カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

禁断症状

2008-10-31 19:32:11 | 本日のしりきれとんぼ
昨日、とある療護施設を訪ねた。
知り合いが入っているのだ。
そこでの一風景。

その施設では館内は全面禁煙で、玄関から一歩出た脇に喫煙室が設けられている。
徳さんは意志薄弱というか、その気がないというか、19歳で始めた喫煙習慣が還暦を過ぎた今も止められない。
皆さんからのごうごうたる非難、さげすみに遭っても、、、。

徳さんがそこで一服していると、車椅子に乗った、徳さんと同年輩のおっさんが入って来た。
「どうも」と互いに挨拶を交わしたあと、おっさんは灰皿の前でジッとしたままなのだ。車椅子に乗ったまま直立不動の姿勢をとっている。いくぶん不機嫌な顔をしている。
何をしてるんだろう、このおっさんは?徳さんは一瞬いぶかしんだ。

しばらくして、トレーナー姿の年若い女性職員がやってきた。
手にはライターと1本のタバコを持っている。
「△△さん、20回やった?やってないでしょう?ちゃんと判るんだから。ハイ、やって。」

片麻痺のこのおっさん、どうやらタバコ1本と健側の足の体操20回を交換条件にされているらしい。
憮然としておっさんは体操を始めた。
片足をせせこましく膝を曲げたまま、上下に揺さぶっている。ちょっと貧乏ゆすりの感じだ。こんな感じのリハビリならしない方がましという運動振りだ。

「あと一回。19回しかやってないじゃない。ちゃんと数えているんだから。」

そう、きつく言われておっさんは片足を一回ドスンと床に落とした。
この時の動きだけがリハビリ的だった。

タバコを口にくわえさして貰い、ライターで火を着けてもらったおっさんは、これも直立不動で吸い出した。

これがすさまじいのだ。
普通は一息吸っては煙を吐き出す。そしてタバコの余韻を楽しむ。
このおっさんは3呼吸分を一気に吸う。
タバコの葉は灰となる暇もなく、赤いおこり火の棒が見る見る長くなっていく。
灰皿に灰を落とす時間ももったいなげで、タバコを持った手を一瞬灰皿方向へやるだけだ。
やっとありつけたタバコを一刻みの葉も無駄なく吸うぞ!という脅迫観念が伝わってくる。

あっという間に1本のタバコを吸い終えたことを確認した職員は、あとの会話もなくさっさと居なくなってしまった。

徳さんの老後の一風景でした。



体調快調背骨大問題な、ヴェーちゃま

2008-10-29 21:08:55 | 本日の患者さん
たまにヴェーちゃまのような人がいる。
その背骨の歪みが彼や彼女の体調や症状に反映していない人が。

ヴェーちゃまの背骨は腰椎が左に大きく歪み、前湾であるべき並びも前湾消失を通り越して後湾している。腰の部分のそんな歪みの影響で首の付け根の角度が強くなり、頚椎と胸椎に渡る部分で椎間板が薄くなっている。

普通、何らかの症状があったり、体調不良があれば確実に背骨の歪みになってあらわれる。
逆に、背骨の歪みがあれば、体調不良、何らかの症状に陥る可能性がある、にとどまる。
必要条件と十分条件の関係である。

どうやらヴェーちゃまは必要条件の中におさまっているようだ。
じゃあ、これ幸いと放置しててよいのか?というと、そうはいかない。

何故、ヴェーちゃまは、強い背骨の歪みにも関わらず、絶好調のまま生きているのか?

きっと、ヴェーちゃまの椎間孔(脊髄が枝分かれして末梢神経となる処の出入り口)が先天的に大きくゆとりを持っているからと考えられる。多少の歪みは屁のカッパといった処か。
だけど、こういう状態は症状が現れた時は、事態はかなり進んでいると考えるべきだ。
ある日突然ドカンと大型台風に見舞われることになる。

何の不調も訴えないヴェーちゃまにその事を体感で理解してもらう事は難しい。
こんな時には、理屈で攻めていく他ない。
ヴェーちゃまにとって、徳さんは五月蠅きカイロ施療士、であったのではないかと思ってる。

ヴェーちゃまが、徳さんの所へ来たのは、「あんた、体が歪んでるわよ。そんな姿勢をしてたらどんな事になるか知れないわよ。」と言って強引にヴェーちゃまをつれてきた、30年来のヴェーちゃまの友人の脅迫による。

