ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

主人・・・(本性みたり?)

2006年05月12日 08時05分50秒 | 主人・・・
阪神の震災の時、我が家の辺りは震度4程度だった。
揺れると同時に私は子供3人を抱え込んで布団を被った。

揺れが治まってから、すぐ隣の部屋にいるはずの主人の様子を見に行くと・・・。
主人は大きなタンスを押さえていた。

「何してるの?」
「タンスが倒れてきたら危ないやろ!!」

おいおい、フツー、まず私達の元に駆け込んでこないか?
襖1枚挟んでいるだけだぞー。

この時、こいつはもしウチが火事になっても、私達のことは置き去りにして
自分だけさっさと逃げるな!と思った。

これ以後、私は何かあったら、子供を抱えてすぐ逃げる事のできるように、
常に枕元におんぶ紐を置いておく事になる。

この時、一番下の子がまだ生後6ヶ月だった。


手術後・・・(1)

2006年05月12日 08時01分48秒 | 私の病気・・・
術後3,4日間ほどは、あまり記憶が無い。
毎日、頭痛と吐き気に苦しんで眠ってばかりいた。

叔母が祖母の付き添いを変わってくれたので、母と妹が2人で私に付いてくれたのだが、
昼夜関係なく襲う頭痛と吐き気にうめき、暴れる私。
6時間おきしか飲んではいけない鎮痛剤。座薬や安定剤も出ていたようだ。
吐き気はしても、点滴だけだから吐くものもなく、胃液まで吐く。
点滴に、尿道官、背中の腰の辺りにも管がついているから、
2人で、体をさすったり、押さえつけたり、かなり大変だったようだ。

一応、完全看護で付き添いはいらないはずの病院だが、看護師だけでは、絶対ムリだ!
だいいち、あの状態で、ナースコールなんて押してられない!

何人か見舞いに来てくれたが、あまり覚えていない。
せっかく来てくれて申し訳ないのだが、それどころではない状態。
(今後、もし私が誰かのお見舞いに行く時は、術後1週間以後にしよう!と、後で思った。)

術後、7日目に背中の管を抜いた。
8日目には起き上がる許可が出て、食事も取れるようになった。
すると、今度は違った意味での苦痛が始まった。
排便だ。
体はまだ殆んど動けないから、当然、おむつである。
一応看護師も来てくれるが、生理まで来た私は、母や妹に代えて貰う事の方が多かった。
なにより、尿道官をつけて、ベッドに横になったままでは中々出ない!
やってもらっている方が言うのも申し訳ないが、あれはホントに嫌だ!
身内ならなおさら嫌だ。恥ずかしいのと申し訳ないのと・・・。
老人が嫌がる気持ちが、よーーーくわかった。

10日目のMRIの検査。
11日目にやっと尿道官をはずしてもらった時にはホントに胸を撫で下ろした。
車椅子で、トイレに行けるようになる。