木のつぶやき

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books14「若者が〈社会的弱者〉に転落する」(宮本みち子著)

2005年02月25日 20時08分29秒 | books
待ち合わせで立ち寄ったブックオフでたまたま見つけたが、引き込まれるように一気に読んでしまった。タイトルの「転落」という言葉がけっして大げさでない内容だ。しかも文章にキレがあって、無駄がない。

アマゾンの書評でdannyboy3さんが「必要十分に主張と根拠と提言が述べられる。1ページを無駄にするところの無い経済的な1冊である。」と書かれているが、的確な指摘だ。

また、本田今日子さんのブックレビュー「実生活では子供が就業可能年齢に近づきつつあり、公私共に実感していたことがズバリと裏づけられた也。特にこの3年ほどの「急降下」ともいえるほどのイヤな状況が、もっともっと堕ちていくであろう予感に暗鬱。」との書評にも、とても共感した。僕も姉貴の子供の高校卒業後の進路のことで著者が指摘されているのと全く同じ状況に陥っている。

「自分のやりたいことを見つけなさい」という親がもっとも多い。実は、自分たちの世代が体験してこなかった変動の時代のなか、自分たちには理解しがたいメンタリティを持つ子供を前に、ゴールをどこに定めて子育てしたらよいのかわからなくなっているのだ。(148頁)

ほ~んとそう思います。ここは「3 家族・親子関係から「若者の危機」を読む」という章の中の「友達親子という困難」という項に書かれている。
現代の子どもたちはアルバイト等を通じて「自立していないのに経済力を持っている」存在であり、「子供が消費の王様」であり、かつ、「消費市場では、大人と子どもの境界は完全に取り払われている」こと、すなわち「親と子、大人と子どもの消費のボーダーレス化」を背景にして「友達のような親子関係」が生まれているというのです。
そしてそれは「消費だけが取り持つ親子関係」であり「成人に達する年齢になっても、若者は家庭の中でいかなる役割も負わないでいることが許され」ており、「友達親子とは一見対等だが、実は一方的な供給と消費で成り立っている依存の関係」になってしまっていると論じている。

そうだよねぇ~、私は単なるお財布か?とお父さんは言いたい。

最終章「4 日本の社会に未来はあるのか」では、「長期停滞の時代の若者たちの選択」として

彼女たちは、今という時代を直感的にわかっているのだ。大学は無業という暗い現実からの最終避難所となりつつあること、学校で学ぶことの積極的な意味など初めからないこと、学生と社会人の境界が薄くなっていることを。そして、いくら頑張っても先が見えないから、ほどほどのところで今を楽しく暮らす方がトクだという諦めがあるのだ。

そういえば昨日だったかテレビで、近頃は大学院(生)が増えているんだそうで、学生も大して学校に出てこなくていいし、教授も楽だし、それなのに大学は授業料きっちり入って3方メデタシメデタシなんだって!おい、授業料払ってる親を忘れてるだろうがぁ~。でも、世間の親たちは「こんな時代に下手なところに就職して苦労するより、大学院にでも行っててくれた方が安心~ん」っていうじゃなぁ~い…なんだそうだ。

確かに、何を目指したらとか、こんな勉強したら、って僕ら親は言えないんだよね。それはなぜかっていうと、「2 若者の危機が隠蔽される社会」にズバリ書いてあるのだよ。

日本型大衆社会は「会社」を中心として組織されてきた。福祉国家としての日本の特徴は、人々の生活保障が「会社」と家族によって担われる点にあった。これが日本型福祉国家である。そのことは若者の自立の道筋をも規定した。すなわち、若者の自立は「親掛かり」「会社頼み」という性格を強く持つことになったのである。(45頁)

うっ、鋭すぎる。確かに私は入社当初「会社の」独身寮住まいで、結婚後は「会社の」社宅に移り住んで、夏のレジャーと言えば「会社が」契約している保養所、「会社の」長期・低利ローンを借りれたからこそ家を持つこともできたもんなぁ。その上、就職当時は「安定した職場」で、年功序列に従って「黙っていても給料上がる」と言われていた。これじゃ自立も何もあったもんじゃない。ただ、それなりの会社に入ることが人生のゴールみたいな感じだったもんね。(でも、今じゃその会社も「あと10年持てば御の字」と言われているしぃ)

