私の記憶は水を飲んで意識が無くなった所から、川岸であえいでいる所まで記憶が無い。
主人に娘を渡されて引き上げた記憶は全く無いのだ。
後から気付いた事がいくつかある。
私は子供達を川岸に向かって必死で押していた。
でも流れに逆らわず、素直に流されていれば、僅か1m程で子供の足が届く場所に着いたのだ。
そして、主人もやはりパニクッていたのだろう。
川岸から子供達に手を伸ばさずとも、浮き袋が自分のすぐ横に積み上げて合ったのに、
それを使うことを思いつかなかった。
また、火事場のばか力というが、息子を放り投げた力はすごかった。
足の着かない水の中で、自分にしがみ付く息子を引き剥がし、
当時30㌔近くあった子供を高さ1.5mくらい、距離4mほども放り投げたのだから。
私が見た息子は、まるでスローモーションのように空中を飛ぶ息子だった。
この一件で、私はイロイロな事を思い知らされた。
分かっていたつもりだったけど
①どんなに泳ぎが上手でも、人間いざとなったらパニックを起こして泳げなくなることがある事。
(泳げない人ならきっと、もっと怖いだろう)
事故後、布団に入ると溺れた時の記憶が浮かんで眠れず、半年ほど苦しんだ私は、
②PTSDって、ほんとにあるんだって事。
(一緒にしちゃ申し訳ないが、神戸の電車事故でPTSDの人なんて、
ほんとに苦しんでるんだろうなあ。たかが溺れた程度で私は半年苦しんだ。
あの事故の時いた人達の苦しみはきっと半端じゃないと思う。
どうぞ、頑張って元気になって下さいね。遠くからですが応援してます。)
③溺れて死ぬ時って、思ってたほど苦しくない?って事。
(私の場合だけ?状況によるのかもしれないけど・・。 むしろその後のPTSDの方が苦しむ・・・)
④人間死ぬ時は過去の記憶が走馬灯のように見えるっていうけど、一概には言えないこと。
(私は子供や自分の命じゃなくてビーチサンダルの心配だったし・・・)
そして⑤、あれほど頼りにならないと思っていた主人が、ちゃんと私達家族を守ってくれた事。
(でも、それから数ヵ月後に少し強い地震があった時、
やっぱり主人はタンスを押さえていたのでした・・・)
主人に娘を渡されて引き上げた記憶は全く無いのだ。
後から気付いた事がいくつかある。
私は子供達を川岸に向かって必死で押していた。
でも流れに逆らわず、素直に流されていれば、僅か1m程で子供の足が届く場所に着いたのだ。
そして、主人もやはりパニクッていたのだろう。
川岸から子供達に手を伸ばさずとも、浮き袋が自分のすぐ横に積み上げて合ったのに、
それを使うことを思いつかなかった。
また、火事場のばか力というが、息子を放り投げた力はすごかった。
足の着かない水の中で、自分にしがみ付く息子を引き剥がし、
当時30㌔近くあった子供を高さ1.5mくらい、距離4mほども放り投げたのだから。
私が見た息子は、まるでスローモーションのように空中を飛ぶ息子だった。
この一件で、私はイロイロな事を思い知らされた。
分かっていたつもりだったけど
①どんなに泳ぎが上手でも、人間いざとなったらパニックを起こして泳げなくなることがある事。
(泳げない人ならきっと、もっと怖いだろう)
事故後、布団に入ると溺れた時の記憶が浮かんで眠れず、半年ほど苦しんだ私は、
②PTSDって、ほんとにあるんだって事。
(一緒にしちゃ申し訳ないが、神戸の電車事故でPTSDの人なんて、
ほんとに苦しんでるんだろうなあ。たかが溺れた程度で私は半年苦しんだ。
あの事故の時いた人達の苦しみはきっと半端じゃないと思う。
どうぞ、頑張って元気になって下さいね。遠くからですが応援してます。)
③溺れて死ぬ時って、思ってたほど苦しくない?って事。
(私の場合だけ?状況によるのかもしれないけど・・。 むしろその後のPTSDの方が苦しむ・・・)
④人間死ぬ時は過去の記憶が走馬灯のように見えるっていうけど、一概には言えないこと。
(私は子供や自分の命じゃなくてビーチサンダルの心配だったし・・・)
そして⑤、あれほど頼りにならないと思っていた主人が、ちゃんと私達家族を守ってくれた事。
(でも、それから数ヵ月後に少し強い地震があった時、
やっぱり主人はタンスを押さえていたのでした・・・)