症はなかったかって? 大ありだったのよ。色々とね。
その中でも、両手が使えなくなって、少しでも動かそうとする時に起こるその激痛
は、例えようもないほどにね。気持ちは落ち込むし、ええ、セニョールに、なんで
助けたのよ~!って。
どれほどの病院その他に行ったかしら?いいと言われることは全部やってみて、一
向に改善しない心身に、苦しみぬいて辿り着いた所は「自分自身」だったのよ。
ええ、私は私に心から謝ったのよ。
「ごめんなさい」って。なぜ?
自分自身を信じない人間に、その機能がフル活動なんかしないって。
そうでしょう? ぜ~んぶ、自分以外の人がなんとかしてくれる、なんて、そんな
馬鹿な話はないってことに気が付いたのよ。
さあ、ここからの私は、強い強い決意をしたのです。今までの自分自身に対しての
贖罪の気持ちを込めてね。
『今後、どんなことがわが身に起ころうとも、それに踊らされない、自分の可能性、
力を信じきるのよ。全ての悪しき事は、針の先ほども頭の中には住まわせない事』
『死ぬまで、お医者様であろうと、私の身体に触ることはない。そういう事態にな
らないのよ、わかった?』って。
今?まあチョコチョコ不具合も起こることもあるけれど、無視!不愉快、不快なこ
とは、「さっさと、どこかに行っておしまい!付き合う気も、暇もないのよ!」
ええ、そんな大病をしたなんて、ケほども感じさせないし、病気を、身体の変調を
売りにするような愚かしさはないつもりよ。不調を口外はしない。人を不愉快にさ
せる権利はないって。でも、人の不幸話を、薄ら笑いをして聞きたがる恐ろしい心
の持ち主もいるけどね。そう、人の不幸は蜜の味って、あれ。
そういう人は、不幸になるのよ。
情けは人のためならずの反対ね。回りまわって、己にふりかかる。
そういう人と近しくなってはいけないのよ。
正に『友は選べ』『類は類を呼ぶ・・・同じ仲間が集まる』だからね。
それで?
まあ、オツムの中身は
元々大した機能はなしだったから、そこは差し引いても、言う事なしの私よ。
想像・創造が大好きだし、活字があれば、そうねえ、やっぱりALL or NOTHING人
間だから、今のところな~んにも不足はないわ。日々は、セニョール・ダンのお陰
で生きていられる。額に汗して、日々の糧を得なくてもいいとういう幸せ。浮世の
事に煩わされずに生きられるなんて、ねえ。幸福者よ私は。
そんなお誕生日を迎えたのでした。