<この文章は、2004年8月28日にJENS WeBlogに書いたものです。>
茨城県の茨交大洗ホテルで「盲ろう者と地域住民との体験交流会」が行われました。
私は1996年に「盲ろう者のチャリティ交遊会」というイベントの手話通訳を頼まれたことがあり、それがきっかけで1998年には東京で開かれた第8回全国盲ろう者大会のボランティアをしました。
盲ろう者とは、目が見えなくて耳が聞こえない重複の障害を持った人たちです。(「静岡盲ろう者友の会」ホームページなど参照) それぞれの方が障害の状況に応じて様々なコミュニケーション方法を採っているので、「通訳」と一口に言ってもその方法は千差万別です。
98年当時は、よ~し、盲ろう者へのサポートについてもいろいろ勉強して、知識と技術を身につけよう!などと考えていたのですが、盲ろう者どころか最近は手話通訳もおぼつかなくて、トホホな状態です。せめて「指点字」を覚えようと思って友達のマッキーハウスなどのぞいてみたのですが、結局練習せずじまい。
あれもこれも、やる気の問題というのか、生きる姿勢の問題というのか、どうもなりまへん。
2004-08-28 19:13:11投稿
茨城県の茨交大洗ホテルで「盲ろう者と地域住民との体験交流会」が行われました。
私は1996年に「盲ろう者のチャリティ交遊会」というイベントの手話通訳を頼まれたことがあり、それがきっかけで1998年には東京で開かれた第8回全国盲ろう者大会のボランティアをしました。
盲ろう者とは、目が見えなくて耳が聞こえない重複の障害を持った人たちです。(「静岡盲ろう者友の会」ホームページなど参照) それぞれの方が障害の状況に応じて様々なコミュニケーション方法を採っているので、「通訳」と一口に言ってもその方法は千差万別です。
98年当時は、よ~し、盲ろう者へのサポートについてもいろいろ勉強して、知識と技術を身につけよう!などと考えていたのですが、盲ろう者どころか最近は手話通訳もおぼつかなくて、トホホな状態です。せめて「指点字」を覚えようと思って友達のマッキーハウスなどのぞいてみたのですが、結局練習せずじまい。
あれもこれも、やる気の問題というのか、生きる姿勢の問題というのか、どうもなりまへん。
2004-08-28 19:13:11投稿