カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

高村薫 『神の火』 新潮文庫

2014-06-30 16:59:10 | 本日の抜粋

     ************

『ぼくは、今日は朝早く起きて、ジョイスのDublonersを読みました。ぼくはこの小説が好きです。そこにはいろんな人が出てきますが、一人一人がぼくの知っている叔父さんや叔母さんや、ぼくの町の誰かに似ています。(中略)
 友人は酒を飲んで寝てしまいました。ぼくはまだ眠くないので、これを書いています。ぼくは荷物を軽くしたいので、あまり本を買うことは出来ません。新しい本を買うためには古い本を捨てなければならないからです。ぼくは今五冊持っていますが、どれも捨てることは出来ません。。しかし、近いうちに何とかして荷物を減らし、もう一冊買うつもりです。どの本にするか考えるだけで、ぼくは楽しくなります。こういうふうにあなたにてがみがをかいているのも、ほんとうにしあわせなことです。
 また明日書きます。May Good bless you』
 島田は手紙を畳み、封筒に入れ直して自分のジャケットの内ポケットにしまった。他愛ない簡素な言葉の一つ一つではあったが、ていねいに書かれた文字とともに、何よりこの自分に充てられた手紙だというのが、不思議な気もした。これまで、さまざまな人間からさまざまな形の手紙を受け取ったが、警戒も下心もなく、用件も目的もなく、親しい人間に自分のことを語るように淡々と書かれたこんな手紙は一通もなかった。自分には縁のない美しすぎるものを間違って拾ったような気がし、内心少し慌ててもいた。

 高村薫 『神の火』より

     ************

すぐにでも映画化したくなるような、スリル溢れるスパイ小説であり、どんでん返しが用意されてるサスペンスなんだが、社会派科学小説の側面もある。
でも、それらを根底で支えているのは、抜粋部のような人間観察である。

三人の主要な登場人物はみな魅力溢れるが、描かれることの少ない、抜粋部の手紙を書いた青年が狂言回しの役となっている。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故時、技術者であった父が不明になり、放射能に汚染された瓦礫の中を捜し廻ったことで被爆し、余命いくばくもない。日本に渡り、原発が本当に安全かを確かめるために原発テロを画策している。
他の二人は心に大きな穴を抱えており、いつしか、その青年の意思を継ぐことになる。

そういえば、日本の原発って、テロを想定してなかったよね。

上野千鶴子がtwitterでつぶやいてる。
『原発を保有することは、いつでもテロリストが攻撃さえすれば、自分の国を滅ぼしかねない規模の「大量破壊兵器」を地雷のように自国の領土に埋めておくことと同じだ』

高村薫もこの本の中でさまざまな原発の危惧を各所に散りばめている。

  *****
 現実の原子炉では、すべての構造物は、それが損傷されない限度を幾重にも守るという発想で、安全性が保障されているに過ぎない。燃料棒の被覆管もその一つだ。この地上には、絶対に溶解せず腐食もしない金属は存在しない。そうである以上、ひとつの金属の強度は、絶対のものではあり得ない。ジルカロイー4も然り。応力に対する耐力や、円周方向引張歪みや扁平化などの累積披露はすべて厳重に計算され、試験されて設計されているが、それは原子炉が、計算された限度に従って運転されている限りの話ではないか‥‥‥。
  *****

  *****
すべての科学技術は本来、その運用にあたって完全という言葉は使えない人間の所産に過ぎないが、いったん壊れたが最後、周辺地域が死滅するような技術の恩恵を、人間はどれほど受けてきたというのか。原子力は、人間にどれほど必要な代物だったおいうのか、そう思い至ると、島田は回復不能の懐疑の闇に陥った。
  *****



本日のおまけ

集団的自衛権の話。
友人が教えてくれた、新恭(あらたきょう)という人のブログから転載。


5月8日の報道ステーションで、イラク戦争当時、パウエル国務長官の首席補佐官だったローレンス・ウィルカーソンへの興味深いインタビューが放映された。

イラク戦争時に日本が集団的自衛権を行使できていれば、米政府は日本に参戦するよう要請していたか、という質問に対し、ウィルカーソンは実に率直に答えた。

「要請したと思う。実際に我々は政治的支援か軍隊の派遣を求める戦略をまとめていた。もし日本がどこにでも派遣できる準備が整っていたら、私は日本から部隊を二つ送るとその戦略に書いただろう」

米国としては、財政難で軍事予算が削減されるなか、戦力の不足部分を補うため日本の自衛隊と共同作戦を展開したいのはやまやまだろう。

ウィルカーソンは言う。「こういった誤った情報による戦争は今後も繰り返される。われわれはまったく学んでない。米国は唯一の超大国だからイラク戦争のようなことはやるべきでないが、またやるかと聞かれれば、『絶対にやる』と言える」

日本が憲法を改正する手続きを省いて、解釈変更で集団自衛権の行使ができる国になるということは、すなわち米国に巻き込まれて、世界の火薬庫に足を踏み入れ、憎しみの連鎖の輪に加わる可能性があるということである。

