さて、清水寺を後にし紫野にある大徳寺に来ました。京の冬の旅で本坊が公開されています。大徳寺には別院が2寺、塔頭が22寺ありますが通常公開されているのは、龍源院、大仙院、高桐院の三ヶ寺だけです。
その内、高桐院は屋根の葺き替え工事中で拝観を停止されており、この秋に工事が完了し再び公開されるそうです。


本坊の方丈は、国宝で宗峰妙超(大燈国師)の塔所 雲門庵を兼ねており、禅宗寺院の方丈が6間なのに対して、こちらの方丈は8間あります。

室町時代中期の応仁の乱で大徳寺も伽藍の全てを焼失しましたが、一休宗純が住持に就き伽藍の復興に努めました。また京都の豪商 後藤益勝の寄進で方丈が再建されました。方丈襖絵84面は全て狩野探幽筆の水墨画です。
また、方丈の前庭は天祐和尚の作庭、東庭は小堀遠州の作庭で、いずれも"庭の国宝"特別名勝庭園に指定されています。

内部は撮影禁止なので京都市観光協会HPから転載しています。
唐門も国宝で、修理の際の棟札から聚楽第の遺構であることが判明しました。彫刻や金具の豪華さ、豊富さから、日光東照宮の陽明門のモデルになったと伝わります。

次に、最も拝観が困難と言われる大徳寺の塔頭に向かいます。
ピンと来た方はかなりの京都通ですね。ある方のツテで拝観が叶いました。
兜門(重文)からの参道を進むと右に玄関があり、まっすぐの扉の向こうには、ご住職の畑が広がっています。大根、白菜、椎茸などが栽培されていて、紅梅、白梅、水仙の花が咲いていました。
畑の一角に二階建ての小屋があり、小屋とは言えども数寄屋建築の第一人者 中村外二さんの設計、建設です。材木は総栗造りです。


いよいよ、玄関から建物の中に。広い庫裏があり、今もおくどさんが現役で使われています。
隣の部屋で呈茶を頂きました。菓子は、出町のふたばのよもぎ餅です。ご住職が朝から買いに行ってくれたそうです。
書院に入ると、その奥には、国宝の茶席「密庵席」が、、、。 密庵咸傑墨蹟を飾るだけの為に作られた茶室です。入室もさせて頂き、点前座にも座り、じっくりと拝見させて頂きました。

夢のような時間を過ごさせて頂きました。
また、夜も特別拝観(?)があります。
後日、アップします。
その内、高桐院は屋根の葺き替え工事中で拝観を停止されており、この秋に工事が完了し再び公開されるそうです。


本坊の方丈は、国宝で宗峰妙超(大燈国師)の塔所 雲門庵を兼ねており、禅宗寺院の方丈が6間なのに対して、こちらの方丈は8間あります。

室町時代中期の応仁の乱で大徳寺も伽藍の全てを焼失しましたが、一休宗純が住持に就き伽藍の復興に努めました。また京都の豪商 後藤益勝の寄進で方丈が再建されました。方丈襖絵84面は全て狩野探幽筆の水墨画です。
また、方丈の前庭は天祐和尚の作庭、東庭は小堀遠州の作庭で、いずれも"庭の国宝"特別名勝庭園に指定されています。

内部は撮影禁止なので京都市観光協会HPから転載しています。
唐門も国宝で、修理の際の棟札から聚楽第の遺構であることが判明しました。彫刻や金具の豪華さ、豊富さから、日光東照宮の陽明門のモデルになったと伝わります。

次に、最も拝観が困難と言われる大徳寺の塔頭に向かいます。
ピンと来た方はかなりの京都通ですね。ある方のツテで拝観が叶いました。
兜門(重文)からの参道を進むと右に玄関があり、まっすぐの扉の向こうには、ご住職の畑が広がっています。大根、白菜、椎茸などが栽培されていて、紅梅、白梅、水仙の花が咲いていました。
畑の一角に二階建ての小屋があり、小屋とは言えども数寄屋建築の第一人者 中村外二さんの設計、建設です。材木は総栗造りです。


いよいよ、玄関から建物の中に。広い庫裏があり、今もおくどさんが現役で使われています。
隣の部屋で呈茶を頂きました。菓子は、出町のふたばのよもぎ餅です。ご住職が朝から買いに行ってくれたそうです。
書院に入ると、その奥には、国宝の茶席「密庵席」が、、、。 密庵咸傑墨蹟を飾るだけの為に作られた茶室です。入室もさせて頂き、点前座にも座り、じっくりと拝見させて頂きました。

夢のような時間を過ごさせて頂きました。
また、夜も特別拝観(?)があります。
後日、アップします。