カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

腰のふらつき、オっくん

2009-02-28 20:28:19 | 本日の患者さん
今年73歳になるオっくんは難しい患者さんだ。(オっくん、ごめんね)
極度の心配性さんだ。猜疑心も、そして依頼心も強い。
もう、20年近く患者さんとカイロ施療士の関係が続いている。
しかし、頼られてもいるがいつも疑いの目でもって見られているのも事実だ。

ここ最近、オっくんは徳さんに腰の矯正をさせない。
なんでも、以前の施療で腰の矯正後、膝の調子が芳しくなかった事があるのがその理由らしい。
徳さんとしては、そんな変化こそが大事なのだが、、、。
ともかく、オっくんのお気に召すまま、というのはオっくんの精神安定には必要十分条件だ。

そんなオっくんの訴えが、腰のふらつき、不安定感。

どうすりゃいいんだ。
腰椎に触れないで腰のふらつきを解決しろ、なんて。

破れかぶれの処方箋は、オっくんにすべて委ねちゃう丸投げしかない。

何かにつかまりながらの足踏み体操をお願いした。
ももを腰のベルト辺りまで交互に持ち上げる体操だ。腸腰筋が鍛えられ転倒防止にも役立つはずだ。
最近のオっくんはめまいに襲われることがあったりして、運動不足が目立っていたのだ。腰周りの筋肉の力が急速に衰えている事も考えられる。

腰椎以外の部分の矯正は、逆にどの人よりも要求するオっくんなので、めまいの元凶、三半規管の血行不足に対応する椎骨動脈の流れを左右する頚椎の矯正はバッチリ。

明日、オっくんの様子がどうなっているかだ。問題は、、、。





日本と戦う

2009-02-27 17:08:20 | 本日の抜粋
 
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西部  マクロ的に言って、日本人は戦後、アメリカに対する恐怖心と依存心、それがアマルガムになって、そこに国民心理がズブズブ浸かってきた。ですからアメリカが怖いし、アメリカの言う通りにしなくちゃと思う。同時にアメリカに依存してますから、これはもうアメリカから何か命令が来ればアメーバーのようにすぐ反応するんですよ。(中略)
 アメリカに対する依存と恐怖と言いましたけれども、これはアメリカに限らず、企業や経営者に対して従業員が持っている依存と恐怖、その他もろもろも同じです。(中略)
宮崎  アメリカに対する依存と恐怖というものは一つの心理の中で通底しているんです。逆に言うなら、だから嫌らしいんですね。
 あらゆる日米間の問題に関してメディアの中で議論する際に、メディアの論調の根底には「日米同盟は善だ」という暗黙の了解があるために、誰も彼もが「私は日米同盟に賛成します」というエクスキューズをしてからでないとものを言わないんです。だから本質的な議論ができず、部分的な議論ばかりになってしまう。
 この構図は他の問題にも及んできていて、例えば郵政民営化問題についても、「郵政改革に私は賛成だけれども」というエクスキューズをしてからでないと意見を言わなくなってしまったんです。
 この腰の引け方が私はどうにも気に入らない。

鈴木 宗男  宮崎 学  西部 邁 『日本と戦う』より 講談社

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いつの頃からか本の買い方が変わった。ほとんど買わなくなったと言ったほうがいいかもしれない。
長年手元に置いていた本を古本屋に持っていったところ、以前の感覚はなく、これぞと言う本にとんでもない安値をつけられた。気に入った作家の本にも馬鹿みたいな安値が付いていたりする。自分で持っているにも関わらずあわてて買ったりして、、、。

普通の本屋さんに行っても、飾りつけばかりで、買いたい本を決めている時はともかく、時間をかけて物色する気にはなれなくなった。

そんなこんなで、本は図書館で見つける。ブックオフで105円のコーナーだけを物色する、という味気ないものに変質してしまった。

その徳さん愛用の105円コーナー。
105円だから買ってみる本というのが当然ある。
それがこの本。
お3人に失礼だって!
う~ん。そうかも知れない。
だけど、しょうがないでしょ。
こんな、一見むさ苦しいおっさんたちの鼎談を普通の感覚では読む気がしないでしょ。
これも、おっさんたちが批判しているマスメディアのビジュアル追随の結果なんでしょうな。徳さんもマスメディアに汚染されてる。