それで本当に日本人は誇りが持てるのだろうか。ウィルカーソンは続ける。

「私は日本がいわゆる普通の国になるのを見たくありません。普通とは、10年ごとにあちこちへ戦争に行き・・・何人も人を殺す銃や爆弾を持って、石油などのエネルギーを追いかけるようなことです」

イラク戦争の当事者の一人だった米政府の元高官が政治的立場を離れたがゆえに言える良識的な言葉と受け止めたい。

おそらく、知日派米国人の多くが、わざわざ米軍の下請けをやれるように憲法解釈を変えるなんて馬鹿げたことだと、利害を離れた本音の部分では思っているに違いない。

日本はやっかいな首相を選んだものである。
 新 恭 


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高村薫 『神の火』

2014-06-29 18:16:59 | 本日のおまけ
今日はおまけのみ。
というのは、昨晩読了予定だった高村薫「神の火」が、硬質な文章に手こずり、まだ読み終えていないのだ。

この本が書き下ろされたのは1991年。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故を踏まえて構想された。
まだ、北朝鮮が核を持たない時点で「北」の核への固執が舞台背景の一つになっている。
原発がテロに出くわす想定といい、原発の将来を見通した先見性に満ちた小説だ。

その高村薫は福島原発事故後、様々な所で発言している。
集団的自衛権問題で、原発の問題がどんどんかすれていく中で、僕たちは何度も何度も、原発事故直後に立ち返らなくてはならない、、、。


  *****
NHK ニュースウォッチ9
2011年5月3日 インタビュー
『高村薫さんが語る “この国と原発事故”』
http://cgi2.nhk.or.jp/nw9/pickup/index.cgi?date=110503_1
大越):インタビュアー 大越健介NW9キャスター
ナレ):ナレーション
青字):高村薫

大越)一進一退が続く福島第一原発。今回の事故は私たちが原子力にどう向き合うべきかを考える上で大きな分岐点になったともいえそうです。
これまで原発を題材にした小説を発表し、その脆さや原発を巡る社会のひずみといったものを社会に問いかけてきた大阪在住の作家 高村薫さんにインタビューしました。

ナレ)作家の高村薫さん。25年前のチェルノブイリ原発の事故をきっかけに原発の持つ危うさに関心を持ってきました。
チェルノブイリ原発事故の5年後に発表された小説『神の火』。
原発の構造を徹底的に取材し、テロや戦争に対して脆弱だと警鐘を鳴らしました。
しかし今回、恐れていた事態が津波で引き起こされた意味は重いと考えています。

大越)原発がやられたんだ、と知ったとき、どういうことを考えましたか。

自分が生きている間に こういうことが起きるとは、よもや想像していなかったので、この先も日本が国としての形をちゃんと保って存続していけるのかというそれぐらいの瀬戸際に立たされている、それぐらい大きな事故だと思います。

ナレ)なぜ事故は避けられなかったのか。
高村さんは非常用のポンプや電源が屋外に設置され、対策が施されていなかったことに愕然としています。

『想定外』という言葉が使われましたけども、今回の場合にはそもそも想定しなければならないことが想定されていなかったという意味では『人間のやることには限界がある」以前の話で、やはり『問題外の事態』だったと私は思っているんですね。
『これで大丈夫だろうか』という想定をするときに、非常に恣意的に自分たちの都合のいいように作ってきた、という感じがします。
ですからこれは私は『科学技術のモラルの問題』だと思います。

ナレ)更に高村さんが厳しい視線を送っているのは政治です。
原発推進の是非を巡る対立、政治家が客観的データを元に論ずるより先に 
原発を政争の具にしてしまったと感じています。

村が二分され賛成反対に分かれて対立するような不幸な歴史がずっと続いていたわけですよね。
その中で 本当の技術的な問題が 結局私たちの誰も理解できないまま、あるいは正しい情報が出ないまま、になってきた。

ナレ)高村さんは2005年に発表した著作「新リア王」の中で原発の誘致に携わった政治家に こう発言させています。
『電源多様化を名目に わが国では代替エネルギーとしての原発増設に拍車がかかった。疾走する原子力事業に対して政治は時どきに正しい舵取りを成し得たのか否かだが、答えは少々心もとなかったと言わざるをえない。』

この日本の原子力政策が行われてきた半世紀というのは55年体制と同時でしたので、原発の問題が常に賛成か反対かに分かれて、それが常にイデオロギーと一緒にされてきた。それが非常に不幸なことで、私たちは消費者あるいは国民としてイデオロギーや政党色を置いて、技術、まさに科学技術として どのような現実的な評価が行われてきたか。それを知りたいんです。

ナレ)そして事故が起きた今こそ判断に必要なデータがあると指摘しています。

『この地震国で原子力発電をするときのコスト』を もう一度冷静に計算し直してみる必要が絶対にあると思います。たとえば耐震化工事にかかる費用、あるいはこういう事故が起きたときの補償や賠償の費用、その上で私たちが それでも原発を使うのか、それこそ私たちの選択にかかっているんだと思います。

