木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

第56回全国ろうあ者大会迫る!

2008年05月31日 00時06分42秒 | Weblog
いよいよ第56回全国ろうあ者大会(福井大会)が迫ってきたのだ。
私は昨年(香川大会)同様、金曜日の朝一番の飛行機で小松空港経由で福井県に乗り込みます。それにして飛行機往復料金と福井ワシントンホテル一泊(朝食付き)がセットで26,800円なんてホント不思議な料金体系です。
それでもって金曜日の宿を決めかねていたのですが、やっと予約取れました。
民宿 冨士」さん(〒913-0061  福井県坂井市三国町梶38-37-5(越前松島国定公園内))にお世話になることにしました。
今日、るるぶ福井も買ってきてどこへ行こうかいろいろ迷ったあげく、一泊目はやっぱり東尋坊(とうじんぼう)に近いところにしました。一日目(6日金曜日)は、午前中芦原(あわら)温泉をぶらぶらして、午後からは東尋坊周辺を観光して宿泊。二日目の朝いちで永平寺を目指すという計画です。大会は土曜日の午後からなのでちょっと無理かもしれませんが・・・。
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明晴学園、今度は産経ニュースで紹介

2008年05月28日 23時01分51秒 | sign language
日曜日の朝日新聞に掲載されたことを紹介したばかりの「私立・明晴学園」が、今度は5月28日付の産経ニュースで紹介されていました。
私はグーグルニュースで知ったのですが、産経新聞にも掲載されていたのかもしれません。私は「明晴学園」そのもののことは全然知りませんので、学園の評価はできませんが、先日聞いた田中清さんの講演会で彼女が「明晴学園の開校式に出席してきたが、子どもたちが生き生きと手話でコミュニケーションしている姿が素晴らしかった」とお話しされているのを聞いて、きっとろうの子どもたちにとって心から楽しめる学校なんだろうなぁ~と想像しています。
既存のろう学校ももっともっとマスコミへの働きかけをしていく必要があるのではないでしょうか。昔手話サークルでイベントをやるときには新聞はもちろんのこと、市報やタウン紙、さらにはNHKテレビなどにも案内を出し取材を呼びかけていました。先輩からは「常に社会へ積極的に知らしめること、働きかけることが手話サークル運動なんだ」と教わっていたのです。

バイリンガルろう教育 手話で学習 意思疎通容易に【教育】 (1/2ページ)

2008.5.28 08:08MSN産経ニュース

〔写真・略〕小学5年生の算数の授業で、先生の質問に分数を指で示して答える児童たち(明晴学園提供)

 ■東京・明晴学園 「日本手話」から読み書きへ

〔1〕
 耳の聞こえない子供たちに「日本手話」を第1言語として習得させ、その後に「日本語」の読み書きを身に付けさせる「バイリンガルろう教育」が注目を集めている。今春、開校した「明晴学園」(東京都品川区)が国内の学校で初めて実践。補聴器や発声訓練によって、日本語で会話を目指す一般的なろう学校と異なり、障害が重くても教師らと意思疎通ができるなど、子供を考えた指導といえそうだ。(鵜野光博)

 明晴学園では、普通学級の「国語」に当たるのが「手話」の授業だ。

 この日は小学部の児童が、DVD映像で手話の多彩な表現を勉強中。といっても映像は、頭のいいゴキブリをやっつけるため奮闘した男性が体験を手話で語るものなどで、時々大きな笑い声が起きる。

 画面には字幕で意味も表示されるが、その情報量の多さに驚かされる。「子供たちは字幕を読んでいませんよ」と、斉藤道雄校長。教師の語りかけも、子供同士の雑談も手話で、話し声の代わりに、両手が忙しく動いている。

 同学園で使われる日本手話は、手話通訳などで主に見られる「日本語対応手話」とは異なり、ろう者の社会で長年はぐくまれたものだ。語順が日本語とは違い、手だけでなく表情も使う。桜美林大の佐々木倫子教授(言語教育)は、「日本手話には独自の文法と語彙(ごい)があり、独立した言語であることは定説になっている」と話す。