ともかく、日頃政治などに興味のない徳さんにとっては、松下政経塾出身の代議士批判、世襲議員批判など、いくつか参考になり申した。

のっぽ腰痛な、エっくん

2009-02-25 20:11:29 | 本日の患者さん
徳さんが逆立ちをしても、エっくんの腰痛は味わえない。

エっくんの身長は180センチを超えている。
最近若者の身長が急速に伸びたからと言って、日本ではのっぽの人に対するインフラが追いついていない。
お気の毒なことである。

作業台があったとして、それは低すぎる。エっくんは腰を曲げて作業せざるを得ない。
かくして、エっくんの腰椎の並びはあるべき前湾を失うだけでなく後湾になってしまっている。
エっくんの腰椎を触診するまでもない。
“恐竜の背中”と徳さんは呼んでいる。
実際に恐竜のそれを見たわけではないが、エっくんの背骨を実際に触れると、そのぼこぼこした感触は恐竜の背中と思えてくるのだ。

エっくんの背筋は必要以上の労働を強いられていることになる。疲れやすく、腰周りの筋肉は緊張しぱなっしになっている。限度を超えれば強い腰痛が待っている。
若いエっくん。もうすでに3回激しい腰痛に見舞われたことがあるそうな。
椎間板にも異常な角度で圧力が掛けられ続けることになり、その末路には椎間板ヘルニアが待っている。

いいかげんエっくんを脅し上げたところで、エっくんには脚を組む習慣を止めることを誓って貰いやした。
屈まざるを得ない作業が一段落した時点で伸びをしてもらうことも誓って貰いやした。

注文ばかりで、ごめんね、エっくん。

NORAH JONES

2009-02-24 18:27:29 | 本日の楽曲
このところ音楽に関してだけは、徳さん、青春している。還暦過ぎて、、、、。

事の発端は、新井英一というおっさんのブルース歌手だ。
『オオカミ狩り』というどすの利いたCDに出会って、いいな、いいなといろいろ漁っているうちに、自分でも口ずさんでみたいな、という曲があった。
「二月のソウル」
軽快で、渋くて、どこか物悲しい。在日韓国人、新井英一ならではの心情がにじみ出ている唄だ。
その新井英一、徳さんにとっては一つだけ欠点がある。
どすの利いたしわがれ声にくせに、キーが高いのだ。CDについて唄うことが出来ない。カラオケ屋さんには当然、マイナー曲として無視されている。

どうすればいいか?
自分で楽器を始めるしかない。自分用にキーを落とせるからだ。
徳さん、ギターを選んだ。

恥ずかしながらギター練習を始めたんだよと、患者さんにしゃべっているうちに、ギター好きな兄ちゃんが数人、参考書をコピーして持って来てくれるやら、CDやDVDを貸してくれたり、果ては今使ってないからとエレキギターを置いていったり。施療室に置いてあるギターで見本演奏だってあり。音楽環境が一人歩きしてくれてる。有難たや。

おかげで、狭く肩肘張った徳さんの音楽の好みが、乳軟剤を浴びせられたように、この短期間で範囲が広まった。

このノラ・ジョーンズもそう。
このアルバムの〝I've Got To See You Again〟が特にお気に入り。旋律と彼女の声質にサンドイッチされ徳さんはご満悦。

就寝時脚がつれる、ウっくん

2009-02-23 17:40:22 | 本日の患者さん
今年、77歳の喜寿を迎えるウっくんは、過去に大病を患っているので、健康管理には気を配っていらっしゃる。
一度膝を悪くしてからは定期的にカイロの施療に見えている。
低空飛行で何とか墜落しないように生きていきましょう、を合言葉に。

大きな肺の手術を受けているので肺活量は人の半分以下である。
日常の行動には差し障りないようなのだが、動き回るわけにはいかない。
ちょっとした坂でも息が切れる。
それでも自転車でのんびり自宅付近を散策するのを日課にされている。