ナレ)最終的な選択を迫られるのは私たち自身だという高村さん。
日本のエネルギー政策や暮らしのあり方が問われていると考えています。

私たちが今できるのは 逃れられない現実に耐えて見つめ続けるか、
あるいは目をそらして無かったことにするか、逃げるか、なんですね。
私は、逃げてはならない、と思います。
現実に福島で 生まれ育った土地、仕事も家も子供もある土地を追われて 今日明日にも逃げていかなくてはならない方たちがおられる。それを無かったことにして、時間がたてば元通りになるという根拠はどこにも無い。

大越)これだけのことがあっても 今の豊かな電力供給を原発が担っている以上は 私たちはそれに乗っかって生きていくという道を無意識に選択している人も多いですよね。

これまでと同じように生きるという選択肢は無いんだと思っています。
私自身は 今すぐには無理ですけれども 10年というスパンで考えたときには、日本は(原発から)脱却して次のエネルギー社会へ進んでいくべきだと思っています。
原子力発電という技術を否定するものではありませんけども、
『日本は地震国なので無理だ』と。そういう理由です。

大越)高村さんは「自分は科学技術に対して全面的に信頼を持って育ってきた世代で、科学技術というものを前向きに評価している」ということでした。
そこで この震災を機に次世代のエネルギー社会を作るという夢を掲げて一歩抜け出すことを日本は考えるべきではないかと話していました。
原発を徹底的に取材して警鐘を鳴らしてきた作家の良心がそう語っているように思いました。
  *****



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他流派の宣伝、その②、均整関節体操

2014-06-28 20:09:21 | 本日のこういうのが好きだ
すごく真面目で、地味な整体の先生が健康のために取りまとめた体操である。
興味のある人は、youtubeで「均整関節体操」で検索して下され。

東洋医学系のその先生は、静かに豪語している。
人間のあらゆる疾病は、筋肉のバランスを取り直すことによって、ほとんど改善されると。
カイロプラクティックの主張と似たような所が多々ある。

今回、この体操を知ったきっかけは、二人のへバーデン結節かも知れないという、二人の患者さん。

一人は、徳さんに、自分はネットであれこれ調べたけど、よう判らん。
お前、調べとけと。

もう一人は自分で何でも探求派。
この体操に出あった。
冊子とビデオを購入した。
でも、地味でなんて事ない体操なんだが、それ故に過酷な体操には付いていけない、、、。
と、ぼやくので徳さんがしばらく借りる事にした。

感想は、たじろいだ患者さんと同じ。

でも、体の総合体操としては、NHKの第一体操より老年向けで、これはお勧め体操。
なんとか、世に出てきてもらいものだ。

へバーデン結節に関しての説明は、東洋医学に基づいた考え方で、腎経が骨に関係してて何やら、、。
いくら経験論の積み重ねだと言っても、現場には通用しない理論でした、、、。

でも、これが現代人の人体改造に役立つ事だけは保障します。

恐ろしく地味だぞ~。
だからこそ信用出来る。



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独歩の苦労、オンたん

2014-06-27 17:22:36 | 本日の患者さん
身体障害者で車椅子に乗らずに、なんとか一人で歩く人のことを「独歩」という。
少なくとも、40年前はそう呼んでいた。

どうも、この人たちの苦労が軽く見られている気がしてしょうがない。
車椅子に乗ってないことで障害が軽く見られ、体を左右に揺さぶりながら歩く苦労は見過されがちだ。

オンたんから急遽、施療の希望が入った。
本来の予約は明後日である。

オンたんは脳性まひ(CP)で右上肢の筋緊張が強く、右股関節が先天的に脱臼しており、10センチ程足の長さに左右差がある。
オンたんは、立川の住まいから、新宿の会社に通っている。
殺人的な混雑で有名な中央線で。
シルバーシートの存在は、ほとんど役に立たない。

施療室に入ってきたオンたんは、汗だらけで苦しそうに喘いでいる。
背中を中心に全身に傷みが走るんだそうだ。
聞くと、火曜から連続三日間、中央線に遅れがあり、車内の混雑はひどく、オンたんは、手すりに捕まって立っているのがやっとの状態だったと言う。

そして今日、耐えきれずに会社を休んだ。

ラッシュ時の、健常者にとっても耐え難い混雑は、いつしか当たり前になっている。
そんな状態下では、誰が一障害者の存在に気を配るだろうか?

でも、ここに工夫の余地はないのか?

出社時間をずらす、自宅労働の範囲を拡大する、など、打つ手はありそうだ。
もちろんこの社会は、そんなことに真剣に取り組んで呉れないが、、、。

この時、問題なのは、独歩障害者の自意識である。
いつか、健常者と同じように、、、なんて健常者であることが当たり前、の考え方に無意識下でより添うおうとしてしまう。

自分を認めよ、という障害者の主張は、軽度(とされてる)の人ほど、この世のしがらみの中で揺れ動いている。


独歩時代の無理な体の酷使によって、いち早く頚椎損傷をきたし、寝たきり状態になっているかつての独歩障害者を、徳さんは何人も知っている、、、。





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鈴木神社

2014-06-25 19:18:06 | 本日のこういうのが好きだ
小平市の鈴木町は広い。
昔の土地支配の関係なんだろう。
徳さんちも鈴木町にあるが、昨日、訪問した老人健康保険施設も同じ鈴木町にあるのだが、端と端にある関係でかなり遠い。