〔2〕
 戦後のろう教育の主流は「聴覚口話法」と呼ばれ、補聴器で聴力を補いながら日本語をしゃべったり、相手の口から言葉を読み取る訓練が中心。障害が重いと上達が難しく、教師が手話を理解できないと意思疎通も難しい面があった。

 斉藤校長は「ろう者を健聴者の世界に導こうとする教育は善意だろうが、一面で、足がない人に走れというようなものだ」と言い、佐々木教授は「口話法の背景には、日本語ができないと社会の一員として認めないという社会的圧力がある」と指摘する。

 「実際、親にとって日本語ができなければ…という不安は大きい」と斉藤校長。「バイリンガル」の看板を掲げるのもそのためで、研究者ら協力を得ながら、教材と指導法の開発に取り組む。手話で育った子供が日本語を習得するのは、英語を学ぶのと同じ苦労がいるという。それでも手話を第1言語とする意味について斉藤校長は「手話がしっかり身につき、自由にコミュニケーションができれば子供は落ち着き、自分を出せるようになる」と説明。「この学校は話し声がないだけで、子供の様子は普通の学校と変わらない。子供たちの成長によって教育の成果を示していきたい」と話す。

              ◇

 ≪明晴学園≫

 平成20年4月開校。前身はNPO法人(特定非営利活動法人)「バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター」が運営したフリースクール「龍の子学園」で、東京都の教育特区認定を受けて私立学校化した。幼稚部16人、小学部25人の計41人が通い、教師9人は全員、日本手話が使える。22年度に中学部を増設予定。
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「みんな手話の学校」5月25日(日)朝日新聞より

2008年05月26日 23時41分58秒 | sign language
 日曜日の朝日新聞「縁」のシリーズに明晴学園のことが載った。6段抜きでかなりのボリューム。しかも39面(社会面)。40面がテレビ番組表だから、表紙の次に大勢の人が目を通す場所なのではないだろうか。
 一方で、我らが日本聴力障害新聞5月号の扱いはどうだろうか。1面は「医師国家試験に合格、聴覚障害の竹澤さん」以下2面、3面と追ってみるが、残念ながら明晴学園開校の記事は見つからなかった。
 そうか4月号ですでにばっちり紹介してあるのか・・・と4月号を引っ張り出してみると、1面コラム「増幅器」の中に「東京で手話を正規の教科とし、授業も手話で行う学校が誕生しました。」と・・・あれ学校名がないのはなぜ? そしてそれ以外に明晴学園のことに触れた記事が全くないのはどうして?
 さらに3月号に遡ってみても、それらしい記事は見あたりません。いや、4面「読者のぺーじ」に「手話に触れない「論点」に思う」という投稿記事がありました。これは2月号に掲載された「今回の教育制度に思う」という河原教育対策部長の記事の中に「手話」という言葉が一言もなかったことに対して疑問を呈している投稿だ。そしてこの投稿記事は「手話に対する「明晴学園」と連盟の姿勢の違いが際だって見える」と締めくくられているのだ。
 全日ろう連(日聴紙)は明晴学園の開校ニュースをまったく取り上げないの?私は目を疑いました。しかたないので2月号も広げてみましたら、ようやく6面右隅の囲みで「手話を正規の教科としたろう学校が開校へ」という記事が載っていました。
 しかし「東京都が手話を正規の教科として教え、授業も手話でおこなう「特別支援学校」を設置できるよう、政府に対し、構造改革特別区域計画(教育特区)を申請し、認められることになったためです。そして、設立準備資金4500万円を企業回りや街頭募金を重ねて集めてきました。」とあたかも「東京都が、申請し、集めてきました」と読めるような書き方をしています。もちろん行政上の手続きをしたのが東京都であることは明らかですが、申請してもらえるよう働きかけたのは誰なのかということを意図的にぼかしてるとしか思えない書き方です。
 確かに明晴学園は、首都圏の、しかも私立のろう学校ですから「ローカルな話題」であるとは思いますが、手話で教育しようというチャレンジを始めた明晴学園に対する日聴紙のこの冷たい扱いは何とかならないものでしょうか。
 朝日の記事に「意外に知られていないが、ろう学校のほとんどは、手話で授業をしない。」とありましたが、これでは、「意外に知られていないが、日聴紙をはじめ日本のろうあ運動のほとんどで、明晴学園はほとんど無視されている」と言われかねない。(っていうか要するにそういうことなんでしょうけど、これじゃ聴能口話教育万能にこだわってた北海道の元ろう学校校長先生の「こだわり」と五十歩百歩という気がします。)
 この朝日新聞の記事の最後に「他のろう学校もいまや積極的に手話導入の努力を始めており、全日本ろうあ連盟をはじめ全国のろう者が明晴学園の行方を見守っている。」とか書かれれば、まさにいま闘っている特別支援学校化への抵抗運動(?)にとっても何らかの追い風にできただろうにと思うのだが。


