カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

熱病、Concha Buika

2009-03-31 17:17:34 | 本日の楽曲
この一週間、徳さんは熱病に罹ったようである。

寝ても覚めてもConcha Buika,Concha Buika。
患者さんこそ大迷惑。
繰り返しBuikaの曲が施療室に流れる。
癖のある唄い方や声なので、耳障りな人もいるやに知れないのに、、、。

熱病というのは正常な状態ではないという事だ。

生まれて初めてamazonを通してCDを買った。ローソンに送ってもらい、苦手で寄り付きもしなかった登録機械に向かった。(銀行のATMでの振込みだって嫌がってるのにだ)

輸入版だったので曲の題名や歌詞のスペイン語の意味はわからぬままだ。
悔しいのでスペイン語の辞書を買った。
このスペイン語が難しい。
何も知らない徳さんであるから贅沢は言わない。題名と歌詞の大意を知る事が出来れば満足するのだが、、、。
名詞はまだいい。その他がいかん。
変化変化で、動詞などその原形が判らぬ事には辞書も引けないものらしい。
という事で、辞書が引けるように入門書も購入。

そして一昨日、国分寺の施療室にギターの先生がひょっこり遊びにいらした。
何たる僥倖、とばかりにMi Nina Lolaの伴奏の採譜をお願いした。
技術的には何たる無謀!保育園児が大学院の授業を受けるようなものだ。
だが、それでもいいのだ。
保育園児は大学院の授業が理解したいのじゃなく、大学院の雰囲気が好きだと主張しているのだ。そこで遊ばせてと。

たったの一秒も真似の出来ない、フラメンコ仕立てのスペイン語での節回しとギターを、何百倍の時間に延ばして、一秒でもモノに出来ないかと、老いの一徹が滑稽にも始まりましたとさ。


股関節5分間施療のその後と、転倒続きな、ちーさん

2009-03-30 17:47:05 | 本日の患者さん
現在もちーさんへの5分間施療は続いている。

変形性股関節炎が進んでいるというので整形外科から手術を勧められていたのだが、週3回の股関節の空間を開ける施術を続けているうちに、最近は整形外科の先生も手術のことは言わなくなったとか。
ちーさん自身も股関節の痛みは余り訴えられない。

しかし、脳性マヒのちーさんが歩く時などの体への負担は生易しいものじゃない。
股関節が多少楽になっただけでは問題は解決しない。
目的を徐々に変更しながら5分間施療を続けていくことになりそうだ。

さて、そのちーさん。
自称得意技が転んでも怪我をしない、である。
人間、何が自慢話になるか分かったもんじゃない。
ちーさんと付き合いだしてかなりになるが、いや、転ぶこと転ぶこと。
電車に乗ろうとして、片足がすくんで転ぶ。
小さな道の窪みを発見して、意識した途端に足がもつれてしまう。
そして転んで擦り傷程度だと自慢している。

しかしな~。
と徳さんなどは思ってしまう。

そのちーさんに、いけない転び方がある。
駅の混雑の中で、人がぶつかってくる時だ。予測不可能。それも度々ある。

競走馬の気を散らさせないために、馬の視界を限定するアイマスクのようなものがあるが、現代人の多くがそんなアイマスクを無意識のうちに付けられている感さえある。
他人への想像力なんて死語なんだろうか?

それにしても、このイラストはちと、ひどすぎた。
その時よほど“ち”という文字からイメージが湧かなかったと見える。
ちーさんのイメージとは無関係なのを強調しておく。
ちーさん、ごめん!

たんば色の覚書

2009-03-29 19:14:07 | 本日の抜粋

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アメリカへの研修留学を命じられたというのは、次はアメリカに赴任しろというでもありましたが、私はそれを断って、ハノイに行きたいと会社にいいました。そのときの上司は、まるで私を狂った猿かなにかを見るような眼で見ました。やはりマスコミにとってハノイというのは取るに足らないところというのが本音なのですね。大事なのはワシントンであり、ロンドンであり、東京なのでしょう。でも私はそうは思わない。本当に大事なところは、まだ二歳か三歳の赤ちゃんの背中にナパーム弾が落とされるところであり、子供が飢えているようなところだと思うのです。そういう場所こそが世界の中心であるべきなのです。世界の中心と私たちをつなげるものは想像力しかありません。必ずしも現地には行けなくても、私たちには想像力というものがある。しかし私たちはいま、他者の痛みにまで届く想像力の射程をもちえているでしょうか。