昨日は母の入所手続きと、家族面談でその老健を訪問したのだ。
あらぬ緊張のためか時間を錯覚し、徳さん、約束の1時間前に着いてしまった。
突如、生じた一時間。
近くを散策することにした。

で、見つけたのが、その空間だけ古代に帰るような神社、鈴木神社。
道を隔てて、由緒のありそうなお寺さんのある。
こちらは中世。

周りは、武蔵野の雑木林を開発(伐採)して出来たのが周辺の、何処にでもある住宅地である。

その一画だけが鬱蒼とした森に囲まれ、落ち着いた雰囲気をかもし出している。

近代社会が気軽に手を出せなかった、日本の心情の源泉の一つだ。



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介護老人保健施設(老健)

2014-06-24 18:51:41 | 本日のしりきれとんぼ
今日、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。

もう駄目かなと覚悟していた母の体調がこの10日間ほど、多少自力でものを食べるようになり、低空飛行ながら安定してくれている。
このまま、入院生活を続けるのはもったいないと、病院の医師、医療ショーシャルワーカーが老健なる所を紹介してくれた。
今日は、家族が面談する日。

この半年、ベッドに寝たきり状態だった母を、入所したその日からベッドから離すという。
日中は車椅子に乗り、普段着で暮らすという。
横になるだけの生活だったのが、そこにはリハビリあり、レクレーションありと、結構忙しげな日常が用意されている。
近所の幼稚園児が押しかけてくれる日が設定されていたり、プロの音楽家(徳さんも知っておりました)が月一でボランティアで歌唱指導にやって来るともいう。

一瞬、びっくり。
今の母にそんなことが出来るのかと、、、。

びっくりが収まって、少し冷静になって考えて見ると、色々納得していく。

医療現場と介護現場の違いだ。

医療現場では、あくまで病気を対象にして、その行為には生活復帰への段階を追った配慮が許されない。

介護現場では、生活面での配慮はあるが、そこに医療行為の必要性が生じた途端に自らの行為を止めねばならぬ。

現在は、その役割分担の中で、良心的な人々が苦労している、っといった所か、、、。

理想をいえば、全部をひき受ける、総合医療介護システムの確立なのだが、、、。




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円地文子 『女坂』 新潮文庫

2014-06-23 18:21:35 | 本日の抜粋

     ***********

まだ山形に勤めているころ、夏の夜どうしたことか夫婦の寝ている蚊帳の中に小さな蛇がはいっていたことがあった。ふとめざめて白川は浴衣の胸のあたりに、冷やりと水のような感じをうけた。おかしいと思って手をやるとその冷たさがするすると滑り出した。
 白川が声を立てて飛び起きると、倫(とも)もおどろいて身を起こした。枕もとの行灯を引きよせて、火皿を向けると、夫の肩に黒い紐のようなものがぬらりと光ってたれていた‥‥‥。
「蛇!」
 と白川が叫んだのと、倫の手がのびて夢中のその生きている紐を掴んだのと一緒だった。
 倫は白川ともつれるように縁へ出て開けてあった雨戸から、庭にそれを投げた。倫の身体はふるえていたが、寝間着の衿のはだけた胸にもあらわにした手にも、いつもの倫が封じて見せまいとしている生々しさが逞しく匂っていた。強気な白川は、
「何故捨てる‥‥‥殺してやるのに‥‥‥」
 と倫を叱ったが、倫の情熱を感じながら、白川にはもうそのころから倫が愛情の対象にはなりにくくなっていた。自分の強気の一枚上をゆく強さが倫にあるのが、けぶたくなじめないのだった。
 
 円地文子『女坂』より

     ***********

いや~、この本を読むのは辛かった。

まず、新潮文庫の活字が極端に小さい。
昭和36年に発行されたとある。
1961年といえば徳さんが14歳、中学生の時である。
その頃は、だれも現在のような高齢化社会を想定できず、読者の老眼の心配を誰もしなかったろう、との推測は成り立つ。
しかし、この本の人気はしっかりとあり続け、徳さんが図書館から借りた本は46刷目とある。
今から24年前の版である。
その頃には老人がすでに繁茂していただろうに、新潮社さん、老人に愛を!
徳さんは、天眼鏡を利用しながら読んだのだぞ、、、、。

もちろん、本当に辛かったのは、この本に描かれている内容だ。

ただ今現在、マスコミ等で槍玉になっている鈴木章浩都議会議員。
尖閣諸島に上陸するといったパフォーマンスしかできないような情けない都議だが、その鈴木氏を数百倍濃縮した怪物が明治時代にはゴロゴロしてた。

それが、この小説の主人公、倫の夫である。
かの悪名高き、福島管領、三島の副官との設定である。

倫の価値観は、最終的には家を守る、しか与えられなかった。
そのためには、当時の男尊女卑の社会のもと、倫には過酷な人生が用意されていた。

家の中に妾を同居させる。
それも、二人も。
男はその人選を妻である倫に委ねる事まで平気で要求する。
これは倫にとって地獄絵でしかない。
まさに、究極のDV.
しかも、白川は息子の嫁にまで手を出す始末。