みんな手話の学校-ろう者の言葉が夢結ぶ(2008年5月25日(日)朝日新聞)

 午前9時すぎ。登校してきた児童に、小野広祐先生(28)があいさつした。
 「おはようございます」
 「先生おはよう。あのね、この前なくした連絡帳ね……」
 3年生の女の子が早口で告げた。いや、もし声に出すなら、きっとそう言ったのに違いない。
 目の前では、花火がはじけるように手が動くだけだ。2人とも、生まれつき耳が聞こえない。東京都品川区にこの春開校した私立明晴(めいせい)学園は、みんなが手話でしゃべる日本初の学校だ。授業も職員会議も児童のおしゃべりも、すべて手話。小野さんたちの夢だった。
 ------------------
 小野さんは、声楽家の父のもとに生まれた。小学生の6年間、土曜になると「社会で生きていくために」と自宅で発声やピアノの練習をさせられた。いまも「エリーゼのために」がそらで弾ける。音がずれると半ズボンの足をたたかれた。でもどこを間違えたのか分からない。土曜が嫌いだった。
 意外に知られていないが、ろう学校のほとんどは、手話で授業をしない。わずかな聴力と教師の口の形から話を推測させ、自分に聞こえない声で答えさせる。
 「聴覚口話法」というこの方法で小野さんも学んだ。出席をとる時、担任はわざと口元を隠した。オノコースケ。あごが3回縦に動く。それが自分の番だった。「手話なんか使えばチンパンジーのようになる」と言われた。親や先生にほめてもらいたくて、ひたすら声を出した。
 「でも本当は、言いたいことのいくらも伝えられなかった。違う、苦しい、と思っていました」
 ろう者とは手話という言語を使う文化的少数者だ-誇らかに掲げた「ろう文化宣言」の著者、木村晴美さんの講演を見たのは、そんな時だった。「手話は、日本語とは文法も単語も異なる独立した言語なんです」。高校2年の小野さんにとって、話のすべてが新鮮だった。
 風呂場の鏡で一人、手話を練習しはじめた。だが声も捨てきれない。声を出すことが、自分の全人生だったのだ。いったい自分は何者なのか。揺れていた。
 8年ほど前、大学仲間と居酒屋で一杯やることになり、得意の□話で頼んだ。「生ビール中!」
 店員が注文を運ぶ。その光景に目を丸くした。ジョッキが次々とテーブルに並べられていく。
 「生ビール9」。店員には、そう聞こえたのだと分かった時、固まった。通じやしないんだ。決めた。自分はろう者として生きる。
 ------------------
 TBSディレクターだった斉藤道雄さん(61)は96年、「ろう文化宣言」の木村さんに会った。
 ワシントン支局長だった93年、ろう者のための大学を見学し、カフェテリアで100人以上の手話が飛び交う光景に心が震えた。帰国後、日本の取材をし、「手話の世界」という番組を放送した。
 その中で、静岡出身の赤堀仁美さん(35)が言う。両親も妹もろう者。生まれた時から手話で育った。「私はろう者となら、本当に深いところまで話ができるんですよ。聴者とでは無理なんです」
 「何これ!」。TBSの番組を見て、岐阜県でろう学校の教師をしていた長谷部倫子さん(43)はのけぞった。「ろう」は差別語だと思っていたのに、番組の彼らは「自分たちは障害者じゃない。ろう者だ」と胸を張る。
 赴任まで手話通訳を見たこともなかった。算数の授業なのに、足し算そっちのけで問題文の単語を発音させた。「これは教育なんだろうか」。学校を辞めて上京。その年の夏、東京都府中市で聞かれた全国ろう学生懇談会で、司会者をしていた小野さんに出会った。
 手話という言葉に導かれた人の輪。ろう教育の改革を目指す者たちが次々と集まった。
 99年、小野さんたちは、ろう児のためのフリースクール「龍の子学園」をつくった。小野さんは、親の反対を押し切ってIT関連会社を辞め、専従スタッフになった。収入は、ひとけた落ちた。遊び盛りの年齢なのに、寝袋持参で狭い事務所に泊まり込んでは、他人の子供のために教材をつくる。その熱心さに、親たちがうたれた。「一日も早く本当の学校にして、安定させてあげたい」
 転機は思わぬところにあった。
 05年、石原慎太郎都知事の講演で親の一人が、手話で教える学校を、と訴えた。知事が尋ねた。手話は言語なのか。手話なら何でも話せるのか」。その通りだ。「ろう学校は手話を使っているのだと思っていた。申し訳ない」。07年3月、都が国に申請した「バイリンガルろう教育特区」の認定がおりだ。
 ------------------
 今年4月に開校してIカ月半。
 校長席に斉藤さんがいる。教頭が長谷部さん。独自教科の「手話」担当は赤堀さん。そして小野さんは日本語」担当だ。赤堀さんと小野さんは、教員免許の取得に向けて、まだ見習い中だ。
 5月のある日。2時間目の授業は、花の絵と日本語表記を組み合わせる授業だった。
 「指文字で表現してごらん」と小野さんが女の子に言った。
 ア・ジ・サ・イ。
 小指だけを立てる「イ」の字で、薬指がちょこんと上がってしまう。小野さんがそっと直した。
 授業の終わりを告げる、チャイム代わりの緑ランプが点滅した。
 「ついたよ~」。子供たちが小さな手で一斉に指さした。(谷津憲郎)
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books103「「感情の整理」が上手い人、下手な人」和田秀樹著・新講社

