ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

また一人・・・

2013年03月06日 18時53分01秒 | お仕事・・・
先日、ウチの職場の入居者さんが、またひとりお亡くなりになられました。
先月の初めに救急車で運ばれて入院されていた方でした。
私は家にいたのですが、職場から送られてきた訃報メールを見ながら、何とも言えない気持ちでいました。
そして、今回亡くなられたお爺さんとの出来事を、思い出していましたー

このお爺さん(Aさん)は、私がこの職場で働き出した時には、既に入居されていました。
背が高くスラリとした方で、年齢の割にはなかなかカッコ良い方でした。
このAさんとは、沢山の思い出があります。
勤め始めたばかりの私をとても気に入ってくれていた方でした。

当時はまだ普通に歩くことも出来たので、よく一緒にお散歩にも出かけました。
手を繋いで歩くと、とても嬉しそうだった。
大人しそうな見た目とは違って、実はかなりのエロ爺さんで、
入浴介助の時には、いつも、亡くなった奥様との夜の営みの話しを事細かく聞かされたりしました。
私が「Aさん、それセクハラですよ~。」というと、
「全く、最近の若いモンは、スグにそんな事を言う~。」と、ニタニタと笑っていました。

そうそう、よく脱走事件も起こしましたよね?
普段はゆっくりとしか歩かれないのに、あのフロアーから一気に外に逃げ出した時は、驚くほど速い動きで、
みんな一瞬、呆気に取られていましたっけ・・・
それから施設に連れ戻すまで、なが~い時間、外を散歩しましたよねー
脱走といえば、窓から逃げ出そうとされたこともありましたっけ!
自分の部屋からではなく、わざわざ他の方の部屋の窓から逃げ出されたのは、少しでも追跡を逃れるためだったのでしょうか?
あの時、あなたが大きな声で訴えた、
 「ワシは自由が欲しいんやーーー!!!」
今でも、ハッキリ覚えていますよ。

夜中の徘徊もとても多くて、夜勤に入ると、いつもあなたのおかげで私達スタッフは寝不足でしたよ。
幻聴や妄想も激しくて、訳の分からない事を喚いて訴えて、過去と現在、夢と現実がゴチャゴチャになって、
時々暴れましたよねー
夜勤をしていて、なかなか眠ってくれないあなたに疲れ果て、
もう開き直って、夜中にあなたと二人テーブルに座って、何時間も語り合った事も懐かしい思い出です。

あなたは、今住んでいるこの県と、昔自分が生まれ育った県が同じだと言い張る。
何を言ってるんだと、言い返す私。
海のないこの県なのに、すぐそこに海があるという。
そんなあなたと、延々と夜中に喧騒を繰り広げましたよね?
テーブルの上にメモを置いて、日本地図を書いて見せ、ペンでそれを指しながら、
私 「ココがAさんの故郷で、今いるのがココ。ね?全然違う所でしょ?」
A 「そうや。でも、ココとココは同じなんや!」
私 「なんでそうなるんですかあ~。 だからあ~。コレが日本でしょ?で、ココが○○県で、コッチが△△県。全然違う場所じゃないですかあ~。」
A 「それでも、同じ所なんじゃあ!!!
なんて不毛な議論を繰り返したことも、今となっては良い思い出です。

そうそう、「わしは戦争に行った!」といつも自慢げに言うあなたに、私、聞いたことがありましたよね?
「Aさん、従軍慰安婦問題って、本当にあったんですか?」
あなたは、複雑そうな顔をしながら、こう言われました。
「ワシはその頃海外に行っとって、日本にいた訳じゃあないからホントのコトは分からないが・・・・・     あったと思う・・・」
そう答えたあなたは、私の驚く顔を見て付け足しましたね。
「あの頃なら、そういう事があってもおかしくはないと思う。そういう時代やった・・・」
悲しそうな顔をしながらそう呟きました。
あの時、私は2つのことに驚いていたんですよ。
1つは、モチロン、従軍慰安婦問題があった。と言われたこと。
もう一つは、普段は認知症による幻覚や幻聴で脈絡のないことを話しているあなたが、とても普通にハッキリと話しをされた事ー

よく喧嘩もしましたよねー
夜中に突然部屋でパンツを下げて放尿を撒き散らすあなたに、
私 「何やってるんですか!」と、止めようとする私。
A 「放せ!これは、軍に入る入隊検査なんや!」
私 「そんな検査ありません!今はもう入隊する軍も日本にはありません!」
A 「うるさい!」
暴れるあなたを止めようとしてしがみつく私に殴ろうとしましたよね。
翌朝には、あなたの記憶からは、そんなコトは綺麗に消えていましたがー 

手こそ出さなかった物の、口喧嘩はよくしましたよね~。
私とあなたの言い合いは、よく他のスタッフに笑われていましたっけー

あなたが変わったのは、あなたが転倒して足を骨折して、入院先から帰って来てからでしたね。
あれほど元気だったのに、口数もすっかり減って、完全車椅子の生活に、あなた自身イラついていました。
手の動きも悪くなり、食事も自分一人で食べることが難しくなって、
またそれを伝えようにも、言葉も上手く出てこなくなって、
歩けない足、思い通りに動かない手、言いたいことも伝えられない口、思うように動かない自分の体に苦しんでいたと思います。
せめてものあなたの抵抗は、私達スタッフの手に噛みついたり、薬の服用を拒否したり、車椅子から立ち上がろうとしたりー
最後の方は、それすらすることが出来なくなってきていましたー

あなたが亡くなったと聞いた時、私は、悲しいというより、寂しく感じましたよ。
でも、私の記憶の中には、あなたと過ごした1年10ヶ月の思い出が沢山ありました。
昨年の、あなたの最後となった誕生日会。担当が私で良かったー
私のプレゼントの、あなたが生まれた年の出来事をまとめた壁飾りを、涙を流して喜んでくれました。
たとえスグにその事があなたの記憶から消えてしまっていても、少なくとも、あの時あなたが喜んでくれたコトは事実だからー
あなたが最後に救急車で運ばれた時、私が夜勤で良かったー
最後にあなたのお世話をすることが出来たからー

沢山喧嘩もしたし、お世話は大変だったけどー
私はあなたに可愛がって頂きました。

お葬式の日、私は仕事で行けなかったけれど、でも、1日あなたとの思い出に心巡らせていましたー
Aさん、安らかに眠ってください。
今頃は、あの世で山に入って大好きな猪狩りでもされているのでしょうか?
ずっと「ワシは、明日猪狩りに行くんや!」と言ってみえましたからね。

Aさん、一度だけなら、私が夜勤の時に出てきても許してあげます!
なんて言ったら、他のスタッフに笑われたけど、
もし出てきてくれたら、「ありがとうございました」と伝えたいからー
コメント (2)
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