ジェンダーとしての男は、環境さえ整えば気軽にこんな世界に平気でワープするんだ!と自戒した次第。

でも、円地さん。
最後に、落とし前をつけてくれた。

 *****
「豊子さん、おじさま(夫である白川行友のこと)のところへ行ってそう申し上げてくださいな。私が死んでも決してお葬式なんぞ出して下さいますな。死骸を品川の沖へ持って行って、海へざんぶり捨てて下されば沢山でございますって‥‥‥」
 *****



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さじ状爪のニーたん

2014-06-22 19:06:13 | 本日の患者さん
20年前に胃の全的手術を受けたニーたん。
職場のストレスが原因で胃潰瘍になったとおっしゃる。

ダンピング症候群などを克服して、食事にも気をつけ、ジョギングを日課として、80歳、まずまずの健康状態を保っておられる。

ただ最近、手指の何本かの爪の様子がおかしい。
ピンクであるはずの爪の色が灰黒色に、膨らんでいるはずの爪がスプーン状にえぐれている。
徐々に進行しているとおっしゃる。
胃摘出手術を受けた者の後遺症の一つらしい。

心配性のニーたん、(だからこそ胃潰瘍になってしまったのだが)当然、それらの知識はある。

ビタミンB12の不足には人一倍気を使っていたいたのだが、、、。
なかなかに生き物の体は、一度こじれるとその扱いが難しい、、、。


胃を取ると、時間をかけて腸がその働きを代行してくれる、と単純に思い込んでいた徳さん。
生半可な知識は事実を歪める、という一例ですな、、、。


なんでも、胃酸には血液の成分である鉄を吸収するのを手助けする能力が備わっているという。
その働きを援助するのが、ビタミンB12。
胃にはビタミンB12を吸収する能力が備わっていたということだ。
という事らしい。



本日のおまけ

『差別と日本人』と言う本を読んで、今まで知らなかったある事件の存在を知った。
関東大震災時の、虐殺の一例だ。
共同体に危機意識が襲うと、日常ただの人々がこんな狂気に陥る。
『福田村事件』という。
以下、ネットから。



『福田村事件』恩讐超え、真相究明へ

 関東大震災の直後、デマが飛び交う首都周辺で、六千人を超える朝鮮人とともに、六十人近い日本人が虐殺された。その中に、県人が含まれていたことは、あまり知られていない。売薬行商で千葉を訪れていた女性や幼児を含む九十人が、自警団という名の普通の人々になぶられ、利根川に沈められた。現場の地名を取って「福田村事件」という。彼らは、なぜ死ななければならなかったのか。七十七年という時を経て、ようやく事の真相をただそうという組織が、千葉、香川両県で立ち上がった。今回は、差別が生んだ悲劇と言われる同事件の過去と今を追う。
「今生きる者の役目」香川の動きに千葉呼応

心に刻む会
 その場所はありふれた閑静な田園地帯だった。七月二日午前八時半。生い茂るケヤキの並木からセミの鳴き声が聞こえていた。
 解放同盟千葉県連合会や同県人権啓発センターが中心となった「福田村事件を心に刻む会」の設立総会が野田市の福田公民館で開かれるのに合わせ、香川から参加した県人権研究所の喜岡淳事務局長に同行、事件の現場を歩いた。

 ●現場へ
 あの日早朝、一行は約十二キロ先の福田村にある三ツ堀の渡しを目指して宿を出た。重い荷物を積んだ大八車を引いての移動。四時間程度はかかったと推定できる。一行はやっとの思いで渡し場近くの香取神社に到着し、休憩を取った。そして悲劇は起こった―。
 渦中の神社は当時と同じ場所にひっそりとたたずんでいた。入り口には数人が腰掛けて休んだ鳥居。コケむした姿が歳月の流れを伝えていた。生い茂る木立は涼しげな木陰をつくる。あの日と同じように。
 神社前の細い道を下るとほどなく利根川の河原に出た。襲われた一行が無我夢中で走って逃げた道だ。殺害現場となった渡し場は今はなく、河原は一面のゴルフ場。水神さんを祭った小さなほこらが、かつて渡し場だったことを静かに語りかける。どこにでもある河川敷の風景だった。

 ●温度差
 「正直言って、千葉と香川とではかなりの温度差があります」。一行が泊まっていた中野台の宿場跡を案内してくれた千葉県人権啓発センターの市川正広副理事長は、移動中の車内で率直な心情を吐露した。
 加害者側の苦しい立場は想像に難くない。「時代背景と異様な群衆心理」という逃げ道があるとはいえ、殺人犯を出したという過去は触れられたくない汚点。「望んで寝た子を起こす人はいないでしょう」。市川さんが地元の難しい空気を代弁する。
 「でも、被害者と加害者という立場の違いだけではないですよ」。解放同盟千葉県連合会の鎌田行平事務局長によると、千葉には被差別は少なく、行政の動きも鈍い。「人権問題が社会問題として認知されていない」という。
 「刻む会」の設立総会にあたり、事務局は事前に地元のマスコミに案内を出した。しかし当日、取材に訪れる社はなかった。