2008年05月21日 00時20分17秒 | Weblog
「感情の整理」が上手い人下手な人―感情コントロールで自分が変わる (WIDE SHINSHO)
和田 秀樹
新講社

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新聞で和田秀樹さんの記事を読んで興味を持ち、Amazonで著者名&売れてる順から検索してこの本を選んで読んでみました。
私はまさに「感情の整理」ができない人なので、とても参考になりました。
自分の悪感情(怒り、不満、不機嫌など)を露骨に表すことで、周りを従わせようとするタイプ
だって! わぁ~まさにこういうタイプかも・・・自分は。
どんなに偉くても「不機嫌な人」は幼稚に見える
ああ、そうなんだなぁ~自分が悲しくなる。
感情コンロトールの下手な人は、自分の悪感情をなかなか認めることができません。すべて他人のせいにします
そうなんだよ「すべて他人が悪い」んだよ、文句あるか?状態になってしまうのだよ。
誰でも一瞬の嫉妬、うらみ、すね、ふてくされのような感情に襲われることはあるものです。そんなとき、まず言葉を出さないことを心がけてください。口に出しても始まらないんだと自分に言い聞かせてください。「口から出れば世間」ということわざがあるように、人間関係の中で自分の気持ちを口に出すというのは決定的な意味を持ちます。
私は最近ようやく「言葉を飲み込む」ことがちょっとだけできるようになってきました。悪感情って言葉にしちゃいけないんですよね。むっとしたりしたとき、何か心にさざ波が立っていると感じたときにはできる限り「とりあえず黙る」ように気をつけています。それだけでもだいぶ自分が大人になった気がします。
悪感情を口に出したら負けです。あとで「我慢して良かったな」と思うときが必ずやってきます。うっかり口に出せば、いつまでも不機嫌な気持ちが残り続けることになるのです。
ホントそのとおりだと思います。ちょっとした反論みたいな言葉も「反発」する感情があるときには口に出さないのが、結果的に後から良かったと思えることが多いと思います。
不機嫌な人は、それぞれの場面で自分の感情とは裏腹の態度や言葉を選んでしまうのです。その場の雰囲気や、世間体を気にしてつい「いい人」を演じてしまい、その結果、不機嫌になってふさぎ込みます。しかも自分の不機嫌をぶつける相手がいませんから、いつまでも悪感情にとらわれ続けます。
「いい人」を演じてしまう、というのとてもよく分かります。演じるつもりはないのですが、ついそんな返事をしてしまう場合が私の場合も多いような気がします。そして後から「あんな返事しなきゃ良かった」ということで不機嫌になることが多いのです。
EQは放っておくと歳とともに衰える
これはけっこうびびりました。40代後半になると早くも脳の老化によってEQ(心の知能指数)が下がってくるのだそうです。対人関係や感情のコントロール能力の低下が始まってくるとのこと。
脳の中では感情の老化や意欲の低下が始まっているのですから、放っておくとどんどん不機嫌な人生にはまり込んでしまいます。
そうならないようにするにはどうしたら良いかもこの本には書かれています。私のような人にはとてもお薦めの一冊です。
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books102「きこえない子の心・ことば・家族」河佳子著(明石書店)