多少太り気味なウっくんだがそれ以上の運動を要求するわけにはいかない。
しかし、運動不足の影響は受ける。

就寝時、ふくらはぎがつれるのもそのせいだ。

筋肉がつれるというのは、酸欠状態になった筋肉が痙攣することによって血液の流れを回復しようとする、筋肉側の自己救済の手立てなのだが、つられるご本人はたまったもんではない。
強いつれだと筋膜が傷み、しばらくは尾を引く。
当然、睡眠も邪魔される。

ウっくんには、ダメもとでオマジナイをお願いした。
寝る時に、足元を心臓より高くして貰う。座布団を二つ折りにした物でもよいし、枕を足元に置くだけでもいい。
脚を冷やさないように湯たんぽかホカロンを使うようにしてもらう。
床に就いた時、仰向けのまま、足の指や、足首を動かすようにしてもらう。

今回はオマジマイが効いたようである。

ウっくんは健康に気を配る人だが、ガチガチの健康志向ではない。
毎晩一合の晩酌を楽しみに日々を過ごされている。
そんなウっくんのお酒を断たない老後の生活振りを、徳さんは老後の目標にしている。

BACH  TO AFRICA

2009-02-22 18:23:31 | 本日のしりきれとんぼ
今日は日曜というのに営業のほうは暇だ。

こんな日はどうするか?

季節柄、花粉症にやられてる目の周りを手でこする。
やってはいけないと思いつつも、一度こすりだすとしばらくは止めれない。
こすればかゆみが誘発して、こする誘惑が強くなる。
一見、還暦を過ぎても童顔の徳さんだが、目の周りだけは毎春のこすり上げで、目は窪みがちで、下瞼のしわがたるんで来てる。
徳さんの顔を老人顔にしているのは花粉症めである。

読みかけだった、北方謙三の小説『杖下に死す』を治療用ベッドに横になって読む。読了する。
江戸末期の大塩平八郎の乱に題材をとったものだが、主人公は大塩親子ではなく、平八郎の養子の友人だ。平八郎の乱を、はすから見れる設定になっている。
読後感はさわやかである。友情のあり方がよい。主人公の剣が強すぎるのが気に入らないが、これも小説ならしょうがない。

いい加減気持ちがさわやかになったので、さらに、もう、一服。
『LAMBARENA-BACH TO AFRICA』というCDを聴く。
バッハ音楽とアフリカのガボン共和国の伝統音楽のコラボレーションだ。
まさかという取り合わせだが、すごい合体力。
知らない生物が、知らない声で、知らない音楽を感動的に奏でてるとでも言えばよいか。

徳さんの自己治療の一端でした。


午後七時過ぎまでは酒を飲まない。
じっと、我慢の徳さんである。

おっと。我慢してて良かった。
新患さんが見えた。

不妊治療中なイっくん

2009-02-21 19:30:14 | 本日の患者さん
今までの運動不足などを反省してヨガを始めたのだけれど、足を投げ出したまま上体を起こすことが出来ない。
後ろに引っ張られるように倒れてしまう。
というのが、イっくんの主訴。

背骨を拝見しながら話を伺っていると、現在、不妊治療中だとおっしゃる。
イっくんがカイロに見えたのは、背筋のそんな状態を改善できれば、との想いに限定している。

不妊治療に徳さんが、というよりカイロプラクティック士が口出しをしていいものかは、ちょっと、悩ましい問題ではある。
何しろ日本ではカイロプラクティックは未公認の世界だ。
問題が起これば刑事訴訟となる。権威どころか、その発言には何の保証もない。

だが、カイロプラクティック士として、伝えなければならないことは伝えなければならない。それが現在の法律を逸脱する事になっても、、、。

イっくんの担当産婦人科医、不妊治療にあたっている先生方は、イっくんの卵巣機能、卵管の状態を精査し、体外受精を考えておられるようだ。
それはそれで進めてもらって、上手くいけば万々歳である。