 ●元村長
 設立総会は順調に進み、七月下旬に香川を訪問することなどが決まった。意見交換に移ると、最前列に座っていた老人の手が静かに挙がった。新村勝雄さん。昭和二十二年から三十二年の合併まで福田村村長を務め、後に野田市長。事件当時は五歳の子供だった。
 「個人としてですが、被害に遭われた香川の方々に心からおわび申し上げます。事件の真相究明は今を生きる私たちの役目。地元の一人として最大限の努力をしたい」。声を震わせながら語った新村さん。ひと際大きな拍手が会場を包んだ。
 しかし、気になる言葉があった。「個人として」。地元の空気を如実に伝える一言。「本来なら地元がこぞっておわびすべきだが、そうなっていない」。新村さんはそう付け加えた。

 ●一里塚
 「加害者の糾弾が目的ではない」。香川側の代表として登壇した喜岡さんはこの一点を強調した。「たまたま福田村で発生したが、差別や偏見が蓄積されればどこで起きても不思議ではない。真相究明への取り組みを通じ、千葉と香川が互いに人権先進地を競うぐらいになればいい」。
 「悔しい死に方をしたご先祖様が、千葉と香川をつなぐいい縁を与えてくれたと考えたい」。千葉側からは鎌田さんが訴えた。「痛みを伴う作業にはなるが、今回の取り組みをきっかけに千葉から差別をなくす運動の輪を広げよう」。
 「言葉が違う」と鳴らされた半鐘。「違う目」で見られる理不尽との闘い。「差別が今なお続いている現実をどう受け止め、私たちは何をすべきなのか。真剣に考えていきたい」。設立総会の最後、刻む会の代表に就く吉川アイさんの叫びが会場に染み渡った。



差別が生んだ悲劇 妊婦や幼児ら9人虐殺

一行が休憩を取った香取神社。数人が腰を下ろした鳥居は当時の面影を伝える「生き証人」だ=千葉県野田市三ツ堀
一行が休憩を取った香取神社。数人が腰を下ろした鳥居は当時の面影を伝える「生き証人」だ=千葉県野田市三ツ堀
概要と経緯
 惨劇は、大正十二年九月六日に起きた。関東大震災から六日目。一帯には戒厳令がしかれ、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などという流言が飛び交っていた。  舞台は、千葉県東葛飾郡福田村(現野田市)。香川からの売薬行商の一団が地元民に襲われ、女性、子供を含む五家族十五人のうち九人が惨殺された。今なら香川側でも大騒ぎになる事件だが、歴史のやみに沈む。「福田村事件」だ。

 ●方言が発端
 事件を掘り起こした元高校教諭石井雍大さんらの研究成果を基に、悲劇を再現すると―。  残暑が厳しい日だった。荷車に薬や日用品を積み、幼児を乗せた一行が、福田村三ツ堀の利根川の渡し場に近い香取神社に着いたのは、午前十時ごろ。
 大人たちは、既に玉の汗をかいていた。渡し場まで後二百メートル。団長が渡し賃の交渉を終えるまで、団員は休憩を取る。足の不自由な夫婦と一歳の乳児ら六人は、鳥居の元に腰を下ろし、ほかの九人は十五メートルほど離れた雑貨屋の前にいた。
 この十五メートルの差が生死を分ける。渡し賃の交渉過程で異変が起きた。「言葉が変」「朝鮮人じゃないか」。半鐘が鳴る。生存者の証言によると、駐在所の巡査を先頭に、自警団が「ウンカのごとく」集まったという。
 「どこから来た」。一行は抗弁する。「四国から」「日本人じゃ」。言い訳するほど「聞き慣れぬ言葉」に不審が募る。巡査が本署の指示を仰ぎに場を離れたのが悲劇の始まりだった。
 鳥居組は「逃げ隠れしない。十分に調べて」という態度だったが、雑貨屋組は抵抗の姿勢を示したのだろう。「やっちまえ」の怒号とともに惨劇の幕が開く。

 ●死者10人説も
 事件は凄惨(せいさん)を極めた。自警団のとび口が団長の頭に飛び、川に逃れ赤子を抱き上げて命ごいをする母親を竹やりが襲う。泳いで逃げる者は、船で追われ、日本刀で切られた。発砲もあったという。
 殺されたのは、二十歳代の夫婦二組と二歳から六歳までの子供三人、そして二十四歳と十八歳の青年の計九人。母親の一人は妊婦。「死者は十人」とする研究者もいる。近辺で続発した虐殺の中でも、最も悲惨な事件となった。
 鳥居の側にいた六人にも危険が迫った。全員、針金などで縛られ、川べりに連行される。投げ込まれる寸前、馬で駆け付けた野田署の警官に保護された。土壇場の救出劇だった。