講演会の冒頭にCCRの「雨をみたかい?」をかけてもらって、私がなにを申し上げたかったというと、じつは私たちの何気ない「日常」ということなのです。「雨を見たかい?」の背後にはベトナム戦争があり、それはアフガンやイラクの悲惨きわまりない現実にもつながっている。それは私たちの日常とは関係ないことなのでしょうか。私はまったくそうは思わないのです。
「雨を見たかい?」という曲は日本のテレビのCMで使われました。(中略)ここには言葉を失うようなこの時代の無限循環構造がある。それは、残虐な死の記憶を背負った曲でさえも、大企業の資本というものは平気で呑みこむということです。私たちの日常というのはなんでしょうか?現代史の生々しい記憶は、CMのなかの美しいメロディやカッコいい車の姿によってすべて隠されてしまっている。(中略)私たちの日常のなかには、たくさんの死が埋めこまれている。

辺見 庸 『たんば色の覚書』より 毎日新聞社

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CCRの「Have you ever seen the rain?」の中の歌詞「It'll rain a sunny day(雨が降るだろう 晴れた日に)」「shinnin'down like water(キラキラ光りながら雨のように降る注ぐんだ)」がナパーム弾の事だったとは知らなかった。

晴れた日には気を付けよう。

作戦にゴーサインが出る日だから。



喘息もありな、シっくん

2009-03-28 17:48:33 | 本日の患者さん
シっくん、なんか元気がない。
大きな体を持て余しているようにも思える。
105キロの体をしょんぼりさせてる感じだ。

シっくんの訴えは腰痛と肩こり。それに話しているうちに判った小さい時からの喘息。

かなりの体重があって、猫背さんなものだから腰と喉は狙い撃ちされるには当然だ。
バランスを取るため腰椎のベルト辺りが過前湾となる。
シっくんのような急激な体重変化の場合、より顕著となる。

シッくん。
まずは少し痩せて下され。
飯を喰うのは早いですか?
体を動かすのは嫌いですか?

出来る小さな事をコツコツと。それ以外に道はなし。

シっくん、元気がないんじゃなくて、元気のないシルエットをしてる、という事だったのだ。

milky way

2009-03-27 17:40:19 | 本日の悪食
徳さん、酒飲みの威信にかけて、甘いものは口にしないのを信条にしているが例外がある。

この『milky way』というチョコレート菓子だけは手を出してしまう。
ココア仕立てのヌガーをチョコレートで包んだものだ。
猛烈な甘さだ。
口に入れた瞬間に後悔する。
最近は、ナイフで小さく小分けして、そのひとかけらを口にするようにしている。

なぜ、こんなにも執着するのだろうか?

答えは、徳さんの幼年期の記憶にある。

1947年生まれの4,5歳といえば、まだ戦後日本が朝鮮戦争特需によって浮かれ出す前の時期。
ともかく甘いものが貴重だった。
半紙にスプーン一杯の砂糖を載せてもらい、時間をかけて舐めたのを覚えている。

そんな時期に、一、二度口にして、鮮烈に記憶しているのがこの『milky way』
当時のお菓子屋さんに売っていたものなのか、親がいけないルートで手に入れたものなのかは知らない。
これを口にしたのはその時だけだった。
以後、大人になって、機会のある度にお菓子屋を覗いたりしたが、目にしたことはなかった。
ともかくこのハイカラなチョコレート菓子は、徳さんの心の中で、伝説のお菓子となっていた。

それが、一ヶ月前、国分寺の施療院の前のドンキホーテで山積みになっているのを見つけた。
その余りの安値と、量の多さに、徳さんの幼い頃の甘い記憶は、なにか苦々しいものに変わってしまった。







サっくんの二日後

2009-03-25 20:34:48 | 本日の患者さん
朝、サっくんから電話があった。まだ仕事に入っていない時間だったので自宅にいる徳さんに転送されたのだ。

「今日、予約してるんですけど、透析に通っている病院で、透析で骨がもろくなっているのだから、カイロみたいに激しい施療はとんでもない、と言われたんですけど」

正直、徳さんはホッとした。

二日前のカイロの施療で、どこかおかしくなった、という話でなかったことに、、、。

「大丈夫だよ。ちゃんとサっくんの体調に合わせてやるから。寝たきりの人、体力のない人、高齢者だって、その人に合わせてカイロをやってるよ。ボキボキと関節を矯正するのがカイロの目的じゃないんだからね。お医者さんたちにその辺の誤解が在るみたいだけど」

施療に見えたサっくん。二日前、寡黙気味だったサっくんだったが、いや、今日はしゃべってくれる事、しゃべってくれる事。
訴えの一つ、足の痺れが無くなっている事が影響しているのかも知れない。