「戦後型青年期」が確立していた時代には、自立への支援は、学校による就職斡旋(特に中・高卒者)と親や身近な人々の支援による配偶者選択・結婚の二本柱で成り立っていたといってよい。終身雇用を建前とする職場では雇用による所得保障、社交、福利厚生など生活全般が保障されていたから、あえて「自立」を問う必要はなかったのである。(62頁)

いいよ、いいよ、もうわかりましたよ、どうせ私なんか「会社」がなかったら全然自立できませんでしたよぉ~っだ。結婚だって、親の支援受けましたよ~っだ。
そうした僕らの世代の次の世代、そして僕らの子どもたちはどんな時代にいるのかといえば「1 若者たちは崖っぷちに立っている」というのだ。
80年代に「独身貴族」が出現し、90年代には「パラサイトシングル」として親と同居を続ける未婚の若者が豊かなモラトリアム期を謳歌できるようになった。しかし一方でパラサイトシングルは「離陸のための気圧が低い」ために、学生時代が終わった後も社会に飛び立てなくなってしまう若者を生み出した。それが「フリーター」である。
でも、ここで一般的な「フリーター・バッシング」にならないところがこの著書の優れたところだ。

親と子の果てしない逡巡。…彼らの目には、「おやじの人生とはいったい何だったのか」と映る。生涯をあくせく会社に捧げ、妻子を養う人生をおぞましいものと感じるのである。今すぐ就職したら、おやじと同じことになってしまう。親の家にいればそこそこの生活はできる。もし、自力でやるとなれば、失うものがあまりに多い。当面アルバイトの口はいくらでもある。へたに正社員になるより、よほど実入りはよく時間は自由になる。でも、それがいつまで続くことか。それにこの状態では、結婚相手を見つけることもできないかも…。これがポスト青年期を生きる男性の果てしない逡巡なのである。(29頁)

この本のすぐれたところは、こうした若者の気持ちを代弁する言葉があちこちに書かれていて、僕など「そんな風に思うのか?僕らの時代には考えもしなかった。」という気づきがあることだ。
また1980年以降の比較的最近の状況の変化を元に若者を分析しているため、身近な、けれども実は全然わかっていなかった「ちょっと下の世代の思い」に対しても新たな認識を持つことができたことだ。

「真の危機とは何か-若者がなだれをうって社会的弱者に転落する。」
…いま、日本で親世代を覆うリストラの波は、子ども世代の矛盾した立場を根こそぎ覆す災難である。親の甘い汁が切れる頃には、飛び立つ力が萎えてしまい、不毛の地上をさまよわざるを得ない者が出てくるだろう。自由を犠牲にしながら働き続ける親の人生にパラサイトして、行き着くところまでいくのか、それとも親世代のライフスタイルに対して反旗をひるがえし、道なき道の開拓者になるのか。ここに若者の分かれ道がある。
(中略)
現代の若者が生きているのは、長期停滞と不確実性の時代。乗り込める列車などないのだ。
われわれ大人は彼らに「早く大人になれ」というべきなのか、それとも別の生き方を期待すべきなのだろうか。これまでの価値観が無力化する中で、どんな選択肢があり得るのか、何が彼らにとって有益な援助なのか。(38頁)


この本ことを話した友人は「それでどうすればいいって書いてあるの?」と聞いてきた。それは是非この本を読んで、一緒に考えてもらいたいのだ。欧米諸国では、すでに80年代に若者の失業問題に始まる若者の危機と社会構造のゆらぎに直面し、「それぞれ試行錯誤を経て異なる方向に向けて歩みを進めている」そうだ。答えはたった一つだけじゃないのだ。
僕も姉貴の娘の高校卒業後の進路について一緒に考えながら、もっともっと悩んでいきたい。

若者が『社会的弱者』に転落する

洋泉社

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<目次>
1 若者たちは崖っぷちに立っている
2 若者の危機が隠蔽される社会
 ・経済
 ・心理
 ・結婚・出産
3 家族・親子から「若者の危機」を読む
 ・なぜ子育ては苦労な仕事になってしまったのか
 ・各国レポート「子どもの現在」
 ・友達親子という困難
4 日本の社会に未来はあるのか
 ・長期停滞の時代の若者の選択
 ・若者の没落をふせぐために社会がすべきことは何か
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