カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

勢古浩爾 『最後の吉本隆明』

2013-09-30 17:29:28 | 本日の抜粋

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 だが、はっきりいうと、吉本隆明が読めているとか読めてないとかは、わたしにはどうでもいいことである。どうでもよくはないのだが、字面だけでの理解などどうでもいい。批評的な解説などどうでもいい。吉本の思想の根本がわたしの血肉になるかならないかだけがわたしにとって重大である。(中略)どんなことでもひとりで徹底的に考え、いけるところまで考えぬこうとした本気の思想者といえば、わたしには十分である。
 しかし、その肝心の三部作さえおまえは読めてないではないか、というのは正しいのだが、あなたもくどいね、と思いつつ、読めないものは読めないのである。たとえ読めたからといって、それがなんだ、というのである。(中略)
これまでに書かれたすべての吉本論は、全部「読めた」吉本論ばかりである。わたしは「読めなかった」吉本論を置くことになる。開き直っているといわれてもかまわないが、そんな吉本論も必要だと考えるからである。かれらは吉本論を書いて、よし、一丁あがり、かもしれない。
わたしはいつまでも、一丁、上がらないのだ。

 勢古浩爾 『最後の吉本隆明』より 筑摩書房

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読んでいる本の内容が完全に読みこなせなくても、惹かれる著者もしくは本というのがある。

勢古は吉本の何に惹かれたのだろうか?

いかなる権威にも畏れることない、公正さに裏打ちされた精神の強さにまず惚れた。
やがて諸作品を読むうちに、その思想に惚れた。
その思想に惚れたというより、生活者感覚を根っこで手放さない、ある意味では謙虚な、そして多くの知識人にとっては厳しい考え方に惚れた。

勢古は、分からない、分からないと呟きながら、全作品を網羅し、成育歴から日常の振る舞いまで、自身の感想を述べながら紹介している。

吉本の思想を、そして人柄を知るには絶好の案内書になっている。



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村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

2013-09-28 16:56:04 | 本日の抜粋

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 嫉妬とは――つくるが夢の中で理解したところでは――世界で最も絶望的な牢獄だった。なぜならそれは囚人が自らを閉じ込めた牢獄であるからだ。だ劣化に力尽くで入れられたわけではない。自らそこに入り、内側から鍵をかけ、その鍵を自ら鉄格子の外に投げ捨てたのだ。そして彼がそこに幽閉されていることを知る者は、この世界に誰一人いない。もちろん出ていこうと本人が決心さえすれば、そこから出て行ける。その牢獄は彼の心の中にあるのだから。しかしその決心ができない。彼の心は石壁のように硬くなっている。それこそがまさに嫉妬の本質なのだ。

 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』より 文藝春秋

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正直言って、徳さんには余り響かない小説だった。

文章は巧いのだから、読み出したら止まらない、という調子で読んでいるのだが、、、。
肌合いが違う、、、としか言いようがない。

主人公が、シティーボーイ風のたたずまいなのが、いつまで経ってもなじまない。
これも、嫉妬の一種なのか、、、。


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浅草橋

2013-09-25 18:58:45 | 本日のしりきれとんぼ


古くからの友人と押上で会うことになった。
会うといっても、そのほとんどの時間は飲むのに費やされるのだが、、、。

時間に余裕があったので、途中駅の浅草橋駅周辺を散策した。

駅のそばに神田川が流れている。
なるほど橋が架かっていて浅草橋と書いている。
、、、というほどに徳さんは東京知らずなのだ。

東京都に住みだして40年近くになるが、多摩地区を離れた事がない。
少なくなったとはいえ、緑がある気がするからだ。
で、都心部に対しては常におのぼりさん。

画像のように、川の両端はビルが埋め尽くされている。
屋形船が多数係留している。
花火を見たり、川端の風景を楽しみながら宴会を催したりするのだろう。

やっぱり、江戸時代のこの近辺の風情を想像してしまう。





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『朽ちていった命』NHK「東海村臨界事故」取材班

2013-09-24 16:47:05 | 本日の抜粋

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 平井は語る。
「病気が起きて、状況が徐々に悪くなっていくのではないんですね。放射線被爆の場合、たった零コンマ何秒かの瞬間に、すべての臓器が運命づけられる。ふつうの病気のように血液とか肺とかそれぞれの検査値だけが異常になるのではなく、全身すべての臓器の検査値が刻々と悪化の一途をたどり、ダメージを受けていくんです」

 NHK「東海村臨界事故」取材班 『朽ちていった命』より

     *******************

1999年、茨城県東海村で臨界事故が起きた。
核燃料濃縮過程で核分裂が連続的に起きてしまった。
その瞬間、作業員3名の体内を、放射線の中でもっともエネルギーの大きい中性子線が突き抜けた。
作業員3名のうち2名が3ヶ月後、4ヵ月後に死亡。残る一人は重傷。