持つべきものは友である。となれば良いのだが、、、、。


脳のからくり

2008-10-28 20:06:57 | 本日の抜粋

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 小説家や映画監督やゲーム・クリエーターになりたい人が多いのはなぜでしょう?
 音楽会や歌舞伎や映画といった創作物を鑑賞すると楽しいのはなぜでしょう?
 それは、もともと人間の脳が「創る」ようにできているからです。
 それが脳本来の仕事なのです。
 創作物を鑑賞する行為も、また、あらたな「創る」行為にほかなりません。
 それに対して、会社で上司の嫌味を聞くことも、売り上げ全国一になることも、脳の本来の仕事ではありません。
 子供が積み木をバラバラにして、ふたたび創りますね?人間の脳は、大人になっても、そういうことが楽しいのです。
 でも、人生は、そういった「楽しく創る」仕事とは無縁のことがらが多く、人間を苦しめます。
 いったい、どこでボタンをかけちがえてしまったのでしょう?

竹内 薫  茂木健一郎 『脳のからくり』より 新潮文庫

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脳の仕組みを分かりやすく解説しようとするこの本は、過去の脳研究を紹介しながら、ところどころ竹内さんの見解をはさんでいる。
とくに徳さんが惹かれた箇所は2ヶ所。

さかさ眼鏡の原理。
プリズム仕様の眼鏡を使用して、網膜に映る像を逆立ちにすると最初はめまいがするほどでも、やがてまともに見えるようになるという。
網膜に映る像はそのままで、脳の方が認識を再構成するのだ。脳の可塑性と柔軟性の話。

脳の視覚能力の分析による美術鑑賞。
ブリューゲル「雪中の狩人」…視線移動型の網膜絵画
レンブラント「夜警」…視線固定型の網膜絵画
ピカソ「泣く女」…形態視モジュール絵画(モジュールとは脳の視覚に対する作業の分担分け)
モネ「日傘をさす女 左向き」…色彩モジュール絵画
モンドリアン「しょうが壺のある静物Ⅱ」…空間視モジュール絵画
デュシャン「階段を降りる裸体№2」…運動視モジュール絵画

とまあ、こんな風に感心しながら読み進んだのだが、まとめの部分で抜粋の文章に出くわした。
脳の研究者であるから脳に対して肯定的に話が進められてきたのだが、土壇場になってボタンのかけ違いによって、脳の本来の仕事から遠ざかってるのが現在の我々の脳の現状です。で、終わってしまったのでは、これこそ徳さん得意のしりきれとんぼ、、、、。

尿道結石な、ベーちゃま

2008-10-27 20:15:17 | 本日の患者さん
淡々と話されると、かえってその恐ろしさが倍化する。
ベーちゃまの話し振りはまさにその淡々。そしてその話はホラーもどき。

「今月の始め頃、尿道結石になったんすよ。」
「え、尿管結石じゃなくて、尿道結石?あまり聞かないよねえ。」
「そう、尿道結石。おしっこをしてたら、突然おちんちんが詰まった感じになって、おしっこが出なくなっちゃった。今までも尿管結石の経験は度々あるので、すぐに病院へ行ったら、今回は尿道結石だって。先の方に引っかかってれば外に出すけど、ぼくの場合は奥の方で石が引っかかっているので、膀胱まで押し戻したんすよ。」
「痛かったでしょ。」
「そう、半端じゃなかったすよ。おちんちんにカテーテルを入れて、グイグイやられるんすよ。痛いのは分かっていたからタオルを口にくわえて我慢したけど、傷口に熱湯をかけられてるような痛さだったすよ。尿道結石は様になんないすよ。」

ベーやんは今までに何回も尿管結石を繰り返している。
当然、その予防策として水分を十分に取るようにする、ということは充分承知している。
なのに、それをしない。
雑誌編集の仕事の戦争状態がそうさせるとおっしゃる。
「だって、夢中で仕事してたら水を飲む事なんか忘れちゃうすよ。」

尿路結石を繰り返すのは判っていても、仕事に夢中になって水分補給を忘れるのは、少し方向違いのベーちゃまの仕事に対する美学だ。

徳さんの心配は、今回おちんちんにカテーテルをぶち込まれて死ぬほど痛い目に会ったベーちゃまだが、果たして心を入れ替えてくれるのだろうか、デスクの上に2リットルのペットボトルを置いてくれるだろうか?ということだ。