徳さんがイっくんに伝えたのは次のような簡単なことである。

現在やっている不妊治療はそのまま継続してください。
それに、次のような考え方を加えて下さい。

受胎には女性側の問題としては女性ホルモンが関係します。
そのホルモンはより上位の性腺刺激ホルモンの支配下にあります。
卵巣機能、卵管機能だけの問題にしては解決しません。
脳の底の方にある脳下垂体のある部分が性腺刺激ホルモンを出しています。
脳下垂体への血行が悪ければ、当然、その機能は落ちるでしょう。
結果として、卵胞ホルモン、黄体ホルモンなどの女性ホルモンが正常に産出されなくなっている事も考えられます。
ホルモンは血液を介して運ばれます。
脳下垂体へ送られる血液は椎骨動脈といって頚の骨の両脇にある穴を通っています。
イっくんの背筋の弱さが、頚の角度に影響して、椎骨動脈の流れを邪魔しているようです。
イっくん、背筋を鍛えることも、不妊治療に繋がると思って下さい。







広島風お好み焼きと広島お好み焼き

2009-02-20 18:41:53 | 本日のしりきれとんぼ
徳さん、かなり憤慨している。
こんなことで一人憤慨してもしょうがないと思いつつ、食い物の恨みは根が深い。出来た人間になれるのはまだまだ先のようである。

徳さん、広島のお好み焼きにはかなり思い入れがある。
中高時代と大学をやめてから6年間を広島で過ごした関係で、広島のお好み焼きにどっぷり嵌った時期がある。大げさに言えば青春を共にしたと言ってもよい。
中学時代は何かと言ってはお好み焼きの出前をとってもらっていた。
高校時代は学校帰りにお好み屋さんに立ち寄るのが日課だった。
大学時代は帰省の折は実家に帰り着く前にお好み屋さんに寄るのが常だった。
「まったく、お前は家よりお好み焼きの方が大事なんだから」と母に言われたりしてた。
就職してからは職場近くのお好み屋さんで昼食をとるのが、これも毎日。およそ、飽きると言うことがなかった。
当時の徳さんの肉体の何分の一かは、広島のお好み焼きで創られたと言っても過言ではない。

上京してからは広島のお好みを諦めるしかない。何しろ広島お好み焼きやさんが一軒も無かったのだから。(30数年前の当時、キャベツの価格変動が激しく誰も東京に進出しょうとする人がいなかった、と聞き及んでいる)
仕方ないので、家で焼肉プレートを利用して、らしきものを作ってお茶を濁してた。

それが、ここ10年来、東京にも広島のお好み屋さんをチラホラ見かけるようになった。
喜ばしい限りだ。
徳さん、新しい店を見つける度に足を運ぶようにしている。
しかし、満足したことは無い。どの店も何かが欠けているのだ。
豚バラ肉の使い方が違っていたり、ひっくり返したお好みの皮の下で具を蒸らすのが上手く出来てなかったり、、、。

それでも小さな満足は得ていた。
お店の方も、満点ではないことを自覚してか、看板には広島風と書かれてるのだ。
文句を付ける筋合いは無い。

それがですね。
一昨日行った店は看板に『広島お好み焼き****』と書いてある。
開店したばかりで花輪も飾られている。客もたくさん来ている。

誰だって期待するよね。
何しろ、堂々と〝風〟の文字を外してある。
何たる自信。うちはそんじょそこらの広島風お好み焼き屋さんとは違いますよと。

期待を裏切られるのが徳さんの人生、といっても、これがひどかった。

お好みの皮を丸く伸ばせない。デコボコの皮の上に乗せるキャベツの量も少ない。塩コショウは使わない。ヘラで上手くお好みをひっくり返せない。周りにキャベツを飛ばしあげる。片手で卵を割るもののそれを上手く伸ばせない。散らかった具をお好みの上に載せ、かけるソースで誤魔化すようにしている。客に断りも無くマヨネーズを振りかける。

作る過程でうんざり。
味は当然、大まず。

看板に〝風〟の一文字だけは入れてくれよな。

写真は、まさかそのできの悪いお好み焼きを店の人の前で撮る訳にもいかないので、家の冷蔵庫にあったそばに代用願いました。このそばさんも、こんな使われ方をしてさぞかし憤慨しておられるだろう。

室内掃除で矯正可能な、アッくん

2009-02-18 20:47:50 | 本日の患者さん
もう何ヶ月も、アッくんの上部胸椎の関節の動きは悪かった。

一つの関節を矯正する方法を徳さんたちカイロプラクティック士はいく通りか学んでいる。
そのどれを試みても最近のアッくんの上部胸椎の関節は動いてくれなかった。

それが今日はいとも簡単に軽い操作でパキパキと連続音を出してすんなりと矯正出来た。
うろたえたのは徳さんの方である。

何故だ?