 ●村ぐるみ
 現場は福田村だったが、襲ったのは同村と隣の田中村(現柏市)の自警団だった。「田中村の者が扇動した」との証言もあり、石井さんは「正確には福田・田中村事件だ」という。
 無論、襲った側も無傷では済まない。八人が殺人罪で逮捕され、三年から十年の懲役刑となる。が、大正天皇の崩御、昭和天皇の即位に伴う恩赦で、全員、間もなく釈放される。
 背景には、彼らを保護する時代の空気があった。取り調べの検事は「彼らに悪意はない。ごく軽い刑を求めたい」と新聞に語り、村は弁護料を村費で負担。村民は義援金を集めたり、農作業を手伝うなどして留守家族を助けた。
 犯人は村の「代表」の扱いだった。事実、中心人物の一人は、出所後、村長になり、合併後は市議も務めたという。
 こうした千葉側の雰囲気は、事件をタブー視する空気を醸し、香川側の地元村や県も、なぜか「事件はなかった」かのように扱う。こうして九人の死は、近親者の胸の中にしまわれた。

 ●差別の視点
 「差別の本質を明らかにする事件だ」。研究者の努力で浮かび上がった事件の輪郭に敏感に反応した団体がある。解放同盟県連三豊ブロック連絡協議会(中嶋忠勇議長)と県人権研究所だ。
 行商の一行は、全員が三豊郡内の被差別の出身者だった。「誤認殺人かどうかは別にして、怪しければ排除していいという考えがあったのでは」「県や村がなかったことのように扱ったのは、差別ではなかったか」という疑念が生じたからだ。
 両団体は現地視察を重ねて知見を集める一方、行政にも呼び掛けて三月、真相を究明する調査会を発足させた。この二日、千葉側が設立した「心に刻む会」は、これに呼応する組織。
 事件発生から七十七年目にして、ようやく被害者、加害者双方が心を通わせるテーブルができた。これからは、双方が共同してどこまで真実を発掘できるか。そして、遺骨も墓もないという被害者の慰霊をどう実現するかが、焦点となる。



インタビュー 県歴史教育者協議会会長・石井雍大さん


いしい・ようだい 昭和32年から36年間、高校で教べんをとる傍ら、県内戦後史の発掘に努めた。平成5年、坂出高を最後に勇退。近現代史専攻。著書に「香川の戦後史発掘」など。坂出市在住、66歳。
目に見える慰霊急げ

 ―調査の動機は。
 石井 千葉の友人から、「野田市で間違って殺された日本人の中に香川の人がいたらしい。調べてくれないか」との依頼があったのが、きっかけ。

 ―事実関係はすぐ分かったのか。
 石井 いや、なかなか分からなかった。

 ―手掛かりは。
 石井 被害者のリーダーの氏名が分かった。心当たりのある姓だった。訪ねると、位はいがあり、その裏側に「大正十二年、千葉県ニ於テ震災ニ遭遇シ三堀渡場ニテ惨死ス」とあった。遺族の聞き取りなどから生存者も分かった。

 ―生存者がいたのか。
 石井 いた。が、関係者は高齢。調査はリミットだった。聞き取りができたのは、事件当時二十二歳だったFさんと十四歳だったOさん。Fさんは、手記をしたためていた。B4ほどの和紙四枚に。

 ―それは大きい。
 石井 真相解明の力になった。手記の内容とOさんの証言が一致したし。

 ―手記はなぜ。
 石井 千葉地裁で始まった裁判の裏取り。事件の一カ月ほど後、丸亀区裁検事局に呼ばれ、調書を取られた。そのメモだ。

 ―事件は再現できたか。
 石井 歴史は事実の積み重ね。書類や裁判記録など一切ない中で、生存者の追跡と当時の新聞、一般的な朝鮮人虐殺関係の資料で歴史を構築した。ノンフィクション程度にはなった。

 ―結果について。
 石井 事件の大きさにがく然とした。

 ―地元に伝わらなかったのは被害者側も語りたがらなかったからではないか。
 石井 私の聞き取りからは、そういう印象は受けなかった。

 ―被害を言い募るのが普通だが。
 石井 みぞうの天災に、朝鮮人騒動。それに巻き込まれた。「しようがない」と思っていたようだ。

 ―被害者の証言か。
 石井 ひどい話だが、間違われたのはしようがないと。当時の人権意識には、限界があった。

 ―九人も殺害された。大ニュースだ。関東周辺では報道されたのに、香川には伝わらなかった。被害者が被差別出身だったことと関係はないか。
 石井 それは、後で分かったこと。事件当時、千葉側にその認識はなかった。

 ―震災後の全国の被害調査で、県は事件はなかったかのように扱っている。差別が見えないか。
 石井 地元の村長は、地区の人が行商に行っていることを知っていた。県から報告を求められた際、調べる必要はあった。

 ―差別で事件が起きたのではないが、その後の処理は問題だと。
 石井 彼らが行商せざるを得なかったところに既に差別があり、事件後、報告なり慰霊なり、アクションを起こさなければならないのに、していない。

 ―事件への一定の認知ができ、双方でなんとかしようという所にはきた。
 石井 これは大きい。解放同盟の中嶋さんらがこの話を聞き「放っておけん」と立ち上がったことは、評価している。