ベーやんの淡々とした話し振りは、この徳さんの願いを簡単に無視するように思われてならない。

開店休業

2008-10-26 19:22:17 | 本日のしりきれとんぼ
昨夜は久し振りにドンちゃん騒ぎ。
当然、許容量以上のアルコールを我が体内に浴びせかけました。
午前様でした。

でも、神は許してくれたようです。
二日酔いには見舞われませんでした。朝のコーヒーも朝飯もとても美味しくいただけました。

でも、徳さんは知っている。
肝臓の神だけは許してくれてないことを、、、、。

そして今日のお仕事。
天気が愚図ついているせいか、患者さんは本当にポツリポツリ。

こんな日はどうするか?
日頃の疲れを癒すに限る。あわせて昨夜の疲れも。
治療ベットに横たわり、好きな音楽を流しながら、読みかけの本を読む。読みながらウトウトする。
目覚めてぼんやり、ブログの事を考える。
不思議なぐらい、何を書いていいのか、思い浮ばない。

そのうち腹が減ってきたので、近くの西友でうどん玉とかき揚げを買ってきて天ぷらうどんを作って食らう。
腹がくちくなって、また眠くなる。

もうすぐ、この幸せというか、情けないというか、変な一日が終わろうとしている。

これが神の御心遣いなのか、神のおいかりなのか、徳さん不信心なので判らない。


超過勤務な、アーちゃま

2008-10-25 19:04:38 | 本日の患者さん
いよいよ、この「本日の患者さん」はキリル語に突入。徳さん、もう、何が何やら分かりまへん。

「もう、いいかげんに仕事に対するテンションを下げたら?いい歳なんだし。」
「いやいや、これでも結構、手抜きの努力はしているのですよ。会社との契約を週4日勤務にして貰ったし。」

そう言いながら、夕刻カイロ施療に見えたアーちゃまは、

「今日はカイロの後、現場に行かなくちゃならないんです。明日ホテルでの展示会があるので、午後10時集合で、プレゼンテーションの準備をするんですよ。その前に打ち合わせもしなくてはいけないんです。」
「じゃ、ホテルで旨い晩飯なんだ。」
「いやいや、そんな甘いもんやおまへん。(と、アーちゃまは関西弁は使わなかったが)男3人に二人部屋が提供されるだけ。若いのが床に寝るしかないですよ。カイロの帰りにラーメンでも食えればなあ、って感じですよ。」
「食べて行きなよ。どうせ行ったら明け方まで仕事なんでしょ。」
「プレゼンテーションは朝10時開場なんですよね。後片付けもあるし、、、。」

週5日の仕事を、週4日に濃縮して忙しい思いをしているアーちゃまでした。



墨攻

2008-10-24 18:56:28 | 本日の抜粋

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*墨家は、歴史上の資料があまりに少ないため謎が多い教団であるが、反侵略の思想、すなわち侵略行為は人間の行いの中で最大の不義であり、断じてこれを認めない、という立場だったとされる。もちろん、単に「侵略はいけない」「戦争はよくない」などとごたくを並べていただけではない。現代であれば、安全な場所で正論を振りかざすことは可能だが、当時はそんなことが許される状況ではなかった。権力者を批判する発言や行動は、すなわち死を意味していたのである。
 正義なき力は暴力なり。力なき正義は無力なり。
 墨家の理念こそ、まさにこれだった。侵略に遭う弱小城郭の求めに応じて無報酬で指揮官を派遣、徹底抗戦して守り抜いて見せることで侵略国に不義を思い知らせることを本分としたのである。そのために墨家ではさまざまな戦術が研究され、高度な科学技術を発達させていた。「守り抜く」ためだけに。

 *そして墨家はある程度、それを達成してきた。実際、派遣された白では大いに活躍し、諸国に名を知らしめた。
 しかし人間同士の殺し合いは一向に収まらない。墨者が小さな城を守っている間にも、別のところで次々と侵略がなされ、殺害と略奪が続いている。
 そうするうちに、やがて田襄子に、新たな理念が芽生えた。非攻を実践するのは何のためか。単に小城郭を守るためではない。平穏と秩序をもたらすという、大目的のため。
 小城郭の守りをいくら繰り返したところで、この大目的を達成することはできない。まずはどこかの国に全土を統一させ、その最高権力者を操ることによって平穏と秩序を実現させた方が、大目的は単なる理念に終わらず、近い将来達成されるはず、、、、、。
 そして田襄子らが目をつけたのが、諸国の中でもとりわけ野心が高い秦の王だった。

