1月30日、日曜日の朝日新聞で鈴木光司さんの「行く先は、明るい」という文章を読んだ。
「過去から現在、未来へと、世界が良くなっているのか悪くなっているのかを正確に計る物差しはない。判断する側の心のありようが反映されるだけだ。
と断った上で自分の考えを述べれば、世界は過去に比べて断然良くなっているように見える。」
との書き出しで始まる短い文章だった。
このところ姉貴の娘の進路のことであれこれ思い悩んでいた僕は、なんだかちょっとホッとした。
「過去からずっと、日本の上の世代は、将来に暗い展望ばかりを□にし、「世も未だ]と嘆いてきた。未来がよくなるか、それとも悪くなるか、どちらを信じるかで、きみたちの将来は変わってくる。現在きみたちが立つ地平が最も標高の高いポイントであり、先に下り坂が待っているのだとしたら、坂を転がっていけばいいのだから、楽なものだ。だが、より高みへと至る上り坂が未来に延びているとなれば、きみたちは、登攀(とうはん)を目指し、現在という時間をトレーニングに費やさねばならなくなる。「若いうちが花よ」と、現在を無駄にしている余裕はない。だから、根拠がないと言われようが、信じてほしい。きみたちの未来は明るいと。(作家)」
と結んでいる。
この文章は「未来を生きる君へ」と若い人たちに向けたものだが、僕も「現在という時間を無駄にしている余裕はない」と改めて思った。
「過去から現在、未来へと、世界が良くなっているのか悪くなっているのかを正確に計る物差しはない。判断する側の心のありようが反映されるだけだ。
と断った上で自分の考えを述べれば、世界は過去に比べて断然良くなっているように見える。」
との書き出しで始まる短い文章だった。
このところ姉貴の娘の進路のことであれこれ思い悩んでいた僕は、なんだかちょっとホッとした。
「過去からずっと、日本の上の世代は、将来に暗い展望ばかりを□にし、「世も未だ]と嘆いてきた。未来がよくなるか、それとも悪くなるか、どちらを信じるかで、きみたちの将来は変わってくる。現在きみたちが立つ地平が最も標高の高いポイントであり、先に下り坂が待っているのだとしたら、坂を転がっていけばいいのだから、楽なものだ。だが、より高みへと至る上り坂が未来に延びているとなれば、きみたちは、登攀(とうはん)を目指し、現在という時間をトレーニングに費やさねばならなくなる。「若いうちが花よ」と、現在を無駄にしている余裕はない。だから、根拠がないと言われようが、信じてほしい。きみたちの未来は明るいと。(作家)」
と結んでいる。
この文章は「未来を生きる君へ」と若い人たちに向けたものだが、僕も「現在という時間を無駄にしている余裕はない」と改めて思った。