この本は、亡くなった一人の被爆治療記録だ。



この写真は、被爆後6日たった時点での骨髄細胞の染色体。
下の画像は通常の画像。
一目同然の瞬間的な破壊である。



染色体が機能できなくなると新しく細胞を作ることが出来ない。
細胞分裂が活発なところから順次影響を受ける。
まず、リンパ球を作れず、免疫機能がやられ、何でもない常在菌に無防備になる。
粘膜がやられ、消化器系が機能しなくなる。
やがて、皮膚が下から補充されず、剥き身の状態になる、、、。

医療チームは当時の最先端の知識と技術で必死に対応したが、患者の崩れ行く多様性とスピードに振り回されるばかりだった。

被爆の原因は、効率優先の人為的ミスだった。
原子力行政は、常にこの人為的ミスを前提に考えていない。

蛇足ながら、アメリカの開発した中性子爆弾は、この事故を意図的に行うものだ。



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見田宗介『現代社会の理論』その2

2013-09-22 18:24:27 | 本日の抜粋

      ***************  

 視える幸福とひきかえに視えない幸福の次元を失い、測定のできる幸福とひきかえに測定のできない幸福の諸次元を失う可能性の方が大きい。(中略)

 現代の「南」の人びとの大部分が貧困であることは事実だ。けれどもそれは、GNPが低いから貧困であるのではない。GNPを必要とするシステムの内に投げ込まれてしまった上で、GNPが低いから貧困なのである。

 見田宗介 『現代社会の理論』より

      ***************


スーザン・ジョージの『なぜ世界の半分が飢えるのか』が引用されている。

 ***
 ドミニカに進出してこの国の全耕地の少なくとも八%を直接支配したガルファ・アンド・ウェスタン社は、現地の農民と契約を結んでいるが、「この契約によって、農民はその土地全部に砂糖キビを作付けすることを義務づけられ、その結果、食糧生産に当てる土地は皆無となる。」飢えた農民がこの契約に反して、土地の一部に自分たちの食料となるものを作付け他時は、軍隊が動員されて、「作物は根こそぎ引き抜かれてしまった」
 ***

で徳さん、そんな次第で、TTPには反対。

TTPは誰のためのものか。
グローバル企業のため以外になかろう。
政治家はわが国家のためなどと言ってるが、彼らは平気で(くに)、(民)を売る。



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コロッケの物理学

2013-09-21 17:12:56 | 本日の酒の肴


好物は何か?と聞かれたら、即座にコロッケと答える。
まあ、食い意地が張ってるので、コロッケの位置にたくさんの料理名が時と場合によってセットされるのだろうが、、、。

コロッケを作るときは、だいたい手伝わされる。
作るのが面倒だとの理由で敬遠されがちなので、徳さんも従順というか協力的である。

右手で小麦粉をまぶし、左手で卵に付ける。
さらに右手の小麦粉を払ってパン粉を付ける。
一連の作業はスムースだ。
少し得意になる。

なんて事をやっているうちに、最後の具が少し残ってしまった。
コロッケらしい形には出来ない。
ええい!丸めてしまえ!

で、、、。
揚げてる途中で、小さな爆発音がして衣が剥がれてしまった、、、。

衣が先に揚り、具ととの間の空気が膨張したのだ、とは、後追いの理屈。

ハンバークは中央をへこませ気味に、コロッケは中央を厚めに。
でも、決して丸めてはなりませぬ。
物理学が許して呉れませぬ。


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見田宗介 『現代社会の理論』

2013-09-20 18:49:48 | 本日の抜粋

     ***************

 **
資本主義という一つのシステムが、必ずしも軍事需要に依存するということなしに、決定的な恐慌を回避し繁栄を持続する形式を見出したということ、この新しい形式として、「消費社会化」という現象をまず把握しておくことができるということである。

 ** 
 二〇世紀の末の現在、レイチェル・カーソンのこの新しい戦慄を、いくらか「時代おくれ」のものであるように感じる人は多くなっている。それは書かれていることが、解決され、すでに存在しなくなっているからではない。反対に、多くの国々で、ふつうのことになり、だれもそのことに注目しなくなったからである。気づいても、新しい戦慄の声を挙げるということを、しなくなっているからである。人間たちもまた沈黙してしまったからである。あるいは、われわれの中の感受性も、声を挙げるということをしなくなったからである。

