京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

観心寺(大阪府河内長野市)

2020年05月26日 07時59分00秒 | 日記
す 観心寺は大阪府河内長野市にある古刹で、その歴史は飛鳥時代後期にまで遡ります。







役行者により開創され平安時代には弘法大師空海がご本尊如意輪観音像を刻まれました。
実際の寺の造営は空海の弟子の実恵(じえ)が行いました。









"関西花の寺霊場"でもあり境内には黄菖蒲や杜若、牡丹が咲いています。また、初春の梅園は有名です。







金堂は和様建築物ですが一部に禅宗様や大仏様を取り入れた大阪府では五つしかない国宝建築物のひとつです。
内部のお厨子には弘法大師作と伝わる国宝如意輪観音像がお祀りされています。







光のあたり具合で表情が全く違って見えます。
長年、秘仏としていたので彩色もよく残っています。

しかし、毎年の4月17日と18日の2日間お厨子が開けられ公開されます。
一度、公開日にお詣りしましたが如意輪観音さんの中で最も美しいと感動したのを覚えています。

また、観心寺は南北朝時代に活躍した楠木正成の学問所でもあり、建武新政後には後醍醐天皇の命で金堂を建立。







金堂の建立の後、三重塔の建立を始めましたが、延元元年(1336)に湊川の戦いで戦死したため初層のみの建物となっています。
建掛塔(たてかけのとう)と呼ばれています。

境内にある楠木正成の首塚です。


楠木正成の首級(しゅきゅう)は足利尊氏の命によりここ観心寺に届けられ首塚に葬られています。
毎年5月の楠公祭には法要が行われます。

境内背景の山には後村上天皇桧尾陵があります。





後醍醐天皇の第七皇子で南朝第二代の天皇です。
激動の南北朝時代に践祚され、各地を転戦され、非常にご苦労の多い天皇さまでした。

また、境内には母君の新待賢門院兼子の墓もあり、今は親子で静かに永遠の眠りにつかれている事でしょう。



観心寺を後に、楠木正成公ゆかりの地を訪ねます。