透析の実際の説明、使われる注射針の太さの説明、シャントというものを埋め込む手術の説明(血管の細いサっくんは、それがなかなか上手くいかず、6度目の試みで成功したのだそうだ。サっくんの両腕には合計5箇所のリストカットのような傷跡が残っている)徳さんには分からない心臓と腎臓の距離の話などなど。

まずは一安心した徳さんだが、サっくんが帰った後に、腎臓の人工透析について調べてみた。

これが大変。
人工透析に付随する合併症の複雑なこと、多岐に渡ること。

徳さん、勉強しながらサっくんに付き合うけんね。よろしくね。

新大陸発見! Concha Buika

2009-03-24 17:42:42 | 本日の楽曲
U-tubeでこの人のMi nina Lolaという歌を唄ってる画像を見、聴きしてくだされ。
何曲も登録されているが、そのうち、小さなお店でギターと小さな箱型の打楽器の伴奏だけで歌ってるやつを見つけて下され。

後は、本日、何も言うこと無し。


この後は、書かない方がいいぐらいの呟き集。

徳さんにとっては、まさに偶然の新大陸発見だった。
植民地を求めてのことじゃないので、純粋無垢なもんだ。

napsterという音楽配信ソフトでnina simoneの曲を探そうとした時に、アーティストではなく、間違ってアルバムで探す指示を出してしまった。
この歌がアルバムのタイトルになっていたので検索されたのが、徳さんの幸せの始まり。ドジもたまには僥倖をもたらす。

Concha Buikaはスペインのパルマ・デ・マジョルカの出身。地中海に浮かぶ島だ。
両親は赤道ギニア共和国からの移民。少女時代をジプシーとして過ごす。
今のところ分かっているのはそれぐらい。

徳さんはスペイン語などチンプンカンプン。
意味も判らず感動してる様は、言葉のわかる人から見ると滑稽だろうが、それでも良いのだ。
意味の判らぬブイカちゃんの自己表出の音として酔いしれている。

患者さんにスペイン語の先生がいて、彼から教わった話。
Conchaというのは向こうでは多い名前なのだ。
英語のconceptionに繋がる言葉だ。概念という意味だそうだ。
何で女の子に概念なんて堅苦しい語を?
安心なされ。
conceptionには受胎告知の受胎という意味もあるんだ。
何といってもカトリックの国だからね。

スペインには受胎とか妊娠という名で呼ばれてる女の子が多いというのは、なんかほほえましい。受胎の神秘に対して無意識の教育がなされているようだ。
日本の奇妙な名付けとはだいぶ違う。


遺伝性多発性嚢胞腎な、サっくん

2009-03-23 17:47:14 | 本日の患者さん
このところ、その病気の本体には手の付けられない患者さんが立て続けに見えている。

サっくんもその一人。

その正確な病名を徳さん始めて知った。腎臓に嚢胞が出来たと言うのはポツポツ聞いていたが、サっくんの場合はかなり深刻。
現在、週3回の人工透析を受けている。
サっくんの兄弟姉妹5人ともが同じく人工透析を受けているそうだ。

「根本的な治癒はもとより望むべくもなく、治療は原則的に内科的・保存的に行い、合併症の予防および除去により予後の改善をはかる。(中略)末期腎不全に陥った場合は透析療法を行うが、、、、」と腎臓病学の教科書では述べられている。

当然施療室に入ってきたサっくんの表情は暗い。
以前は看護婦さんだったので、自分の病気には妙に客観的なのか、「もう、諦めてるから」との発言が会話中何度も発せられる。

サっくんの訴えは腰痛。整形に行っても埒が明かないので、、、とおっしゃる。

こんな時、徳さんの施療方針は単純だ。
というより、それしか出来ない。
本丸に手が付けられぬのだから、本丸の激震によって影響を受けたはずの二の丸、三の丸の手当てをする。
これは単純な内臓の機能低下の場合などには、フィードバック作用もあって本丸の機能改善ににつながる事もあるのだが、サっくんの場合は器質的な変化なので、本丸に影響を与えることは考えられない。

サっくんの病気が引き連れる家来共の勢いだけは多少とも削がなければ、サっくんが徳さんの所へ見えた意味がない。

施療途中からサっくんの表情が幾分明るく感じられたのが、徳さんの錯覚でなければよいのだが、、、。

世界が完全に思考停止する前に

2009-03-22 18:56:41 | 本日の抜粋

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*政治家もメディアも最近盛んに口にするのは「日米同盟」。たぶん今日の朝日の紙面にも、きっとどこかにこの言葉が掲載されている。でも変だな。有事を想定した日米関係の正式名称は、以前なら日米安保条約で同盟とは言わなかった。確かに「同盟関係」との言い方はあったが、いつのまにか二「関係」に二文字が消えている。「条約」を「同盟」に換えることで、変わったニュアンスは難だろう?

