Beauty and the Beast, solo piano version / 美女と野獣 ピアノ・ソロ by Pianeet
お盆を前に 里帰りもできないので、 手あたりしだい 旧知に近況を聞いてみたりしています。 ヒマなのよ。
「祖父が亡くなってさ~ 98歳だから 大往生なんだけど、 コロナで臨終どころか見舞いにも行けなくてさ~ オレ、 孫のなかでは 所帯も持ってないし、 たいした仕事してるわけでもないから、 なんかついつい疎遠になってたんだよね~ 近況とか聞かれるのがイヤでさ~ でも、 こどものころは 初孫だったから ホントめっちゃかわいがってもらってたんだよね~ 不甲斐ない孫で申し訳ないというか、 そんなことにこだわって 何十年もちゃんと会ってなかったじぶんに自己嫌悪っていうか」
わたしもおなじような思い込みで 恩師や同窓生に会ってないから 耳が痛い😣

こちらは 逢う価値のあるじぶんになったら逢いに行こう、 っていうようなことをおぼろに思い詰めてるんだよね。 なまじお世話になったり 愛情を注いでくれてた相手だけに、 しょーもない状態ではお目にかかれないっちゅーような。
自己保身も働いてるよね。 会いに行って 「将来どんな大物になるかとおもってたのに」 みたいなことを言われたら もう立ち直れないよね。 ふだんじぶんでつねづねおもってることを 尊敬してたヒトにダメ押しされるわけだから。

ただ、 親になってみると 子供や孫の子孫とよばれるヒトたちの誤算も感じてきます。
親って べつに こどもにたいした人物になってほしいとは おもってないんだよね。 祖父母なら 正直 孫が何になってようがいまいが どうでもいいことの分類になるんじゃないでしょうか。
いや、 そりゃ なんかの手違いで たいしたなにかになったらなったで うれしいこともあるんだろうけど、 だからって なににもなってないほかのきょうだいやまごとくらべて どうってこともおもわないし。
しあわせならそれがいちばん、 しあわせじゃなくても生きていたらそれでじゅうぶん、 生きていなくてもそこまで充実した人生があればなにもいうことはない。 悲しみの中で終わってしまった人生があれば なにかできたことがあるんじゃないかとかんがえる。 先に死ぬヒトのかんがえなんて そんな程度なもんです。 具体性はまったくないのよ。

うちの 外にだせばほめられる以外のことがない 成績優秀でいろんな才能を有するムスメは いまからせっせと うちのリフォーム設計図を引き 「将来はここは はぼのスタジオにする」 そうで、 どうも うちの財産は ムスメのひきこもりに 資することになりそうです。 老フーフは追い出されるのかしら・・・・ おとうとはインターフォンとして 外部との連絡に使うそうですよ。 とはいえ、 かわいげのあるうちのムスコは 発達障害やグレーゾーンをものともせず おそらく外でもかわいがられて 帰ってこなくなるだろうから、 そのときのはぼの反応がたのしみです😊 こどもって一粒でなんどでもたのしめるおもちゃ箱みたいな存在ですよね。

焼き鮭をほぐしたのときゅうりのあえもの、 鶏ムネと夏野菜のオイチリソース、 トマトのオリーブにんにくがけとなすといんげんのミートソースチーズ。
オットのはもフルコースがますます過激に。



かば焼きと塩焼き、 うざくならぬ はもざく? がオープンいたしました。

蜘蛛もがんばってる。 こわされてもこわれても。 しあわせかどうかなんてかんがえない。