京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

葛井寺(ふじいでら)西国三十三所霊場 第五番札所

2020年05月20日 07時54分00秒 | 日記
 大阪府藤井寺市にある葛井寺は西国さんの札所としていつも多くの参拝者で賑わう寺院です。

コロナの自粛で先月4月のご本尊ご開帳は無かったです。
しかし、この5月もコロナの影響は大きく参拝者は少ないです。



南門に当たる楼門は修復工事中です。


今日18日にお詣りに来たのは観音さまのご縁日であり、本堂に入堂出来る日なのです。

ご由緒については由緒書をご覧下さい。










下の写真は購入したA4版の写真からです。




なんと優美な観音さまでしょうか?
こちらのご本尊十一面千手千眼観世音菩薩坐像は国宝指定の仏さまで、実際に千本の手を持たれた観音さまです。
日本では奈良市にある唐招提寺と京都京田辺市にある寿宝寺の観音さま三躰のみ現存しています。

本堂の裏堂には解体修理の際の写真と説明の写真が展示されていましたが仏師の技量の高さが忍ばれます。

平成7年には本堂の大修復が行われ、屋根の葺替えと同時にご本尊のお厨子を耐火耐震の施された物にされました。





寺名に因み境内には藤棚が数カ所あり4月には大きな房の藤の花が咲きますが、先月は自粛しました。





本堂須弥壇のご本尊さまのお厨子右には聖観音立像が、また、左には地蔵菩薩立像がお詣りされています。







次にすぐ近くにある道明寺へと向かいます。
こちらにも素晴らしいお姿の十一面観音立像さま(国宝)が、おられます。



妙心寺退蔵院襖絵プロジェクト②

2020年05月18日 00時10分00秒 | 日記
 月刊文藝春秋6月号に妙心寺退蔵院襖絵プロジェクトの記事が掲載されているのを"絵師"村林由紀さんが6月12日のFacebookに投稿されていました。早速買い求め、自分なりの感想を記事にしてみます。





今回はその二回目です。
2011年からプロジェクトがスタートし9年の歳月が流れました。
壽聖院の襖絵の完成時には退蔵院方丈の襖絵の完成もそう遠くはないと思い定期的に"退蔵院襖絵プロジェクト"のHPや彼女のブログを見ていました。
(当初、プロジェクトの予定は三年間でした。)

400年を越える伝統ある退蔵院方丈5室76面の襖絵ともなると我々凡人の想像を遥かに超える重圧があったのだと思います。

これまでの間に禅宗寺院の専門道場に入り"禅"に打ち込み、禅の勉強や坐禅に傾注していく彼女の姿があったようです。
そこから何かを見出し、作品のヒントにしようと、もがき苦しむ彼女がいました。

やがて彼女は退蔵院を離れる決心をし、石庭で有名な世界文化遺産龍安寺へと製作の拠点アトリエを移します。

その事は知っていましたので龍安寺に行く度に職員の方や学芸員の岩田さんに村林さんの近況をお聞きしていました。

このプロジェクトの趣旨には
①若手の絵師を育てる事。
②後世に技術を伝承する事。
をも主眼に置かれたプロジェクトです。

このプロジェクトに関連して最高品質の和紙をすく技術の伝承や絵筆や岩絵具や墨、建具にも最高品質の物が用意されました。
日本絵画の伝統、また、それらに関連する用具作りの伝統・技術の伝承をも目的とされているのです。







(彼女が練習で描いた雀やカエルが巻物になっています。)

今やデジタル技術を使いオリジナル作品と遜色のない高精細複写を使った"ニセモノ(?)"を見せる寺院が増えているのも実情です。
しかし、それでは"絵を描き、そして伝える"と言う伝統は継承されないのです。

そう言う意味では現代に"御用絵師"を育てる試みは大変に意義のある事だと思います。

このプロジェクトに刺激されたのか退蔵院と、同じく妙心寺塔頭大雄院(だいおういん)の試みにも共感するところがあります。





大雄院にも若き柴田是真が滞在し、その時に製作した襖絵72面を所蔵されています。
今回のプロジェクトでは工期を三期に分けて宮絵師・安川如風さんが襖絵を描かれました。
一口千円から志納を募り、お寺からは特別の御朱印を授与して頂ける方法で資金を募られていました。