*強いに越したことはないし、継続しないよりはいたほうがよいけれど、でも弱くて持続しなくても、悲観する必要はきっとない。
 普通でよいのだ。 
 「だって王様は裸だよ」とつぶやいた子供に、人一倍の使命感や勇気があったわけではない。普通に感じ、普通に首を捻り、普通に疑問を口にすれば、最悪の事態はきっと回避できる。まだ間に合う。ぎりぎりだけど、きっとまだ間に合う。

*唐突だが僕はトイレに行っても手を洗わない。オートで水が出る仕組みなら洗う。でもそうじゃなければ洗わない。だってどこの誰とも知れないおおぜいがの人が、それぞれのオチンチンを触った直後の指先で触れた蛇口に、わざわざ触りたくないからだ。数年前までは僕も無自覚に洗っていた。でもある日ふと気がついた。どう考えても不合理なのだ。(中略)「手洗い」という言葉が示すように、要するに一定量で思考が停止して、トイレは手を洗う場所だと無自覚な思い込みになっている。

*九・一一以降のアメリカは、オウム以降の日本に重複する。テロの不安に怯えた国家共同体は、過剰な危機管理意識を発動し、正と邪、善と悪などの対立概念に単純化された二元論に収斂しながら内部的結束を強め、アメリカの場合は、仮想敵であるイラクへの先制攻撃へと暴発した。
 この構造はそのまま、救済という善意を燃料に被害妄想を肥大させ、他者への想像力を失い社会に攻撃を仕掛けてきたオウムと、多くの因子を共有する。

 つまり日本社会は、オウムによってオウム化しつつある。

*遺族や被害者が憎悪や報復感情に捉われることは当たり前だ、なぜなら彼らは当事者だ。この感情を社会が共有しようとするとき、一人称であるはずの主語がいつのまにか消失する。本当の憎悪は激しい苦悶を伴う。でも主語を喪った憎悪は、実のところ心地よい。だからこそ暴走するし感染力も強い。
 
森 達也 『世界が完全に思考停止する前に』より 角川書店

      **************************

マスメディアや国家によって誘導、洗脳された我らが思考傾向は、現在進行中の地球規模での環境破壊と源を一にしている。
主語が一人称でないのだ。
私ではなしに、我々なのだ。
それも奇妙な我々であって、我々の中に私は入っていない。
常に責任は、私以外の連中の仕業となる。
巧妙な免罪符を我々は(この場合は私が入ってますよ)手に入れたもんだ。

「ぎりぎりだけど、きっとまだ間に合う」

これは森達也さんの悲痛な叫びだ。


オチンチンの話は徳さんも早速実行することにした。
神の手と極々少数の人が評価してくれている徳さんの手が、不特定多数のおっさんのオチンチンに汚染されていたとは!!


徳さん末期?

2009-03-21 19:04:43 | 本日の無惨
飯が喰えないのだ。

徳さん、ただ今腹ペコ。

食い物を口に入れる事は出来るのだが、咀嚼が出来ない。
前歯がグラグラなのだ。
触れた瞬間痛みが走る。
とても噛めたもんじゃない。

転んだ時は大した事はないと思っていた。
体のあちこちを打ったはずだが、そのどれも痛みは大した事はない。

ただ、気になるのは、転んだ理由だ。

駅前の平坦な道、躓くような物は無かったし、何かに躓いた覚えも無い。
確かに酒は飲んでいた。
しかし、誓って言うが、足取りを乱すまでは飲んでいない。
それは酔っ払いの自己診断!
と言われれば反論はし難いが、徳さんだって酔いどれ歴40年。やばい時とそうでない時の判断は信頼して欲しい。

転ぶ瞬間の身体感覚は、突然やって来た、一瞬の足のもつれ。
歩いていて、異常を感じた時には転んでいた。
その時、片手にバック、片手に友人から貰った焼酎の4合瓶。
焼酎を守ろうとして顔面制動した事だけは認めるが、、、。
立ち上がっての足取りはまずまず。軽い酔っ払いの歩行だ。

考えられるのは一瞬の脳障害。しかし、そんなものは聞いたことが無い。
瞬時にして起こり、瞬時にして回復する脳障害なんて、、、。

一夜明けて、パンすらも水にうるかして喉に流し込む事態に出くわし、問題の主流がすり変わった感があるが、今回転んだ我が体の仕組み、徳さん、末期症状なのかも知れない。

PS。
徳さんは花粉症を友としているので、鼻をかもうとすると腫れ上がった歯茎を刺激して激痛が走る。
鼻はかまざるを得ない。ポタポタと落ちてしまうのだから、、、、。
現在、徳さん、トホホの運命を味わっている。