2008年05月17日 23時14分02秒 | books
きこえない子の心・ことば・家族―聴覚障害者カウンセリングの現場から
河崎 佳子
明石書店

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今日の午後、日本手話通訳士協会第6回研究大会の記念講演で著者の河崎佳子(よしこ)さんの講演を聴いて、たいへん勉強になったので早速家に帰ってから以前に買って積ん読状態だった本書を引っ張り出して読みましたが、とても良かったので一気に読んでしまいました。
もともと士協会の機関誌「翼」に連載された文章を一冊にまとめたものなので、専門家向けの研究書ではなくエッセイ集といった感じです。聴覚障害者カウンセリングを受診するようになった様々な聴覚障害者の横顔が臨床心理士・河さんの目を通して描かれています。
Amazonの書評を読むと、事例報告になっていない、原因・結果が書かれておらず対策が示されていない、親への支援が書かれていない、難聴者・中途失聴者が描かれていないなど問題点が指摘されたりもしています。
今日の講演も話の一つ一つは初めて聞く僕にとってとても興味深いものばかりだったのですが、全体を通してどういう主張だったのかというとちょっとつかみにくかったかもしれません。また「対策」という点でも、様々な事例のそれぞれに合わせた柔軟な対応が求められるというような話の印象でした。そもそもシンプルな「答え」があるわけではない分野なのかもしれません。
ただ、手話通訳士を含む広く一般の聞き手に、「聴覚障害者心理臨床」とはどんな課題を抱えた聴覚障害者が訪れるところなのか、そしてその現場における手話通訳者(士)の役割とは何なのか、カウンセリングを必要とする聴覚障害者に対する手話通訳で留意すべきことは何なのかなどについて、経験のない人でも分かるようできるだけ(架空の)事例に基づきお話をしていただいたということなのだと思いますし、この本もプライバシーに配慮した結果として単純な「事例報告」とはなっていないのだと感じました。
一方で、この本も今日の講演も「口話教育で育てられたがゆえに思春期になってゆがみを生じカウンセリングを必要とするようになってしまった聴覚障害者」という視点が目立ったので、それをステレオタイプにとらえてしまうと、それはそれで「お節介好きな手話通訳者」をさらに増長するような心配も私個人としてはしてしまいます。
今日の講演を聴いた聴者の手話関係者(当然私自身を含む)が、今後ちょっと話の分からない聴覚障害者を見つけたらすぐに「きっと子どもの頃の親子関係に原因があってストレスフルなのよ」などと(私も)決めつけてしまいかねないように感じたのです。
「手話通訳者とカウンセラーが別途相談したい時でも聴覚障害者本人の了解を得た上で行わなければならない」「手話通訳を介したカウンセリングの環境を本人と一緒に整えていく作業自体が治療につながる」というお話はとても勉強になりましたが、そうした「手話通訳士にとっての心理臨床場面での手話通訳行動規範」的なお話と、「カウンセリングを必要とするような聴覚障害者の実態」についてのお話を区別していただけた方が良かったかな・・などど書きながら私自身のこの文章が本の中味のことと今日の講演内容に関することがごっちゃになっていて実にわかりにくいですね。
この本に関して言えば、あくまでもエッセイ的内容、つまり聴覚障害者心理臨床通訳マニュアルではないことに十分留意した上で、多くの手話通訳者・士に是非読んでおいていただきたい内容です、ということになると思います。
そういえば昨日の夜見たNHK教育テレビの「きらっといきる」という番組で「アスペルガー症候群」の女性がずっと生き辛さを感じながら育ってきて22歳になってやっと「アスペルガー症候群」だったと分かりほっとしたというのを放送してました。親子の間に心を通じ合えるコミュニケーション方法がもっと早くに確立されていたなら・・という意味で何か通ずるものがあるように感じました。
ただ、私は近頃、何でも病名や症候群と名付けてそれで本人も周囲も納得してしまうようなのに何か引っかかりも感じるのです。それは私の中に「生き辛さ」の体験がないからそんなことを感じるのかもしれませんが・・・。聴覚障害者の課題も「口話か手話か」ではなく、「聞こえないと生き辛」くさせている社会の有り様を変えないと「手話で育てばバラ色の人生」ともいかないと思うのです。これも心理臨床の問題とごっちゃにしてはいかんのかもしれませんが・・・。普通のサラリーマンやってると聴覚に限らず「障害者」の存在自体が「無」というような社会の実像ばかりぶち当たるので「心理」という個人の面からのアプローチに、問題を聴覚障害者個人の問題に矮小化させるような危惧を感じるというのか・・・話が散漫になってしまってうまく整理できなくなってしまいました。スミマセン。
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books101「裁判員制度の正体」西野喜一著(講談社現代新書)

