わが家の母はビョーキです | |
クリエーター情報なし | |
サンマーク出版 |
私はこの本を読む前は「やはり当事者本人の言葉と家族と言えど第三者とは違うのだな。」と考えていたけど、読み終わったら「子どもの立場って、微妙に「当事者性」を帯びているんだな」って思うようになった。
これまでコーダって自分と同じ「聴者」だって思っていたけど「コーダは聴者だけどコーダ」なのかもなぁ~って思うようになった。
「当事者性」って自分とろう者の間に横たわる「橋のない川」だよなってずっと思ってきたけど、コーダはその川に浮かび流れている小舟なのかな?それとも「渡し舟」?
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