山本 甲士 『墨攻』より 小学館

     ********************

この小説に先行して劇画『墨攻』映画『墨攻』が大ヒットしたらしい。
劇画をヒントに小説が描かれるなんて、一昔前なら考えられない事である。最近の劇画、漫画の質の高さの証明である。
徳さんもせっせと劇画、漫画を読むとしよう。

小説自体の面白さは小説にお任せして、、、。

確か高校時代の歴史か倫理社会で、墨家というのは名前だけ覚えさせられた。
老子、孔子、孟子と並んで墨子と覚えた。
試験では内容まで立ち入りません。しかし、名前だけは覚えろよ、と。
何ともお寒い教育を受けてたものだ。
その名前だけのかすかな記憶と、その内実が結びついたのが40数年後という訳だ。

当時、社会科の先生たちは平和教育に熱心だったが、二千四百年前の中国の非戦の思想を参考にする人は一人もいなかった。そこに平和教育の教材があったのに、、、。

第2次世界大戦への直線的な嫌悪感が先走り、歴史の冷静な分析など二の次のようだった。
高校3年の2学期には全ての科目が途中打ち切りとなり、大学受験に備えさせられた。
歴史の場合だと、丁度大戦後の現代史が抜け落ちることになる。徳さんたちは歴史から一番学びたいところだけを迂回させられたのだ。

徳さんがこの墨家の振る舞いと、その消長に関心を持ったのは、墨家が3代目の代で秦の始皇帝を利用せんとして、利用され抹殺されたからだ。
平和教育は大事だが、過去の平和教育が何故無残にその時々の権力者に無視されるのか?といった自己反省的な平和論に出くわしたことがない。






べろべろ

2008-10-24 00:05:35 | 本日の酒の肴
昼に馳走になった。にこごりに似ているが訳の分からぬ料理だったので、これは何かと尋ねたら、べろべろだと言う。よけいに分からなくなったので、詳しい説明を求めると金沢のお節料理だと言う。あまりの旨さに食べたもの皆が皿までべろべろと舐めるのでこの名前が付いたものと言う。ペロペロじゃなく金沢語なのが妙。ままかりに似た語源だ。出し汁に卵をかき混ぜ寒天で固めたものをベースに季節の具材を入れたものだ。今回はゼンマイが使われていた。旨い。ただゼンマイが長いまま使われていたので、この料理の造形美があっという間に崩れ去ってしまうのが残念無念。
もっとも、これは、やむを得ないのかも知れない。この料理を作ってくれたのは28才のおのこ。大学では遺伝子組み換え技術を勉強してた。DNAの長い紐を相手にしていた彼は寒天の中のゼンマイがDNAに見立てられて、その切断に踏み入れられなかったのだろう。
ともかく、べろべろはこの上なく旨かった。徳さんの家の定番メニューになるのは間違いない。
これは酒の肴にうってつけだ。しかし、その時は昼。
いくら飲んだくれの徳さんでも、運転中と施療中は酒に手を出しはしませぬ。

富士山登山後のゼットやん

2008-10-22 22:02:07 | 本日の患者さん
全身くたくたバリバリ。

先日、風邪をおして富士登山に挑戦したゼットやん。無事、目標の7合目に登り終えた。
ゼットやんは脳性マヒのため、手足に不自由がある。
徳さんの印象だと、ゼットやんは自分が出来る限りの挑戦をあらゆる面でやりきっている。
腑抜けで飲んだくれの徳さんとはえらい違いだ。密かに尊敬している。

ともかく、無事、富士登山を終えたゼットやんが、施療にみえた。
その体が、全身くたくたバリバリ。
6年間定期的にカイロ施療に見えているゼットやんだが、こんな、凝り固まったゼットやんは初めてだ。
かつて一度も、悲鳴らしきものをあげたことの無かったゼットやんが今日ばかりはイタイイタイとうめいている。

さすが富士山。生易しくは無い。
ゼットやんの挑戦を受け、全身の筋肉疲労で返礼してくれる。

そして、さすがゼットやん、全身痛にもかかわらず、次の挑戦に舌なめずりしてる。


そういえば、その昔、車椅子のまま富士山の頂上に登りおえたツワモノ障害者も徳さんの患者さんにはいたのだった。