いろいろ話を聞いてみると、アッくんは昨日頑張って自分の部屋の掃除をしたのだそうだ。
面倒くさがり屋のアッ君が自ら掃除しようと思ったのであるから、アッくんの部屋のホコリの積もり具合はかなりなものであったのだろう。

アッくんはアレルギー体質でハウスダストにも敏感に反応する。
そのアレル源を除去したことによって、呼吸が楽になり、アッくんの上部胸椎を取り巻く靭帯や筋肉の緊張が緩んだとしか考えられない。

ついつい難しく物事を考えがちな我々だが、改善法は実に下らない日常の行動だったりして、、、、。

ラオスは戦場だった

2009-02-17 21:58:04 | 本日の抜粋
 
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J.F.ケネディ暗殺から40年―。アメリカのメディアは「ケネディ神話」を語ることを止めないが、そのケネディがラオスで何をしたのかを問うメディアはない。無論、アメリカ市民の中にもそんなことを問い直す人などいない。彼らは思い出したくない過去にはかたくたに眼をそむけるのだ。ケネディは「ラオスは大国を魅了する国ではない」と言った。アメリカ人には、ラオスに対する興味も知識もない。アメリカ人にとってはラオスなど、せいぜい戦争アクション映画の背景でしかない。ベトナム戦争当時の不発弾で戦争終結から30年たった現在でも年間100人以上の人が死んでいることなど、アメリカでは誰も知ろうとしない。かつてアメリカに反共戦士に仕立て上げられて戦ったモン特殊部隊兵士とその家族30万人が、国を追われ、アメリカの片田舎で必死に英語を学んでいることなど、誰も興味を示さない。ラオスは平気の実験場であり、モンの人たちはチェスのコマでしかなかったのだ。
 小国が大国に蹂躙されるのは当然のことなのだろうか?小さな国の小さな村に生まれた人の命は大きな国の大きな町に生まれた人の命より価値が低いのだろうか?
 べトマム戦争当時人口300万だったラオスに390万トンの爆弾が投下された。ひとりあたり1.3トンである。北ベトナムから南ベトナムに兵員と物資を輸送するためのホーチミン・ルートのほとんどがラオスに作られていたいたからだ。ラオスにベトナム軍はいないと革命の英雄ボー・グエン・ザップは公言そてきた。しかし、それは嘘だった。
 悲しいのは、アメリカに誇らしい勝利をおさめたベトナム軍が戦争終結後もモンを目の敵にしたことだ。1998年5月25日、ローンチェン付近でベトナムの国防次官以下26名を乗せたYK-40機が墜落する事件が起きた。彼らはモン掃討作戦を視察中だったのである。
 2004年の今も、ベトナム軍のモン掃討作戦は続いている。ロシア、北朝鮮の新兵器が投入されだした。これはコミュニズムからの民族浄化である。
 いつも大国のエゴのしわ寄せは小さなもの、弱いものへと順番に回ってくる。彼らには悲しみを伝える術がない。

竹内正右 『ラオスは戦場だった』より めこん

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一風、変わった写真集である。と最初に印象付けられた。

抜粋部は作者のあとがきから。

この手の写真集なら、普通は作者の感情移入の姿が伝わってくるのが普通だ。
なのに、ここにおさめられた何十枚の写真は、妙に淡々としている。まるで管制下のの報道のようである。戦場を扱っているのに、それに付き物の残虐な場面は皆無だ。淡々と新聞に載せれる範囲の時事的写真を並べている。

これは何を語っているのか?

もしかしたら、それを見る我々の想像力を問うてるのかも知れない。
と思って、ようやく腑に落ちた。
さりげない光景の裏側を君たちが想像しなさい、と。

5年前に出版された写真集だが、30年前の出来事を扱っている。

そして30年後の現在、世界の構造は寸分の狂いなく、イラク、イラン、パレスチナ、スーダン、エチオピア、、、、、、、、、、、、、、、日本、を呪縛している。