(その時に授与して頂いた御朱印です。)

お寺の試みとして非常に好感の持てる方法だと思います。

また、お寺は違いますが大徳寺の塔頭真珠庵では方丈の襖絵を修理に出されるのを契機に新しい襖絵を現代を代表する4名のクリエイターの方に依頼し、400年振りに新調されました。



この時、真珠庵では二千円からのクラウドファンディングを活用し、資金を集められました。




(その時に頂いた井野孝行さんのNHKアニメ"オトナの一休さん"の御朱印帳に山田和尚ご自身の自画像も書いて頂きました。)



現代のクリエイターの方の作品が果たして禅寺の方丈に相応しいのか興味津々に訪れました。
しかし、事前の先入観を呆気なく打ち砕かれるように"方丈に合っているなぁ"と感じるのです。



(室中は漫画家北見けんいちさんの作品"楽園"です。)

破天荒な禅僧だったと伝わる一休禅師も納得されているのでは、、、と思えて来るから不思議なものですね!



お寺は長い間、学問や文化芸術の最先端の場所でした。その意味では現代のアニメ文化を襖絵の題材にするのもまた、現代の文化のひとつなのだと思えてきます。

山田和尚も今回のプロジェクトを批判する人に対して「一度ここに来て見てくれて!」と言われていました。

曽我蛇足、長谷川等伯の方丈襖絵の修理が終わり真珠庵に戻って来てからはどうされるのかは分かりませんが、定期的には方丈にはめて欲しいです。

話が脱線してしまいましたが、退蔵院方丈襖絵プロジェクトの方も二室に対して松山大耕副住職のOKがようやく出て、この三月に完成したようです。

松山副住職が唯一課題とされた"五輪"の世界がどのように描かれているのか楽しみです。

※五輪とは仏教において万物を構成されると言われる五つの要素(地・水・火・風・空)のこと。

何の力にもなれませんが今後とも彼女を応援し続けて行きたいと思っています。
そして、退蔵院方丈襖絵が無事に完成した暁には、彼女が情熱と執念の全てを傾けた作品、また、その過程を味わってみたいと思います。

妙心寺退蔵院襖絵プロジェクト①

2020年05月16日 07時55分00秒 | 日記
 妙心寺の塔頭のひとつ退蔵院では方丈の襖絵を400年ぶりに描き換えるプロジェクトが2011年より始まりました。





退蔵院方丈の狩野派渡辺了慶の襖絵です。
傷みが激しくほとんどが取り外され保管されています。


今回、退蔵院の"御用絵師"に選ばれたのは京都造形芸術大学大学院を卒業されたばかりの当時24歳の村林由貴さんです。



退蔵院に住み込み、作務やお寺の業務をこなしながらの生活で、まさに"現代の絵師"としてスタートでした。

退蔵院襖絵に先駆けて同じく妙心寺塔頭壽聖院(じゅしょういん)のご住職(退蔵院の松山副住職の弟さま)からの依頼で本堂の襖絵を制作されました。今回、事前予約制で公開されました。


壽聖院には石田三成一族のお墓がありますが通常は非公開の寺院です。

















練習で描かれた雀や植物のスケッチの数々のほんの一部です。



そして完成した襖絵が上の写真にかる作品です。(作品は撮影禁止でしたので当時頂いた"月刊ミセス"の小冊子からです。)

日本の四季を題材に、そこに遊ぶ雀や蝶、鯉、雪を冠った松が生き生きと描かれています。

次は、月刊文藝春秋6月号に掲載された村林さんの記事を中心に書こうと思います。


奈良大和路⑯當麻寺奥院

2020年05月13日 06時01分00秒 | 日記
 當麻寺中之坊の拝観、牡丹園の鑑賞を終え境内最西にある奥院へと向かいます。





詳しいご由緒については頂いた由緒書きを参照して下さい。


奥院の由緒は、応永3年(1370)に戦火を避ける為に浄土宗の総本山知恩院のご本尊法然上人像をこちらに遷座されたのが始まりです。
法然上人のご生前のお姿を写した像で上人ご自身もお墨付きを与えられた尊像です。

