ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

障害児教育の実情・・・(2)

2007年09月18日 12時26分29秒 | 子供・・・
小学校の入学前には、当時の小学校校長と、校長室で大喧嘩をしました。
女性の校長だったのですが、最後には、
「あんたに育てられる子供は不幸になる!」とまで言われました。
この話しをすると、校長なのにそんな事を言うなんてーと、言う方がみえるのですが、
校長の立場も忘れ、そんな言葉が出てしまうほど、壮絶な喧嘩でしたー。
ある意味、うわべだけでなく、まさに本音が聞けた喧嘩でもあったと思っています。
この校長、その翌年には定年退職されて、市の教育委員会に入られましたが・・・

入学してからは、
とにかく周りの子やその親さんに迷惑を掛けないことに最大の注意を払いました。
オシメの為に「署名運動しようか?」とまで言ってくれた親さん方の温かい気持ちに、
恩をあだで返すような事は絶対したくありませんでした!
よく教師は、子供の中で面倒見のいい子を、問題ある子の世話役にします。
まるで、”○○ちゃん係り”みたいなー
でも私は、それだけは絶対に許しませんでした。
私はその担当にされた子がいずれ負担になることを知っていました。

私が知ってる子は、
やっと学校に出てこれるようになった不登校児の世話役を教師から押し付けられ、
小中と、合わせて5年ものあいだ同じクラスにされ、我慢した結果、
今度はその子が負担に耐え切れなくなり不登校になってしまいました。
教師が問題ある子の世話役を子供に押し付けるのは、
単に自分が楽になるため意外の、なにものでもない!と私は思っています。

ですから私は、オシメの世話役を作る事は一切拒否しました。
(それでも、勝手に担当を作って、私と随分モメた担任もいましたがー。
また、オシメの為にも担当を付けられる事は決して良い事ではありませんでした。
担当の子が出来てしまうと、他の子は問題のある子と関わることはしません。
私は、クラス全員でオシメに関わることを望みました。
世話役が必要なら、私が学校へ行きます!と、前校長にも断言してました。

同級生の親さん達にも、出来るだけ不安がないように努力しました。
役員もすすんでやらせていただきました。
クラス全員の親さん宛てに、
私の考え(現状と普通クラスに入れた理由などー)を手紙に書いて渡しました。
顔を合わせれば、何か迷惑を掛けていることはないか、必ず尋ねました。
毎年の年賀状は、オシメと私の2人で書いた物を学年全員に出し、
みなさんのおかげで、オシメはここまで成長していますー。という報告をしていました。

1年2年は、毎日オシメと一緒に学校に通い、私は教室の床に座って一緒に授業を受けました。
その頃は同級生の親さんからよくウチに電話もありました。
子供の事での頼みごとや、心配事、子供の学校での様子など、
担任に直接聞きにくいことや頼みにくい事など、同じ親の立場の私の方が頼みやすかったようです。
私も親さん方の役に立てる事がとても嬉しかったです。
また、子供達ともとても仲良く出来ました。
子供達からは「オシメママは友達」と言われ、
親さん方からは「このクラスの副担任」と言われていました。
私自身、担任教師よりも子供達と接している時間が多かったので、
担任よりも子供達の事をよく知っていたと思います。
そして2年生の最後に、
私は先生に頼んで学年全員の子供にオシメの障害について説明する時間をもらいました。
それまで、子供達なりに不思議だったであろうオシメと私の行動の説明をしました。
みんなとても真剣に聞いてくれました。
いつもは先生の話もおとなしく聞いていられない子が、
このときは約1時間もの間、真剣に私の話しを聞いていて、
先生方が驚いていたことを覚えていますー。

3年生の担任は、元特殊学級に勤めていた先生でした。
その先生は、とてもよくオシメの面倒を見てくれ、私は学校に来なくてもよい。と言われました。

4年生の担任は、私が教室に行く事を拒否しました。
でも自分でオシメを見るのではなく、あれほど私がダメだと言っていた”お世話係”をつけ、
その後、随分モメました。
この辺りから、子供達に変化が現れ始めていたと思います。
3年の担任と4年の担任のオシメへの対応は全く正反対で、
子供達はどうしたらいいのか分からなくなってきたのだと思います。
この時、当時の校長とも随分話し合いました。
そして、5年の担任は校長が厳選した先生になりました。
そのおかげか、5年生は何事もトラブルなく過ごしました。
6年生になり、6月12日13日の記事に書いたイジメの問題が出てきましたが、なんとか治まりました。

中学に上がる時、私は自分の手術後の後遺症の問題があり、
これ以上オシメのフォローを続けて行く事はムツカシイーと思いました。
(まだ手術後2ヶ月ほどしか経っていませんでしたし、私も精神的ショックが大きかったんです。)
また、長年頑張ってきてくれた同級生の子供達をラクにしてやりたいーという気持ちもありました。
そして、オシメを特殊学級に入れることを決意しました。

中学は地域の中学にも特殊学級はありましたが、その学級には男の子が1人いただけでした。
私はオシメに女の子の友達を作ってやりたかったー。
だから、もう一つ選ぶ事が出来た、O中学の特殊学級を選びました。
(こちらには2つ上にオシメ程度の障害を持つ女の子が2人いました。)

 ー次は、中学の特殊学級の話しに入りますー。