 ―事件が社会的に認識されることの意味は。
 石井 差別に別の要素が絡まると、殺人にまで至る恐怖。もう一つは、国家がデマを流し、虐殺までさせてしまう怖さ。先日も石原東京都知事の三国人発言があり、今日的問題だ。

 ―今後の運動について。
 石井 まず、福田・田中村の人が謝罪しなければ。彼らはデマに踊らされた被害者でもあるが、手を下した責任は重い。目に見える形で慰霊をしてほしい。さらに、みんながこの事実を知ることも大事だ。

 ―記録を残す必要が。
 石井 記録を残して、学習する。特に、若い人たちに、教育の場でこの事件を教えることが必要だ。それで初めて恩讐(おんしゅう)を超えて理解し合えると思う。

◇黒島一樹、山下淳二が担当しました。

(2000年7月10日四国新聞掲載)




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野中広務*辛淑玉 『差別と日本人』 角川ONEテーマ21

2014-06-21 19:47:44 | 本日の抜粋

    *********

 さらに、私が「朝まで生テレビ!」とかマスメディアに頻繁に出るようになると、すごいことになったんですね。うちの会社に嫌がらせが殺到する、(中略)家族の住所も、どこで調べてくるのか、いろんな嫌がらせが来るわけですね。そうするともう家族は怯えてしまって‥‥‥。それで私は親と離れて暮らすようになった。
 それから何年ぐらい経ってかな、母親が私に「日本名で暮らしていいか」って聞きに来たんですよ。私は「うん、いいよ」って言った。もういくら頑張ってもダメだったから。そしたら姉から電話がかかってきて、「あんたが自分の正義感を貫こうとするために、家族がどんな思いをして生きているかわかっているのか」って言われた。(中略)
 私は、親がもっと楽に生きられるように、朝鮮人でもこの社会で生きていきたいと思えるように、そして自分自身も。私は朝鮮人だけだ、日本で生まれて幸せだったって言って死んでいきたいと思って頑張ってきたつもりだったけど、でも、なんか負けちゃったなって思ったんです。 
 
野中 わかるなあ。僕も同じだから。

 それで私、ほんとに頑張ったんですよ。

野中 そりゃそうだ。

 野中広務*辛淑玉 『差別と日本人』より

    *********

人を支配しようとする時、一番有効な手立ては、家族・親族への圧力だ。
かつて、そして現在も世界中のあらゆる権力が利用している方法だ。

現在の自称民主主義の下の日本では、異議を唱える本人には手出しをしない。
もっと、卑劣な方法を取る。
世間の反応に右往左往され、ある場合は自殺にまで追い込まれる関係者へ、無言の圧力を加える。
あいも変わぬ村落共同体維持装置だ。

実は徳さん、ある意味、このような村落共同体の復権を願っている。
相互扶助だ。

しかし、それにはただし書きがあって、それは相互扶助の理念に基づいているかどうか?だけが問われるようになっていなければならない。
共同体が異物、異者を排除する装置になっているとすれば、人としての敗北である。

信じたくないが、差別は水面下で日々様相を変化させて進化している。

人間は差別なしにやっていけぬ生物としての奇形児なのだろうか、、、。



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毅然とした老女装家、ターたん

2014-06-20 20:24:35 | 本日の路上観察
ターたん、などと気安く名付けてしまったが、実はまったく見知らぬ人。
通勤途中、乗換駅の西武新宿から、地下鉄丸の内線で二駅の道中を、かなり近い位置でご一緒させていただいた。
 
時間にして15分ぐらい。
徳さんはストーカーになってしまっていたのだ。

駅の階段を降りきった時点で、ターたんの後姿が目に入った。

くすんだ草色のリュックを背負った一人の老婆がいた。
灰色のワンピースで明らかな老婆なのだが、なぜかがに股で歩幅がやたら大きい。
変わったばあさんだと思った時、ターたんがふと横を向いた。

なんと!ターたんの鼻の下には、立派なちょび髭があるではないか。
その顔は、しっかり男性老人。

新宿界隈をたむろする奇妙なファッションにはほとんど興味を示さない徳さんだが、この時はかなりのショックを受けた。
そして、瞬時にストーカーになってしまった。

相手に悟られぬように、適度な距離を保ちながら、観察していく。
幸い、歩く方向は同じようだ。
長い白髪のおかっぱ頭の中央は禿げている。
履いてる靴は明らかに女もの、ソックスもしかり。
ん!女装家らしくブラジャーも着用している。
でも、ちょび髭を自慢してるかのような、立派な男性だ。

で、気になるのは、彼?のその毅然たる態度だ。
周囲の好奇の目を一切気にせず、昂然と胸を張って歩いてる。

地下鉄の電車に乗り込んだターたん、幸いにも空いてる席を見つけ、おもむろにカバンから分厚い書物を取り出し、これまた周囲を伺う事一切無しに本に没入していらっしゃる。

ストーカーとしては、何か声を掛けたかったけど、そんな事が許されぬオーラがそこにはあった。

一度、その女装老人を交えて酒でものみたいもんだ、、、。



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