今回は、奈良県観光局の「祈りの回廊」の一環でこの法然上人像をお祀りしている御影堂が公開されていました。
しかし、法然上人像がお祀りされているお厨子には幕がかけられお姿を拝むことはできません。
毎年、法然上人ご命日である2月24日の一日のみ公開され、参拝者に甘酒が振る舞われます。






 
大方丈の庭園は"二河白道(にがびゃくどう)"になっています。
二河白道とは浄土教の経典に出てくる世界で、火の河と水の河を人の貪欲と怒りに喩え、その間にある白い道は極楽に通じる道で往生につながる信心に喩えられるます。

阿弥陀如来の救いを説く比喩で絵解きで説明される事が多いです。







御影堂のさらに奥には浄土庭園が拡がり阿弥陀如来の浄土の世界が表現されています。
二上山を背景に牡丹の花が見頃を迎えています。
冬には「こも」の下に咲く寒牡丹も見応えがあります。





朱色の楼門の横からは天平時代の建築物で唯一、東西二塔の三重塔(国宝)が残る風景はまさに"やまとは国のまほろば"を感じます。



御朱印も「法然上人」です。






奈良大和路⑰當麻寺境内散策

2020年05月12日 15時29分35秒 | 日記
  當麻寺の創建は飛鳥時代推古天皇の御代にまで遡ります。







その70年余り後に用明天皇の皇子麻呂子親王の孫にあたる當麻国見が現在地に移したと伝わります。
天武天皇9年(681)に金堂、講堂、千手堂、東塔、西塔などを造営、寺号を現在の當麻寺と改めて現在に続いています。

仁王門を入りまず目にするのは鐘楼です。





中の梵鐘は白鳳時代の鋳造で国宝に指定されています。妙心寺の梵鐘より古く我国最古の梵鐘です。
今から10年前の平城遷都1300年祭の時に櫓が組まれ間近で見学する事が出来ました。



次に天平時代の創建で東西二塔が残る唯一の三重塔(国宝)です。





こちらの二塔も平城遷都1300年祭で初層が開扉されました。どちらの塔にも大日如来坐像が安置されています。
今まで修復工事がされていないのか柱や壁の絵の剥落がかなり進んでいました。

上の写真が東塔で下が西塔です。
西塔は基壇周辺の工事中で近づく事が出来ません。




次に本堂の曼荼羅堂です。



本堂は奈良時代の建立で曼荼羅図とも呼ばれ国宝です。
内陣は天平時代の遺構で厨子と須弥壇とは国宝です。

厨子には中将姫が天平宝字七年に蓮糸で織り上げたと伝わる蓮糸曼荼羅がお祀りされていましたが、現在は室町時代の文亀年間に転写した文亀曼荼羅がご本尊としてお祀りされています。

オリジナルの綴織當麻曼荼羅は奈良国立博物館に寄託されています。



次に金堂です。



鎌倉時代の再建ですが、ご本尊の弥勒菩薩坐像は白鳳時代作で塑像では最古の仏さまです。(国宝)

周りには四天王がご本尊を御守りされています。
四天王の内、多聞天のみが鎌倉時代の木造ですが、その他は創建時の白鳳時代の乾漆像です。

次に金堂に向かい合うように建つ講堂です。



ご本尊は丈六の阿弥陀如来坐像で藤原期の定朝様式です。その他、不動明王、多聞天、地蔵菩薩など藤原期から鎌倉時代の仏さまがお祀りされています。

金堂裏にある我国最古の石灯篭です。





白鳳時代の松香石で作られた石灯篭で重要文化財に指定されています。



現在、當麻寺には中之坊、護念院、西南院、奥院と四つの塔頭があり、いずれも拝観可能です。

よく帰りに立ち寄る和菓子屋"中将堂本舗"のリーフレットです。





伊勢名物の赤福餅の餅がよもぎ餅に変わったイメージです。
(こしあんの味は全く違います。)



場所は近鉄大阪線当麻寺駅前です。