 **
「水俣病」事件史の決定的な分岐点である、一九五九年一一月という時点は、巨視的な社会構造の変動という視点からみても、決定的な屈折点だった。前述のとおり、もしこの時点で、厚生省側の調査結果が封じられずに活かされていれば、悲惨な被害の大半部分は、未然に防ぐことができた。(中略)
(一九六八年)電気化学から石油化学への転換の中で、この旧式の製造工程が、最終的に「用済み」となったのである。つまり、被害を予防することにとっては全く射目がなくなった時点になって、初めて原因が認定されている。生産の効率優先という政策のテレオノミー(目的指向)の露骨な貫徹である。

 **
 現代の情報消費社会のシステムの原理上の矛盾のこのような、「福祉」という補完システムによる手当ては、国家により時代によって、十分に近い水準でなされることもあり、ほとんどなされていないこともある。この量的な水準の上下はもちろん、じっさいに多くの人々にとって切実な問題である。けれども、この量的な水準の上下とは関わりなしに、この社会の原理的なシステムによっていったんは外部化され「排出」された矛盾の、第二次的な「手当て」であり「救済」であるという構造は、この「福祉」という領域を、基本的に傷つけられやすいものとしている。機器の局面にはいつも、「削減」や「節約」や「肩代わり」や「自己負担」や「合理化」の対象として議題の俎上にのせられれものとしている。

 見田宗介 『現代社会の理論』より 岩波新書

     ***************

徳さん、学ぶばかりで、コメントはほとんどない。

この本は現代の、ということは現代資本主義の光と闇を検証した上で、未来を構想している。
しかし、道は遠い。

戦争なしに資本主義を成り立たせることに世界は一応成功した。
しかし、世界は、大国の代理戦争めいた地域紛争で覆われている。
 
そして、先進国の資本主義(そう、資本主義ってのは先進国の仕組みと言い換えていい)は収奪する事のできる対象国、地域があって初めて成立する。
収奪の対象は地球規模の資源にまで及び、今なお争奪合戦を繰り返している。

自分たちが立っている氷山は日に日に薄く脆くなっているのに、足元の見えない部分での変化に気づいていても見ぬ振りしてサルカニ合戦をしている、、、。


本日のおまけ

2011/6/17の朝日新聞の見田宗介へのインタビュー記事を見つけたので参考まで。
徳さんの抜粋は恣意的なので、この本が何を言いたいのかは以下のインタビュー記事がコンパクトにまとめてくれてる。


***

 資源の大量採取や他民族からの収奪に歯止めをかけなければ人類に明るい未来はない。だが自由な社会を手放すことなくそれは可能か。この難題に力強く「イエス」と答えたのが、見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)だった。冷戦後に提示され、「美しい」とさえ評された論考の原点は、冷戦下の“東側”にあった。

    ◇

 74年に僕は欧州を放浪しました。

 社会主義国・チェコスロバキア(当時)のプラハで学生たちと夜を徹して話し合う機会がありました。印象的だったのは、彼らが“西側”の自由な世界に強くあこがれていたことでした。

 当時、日本で“現代社会の理論”と言えば、「今の社会は資本主義だから悪い」という前提に立つものが主流でした。けれどプラハの若者たちはその資本主義にあこがれていた。「資本主義だから」「社会主義だから」という前提を取っ払ってみよう、と思いました。「どういう名であれ、人々が現実に幸福な社会ならばいい」とまずは考えてみよう、と思ったのです。

 人間が歴史の中で作ってきた社会を考えてみると、当時の資本主義社会は他の社会よりましと思えた。では、なぜうまく行くのか。理論的にきちんと考えた方がいいと思ったのが『現代社会の理論』のモチーフです。ずいぶん時間がかかってしまいましたが。

 結論は本に書いた通り、情報化と消費化の力だ、というものでした。

 昔の資本主義は恐慌が定期的に来て、それを避けるには戦争で需要を生み出すしかない、ひどい社会だった。けれど20世紀後半になると、大恐慌が起きなくなる。自由な欲望に基づく消費と、デザインや広告など情報の力によって、資本主義のシステムが需要と市場を自ら創出できるように変わったからです。もちろん、資源の有限性、南北問題のような収奪構造など、課題もある。しかし消費化は本来、生産至上主義からの解放であるし、情報化は本来、脱・物質化であるから、両者を組み合わせれば解決は不可能ではない。そう本に書いたのです。この本はカラッとした科学的な議論の本にし、「生きることの意味」など現代人の精神状況の問題は積み残しました。

 福島第一原発の事故で僕が驚いたのは、少し後の世論調査です。あれだけの事態でも、半数以上の人が原発を続けようと答えていた。原発に依存的な構造ができてしまっているのです。成長を続けなければ社会が成り立たないかのごとき成長依存的な社会構造、そして精神構造が根底にある。

一般に生物は、環境に適応したことで個体数が増え、続いて爆発的な増加を遂げたあと、環境の限界に直面して横ばいの安定期に入ります。そのように環境と共存する術(すべ)を持ちえた集団が、生き残る。

 地球という有限な環境下での人間も同じことです。実際統計を見ても、世界人口は増え続けてはいるものの、70年ごろを境に増加率は急激に減少している。人間社会は近代という「爆発的な増加期」を経験した上で安定の局面に入ったと僕は見ます。そういう歴史の「変曲点」を通過したのに、人々はまだそのことに気づいておらず、成長に依存するシステムと心の習慣から脱していない。これが現代の矛盾です。

 安定期に転じた社会で人々がアートや友情のような、資源浪費的でない幸福を楽しんでいる。それは本当にすてきな社会です。このことは『現代社会の理論』の次の展開として、現代人の孤独の問題などとともに、いま本にまとめています。(聞き手・塩倉裕)


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ノンチャンのふしぎな甘え方

2013-09-18 18:05:46 | 本日のノンちゃん


セロ&ニーニャを飼っている関係で、ノンちゃんの籠の外活動時間は一日2時間程度。
その間は猫達は他の部屋へ軟禁される。

鳥としてはノンちゃんは落第生。
籠から出されても飛び回ることはほとんど無く、床をノソノソ歩いては興味深そうなものを見つけては頭でつついている。

ノンちゃんの好きな事。
机や家具の上に乗ってるものを落とすこと。
かなり重いものでもチッチッと叫びながら頭付きで落としてしまう。

それともう一つ。
本人に確かめようはないのだが、人が撫でようとする手に向かって攻撃的な態度を取ること、が好きらしい。
頭を撫でようとすると、クァックァッとくちばしを開け攻撃態勢を取る。
決して逃げようとはしない。
こちらが止めると、不服そうな顔をして首をかしげる。

画像の人の手は九十歳になる母上のもの。
二人で延々とやっている。
最近、手指の動きがぎこちなくなって来たおふくろには、良きリハビリ相手である。




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残酷な夕焼け

2013-09-17 18:56:04 | 本日のしりきれとんぼ


昨日の関東地方の夕焼けはすばらしかった。
日本のど真ん中を縦断して猛威を振るった台風18号が駆け去った後のたそがれ時の一時。
空が洗濯されたとでも言えばよいのか。

この画像は残念ながら徳さんが撮ったものではない。
ネットで<昨日の夕日>を検索し、昨日のそれに近いやつを選んだ。
あしからず。
著作権を侵してるなら、メンゴ。

だって、この夕日に出くわした時は、新青梅街道を自動車運転中だったのだ。
バックミラーを覗いたり、信号停止の度に後ろを振り向くという状態だったのだ。

この日の夕日。
二つのことを思った。

ありきたりだが、自然の残酷さ。
あれだけの事をしておきながら、後はケッロッとして、美しい自然現象を差し伸べる。
だから人間は大地にへばりつくしかない。
そこに、神を見出したとて不思議ではない。
以前、小出助教が言っていたことを思い出した。
十数億年前、地球は強い放射能に取り囲まれてた。
それが長い年月を経て、地中に封じ込められて生き物が生きられる環境になった、と。
生き物は地球のごく表面でしか生きられないように出来ている。
それを、わざわざ掘り出して、自らを危険な目に晒している、、、。

この日の多様な色彩に出くわし、自分の色に対する言葉の少なさに驚いた。
32色の色鉛筆が限界で、なんとも情け無い。
昔の日本人は、もっと微妙な色に対する名前と形容詞を持ってたかに記憶する。


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日本農業新聞

2013-09-15 19:09:00 | 本日の贈答品


先日、知人から梨を贈ってもらった。
その包装箱の底に古い日本農業新聞が敷かれていた。
日頃手にすることのないので、隅々まで読んでしまった。
これが意外と面白い。

時節柄、反TTPの記事が多いが、一般紙と違って、そこに切実さと熱がこもっている。
画像は、農業面だけを強調しているのではないぞ!とばかりに医療面におけるTTPの不利益を解説したものだ。

微笑ましいのは、この特集の同じ紙面に、田んぼで遭遇したマムシ夫婦に関する投稿記事が載っている。
何でも、マムシの雌雄は仲がよく常に夫婦で行動するという。
一匹見つけ捕まえたら、必ず連れ合いを捜し求めるもう一匹がいるとの事。
マムシ夫婦の仲良しにあやかろうとの投稿である。

そういえば、夏の最初頃に西表に住む知人からパイナップルが贈られ、その時は八重山毎日新聞に見入ったのであった。

そんな事をしているうちに、昔、大掃除の時の事を思い出した。
畳をはがすと下に敷いてある古新聞が消毒剤を撒かれた状態で出てきて、掃除の手伝いをほったらかし読み入ったことを。
毎年、そんな事を、親に叱られながらやっていた、、、。


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