2008年05月16日 23時17分47秒 | books
裁判員制度の正体 (講談社現代新書)
西野 喜一
講談社

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先日手話サークルで裁判員制度の講演会を聞いたので、もう少し裁判員制度について勉強しようと思って読んでみました。
帯のコピーがすごくて「恐怖の悪法を徹底解剖」「元判事の大学教授が「赤紙」から逃れる方を伝授」「日本の司法を滅ぼす、問題山積みの新制度」
それでもって内容というか文章のトーンもこれにかなり近いものがあります。

第1章 裁判員制度とはどのようなものか
第2章 裁判員制度はどのようにしてできたのか
第3章 無用な制度-誰も求めていないのに
第4章 違法な制度-違憲のデパートというべき制度
第5章 粗雑な制度-手抜き審理が横行する
第6章 不安な制度-裁判はゲーム?
第7章 過酷な制度-犯罪被害者へのダブルパンチ
第8章 迷惑な制度-裁判員にプライバシーはない
第9章 この「現代の赤紙」から逃れるには-犬が食べてしまった
終章  いま、本当に考えるべきこと


ひたすら批判しまくりの1冊です。反対の立場から読めばなかなか面白いと思います。
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出ました!センチュリーリムジン白(トヨタ)

2008年05月16日 09時01分23秒 | Weblog
サントリー缶コーヒーボスの新シリーズはなんと「リムジンミニカーセレクション全5種」といっても車種はクラウン、センチュリー、プレジデントの3種類です。しかし迫力あります!
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「驚きの手話「パ」「ポ」翻訳」をテキストにした勉強会スタート

2008年05月12日 23時21分57秒 | sign language
米内山明宏さん、矢野一規さん、坂田加代子さん著の「驚きの手話「パ」「ポ」翻訳」(星湖舎・2500円+税)をテキスト(DVD)とした月1回の勉強会をスタートしました。地元の仲間(聴者)14名が集まり、みんなで一生懸命DVDを見ました。
今後のやりかたとしては、次回の勉強会で取り上げる一定の範囲をあらかじめ定めておいて、各自が自宅でその範囲のDVDを繰り返し見てくることとしました。そして次の勉強会で集まったときに、お互いに引っかかったところなどをチェックし合う形で進めて行こうと思っています。
このDVDには、日本語に翻訳した書籍が付いていますが、とりあえずはそれ(翻訳日本文)は読まずに頑張ろうと思っています。
DVDは1巻目が2時間7分、第3章からの2巻目が1時間39分あり、合計3時間46分すなわち226分ですから、毎回30分ずつ見ても8回、次回6月から来年の1月までかかることになります。
しかし第1回目の勉強会ではなんと「最初から1分のところ」までしか進みませんでした。つまり30分の1しか進めなかったことになります。トホホ・・・。
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books99「通訳の英語、日本語」小松達也・文春新書

2008年05月05日 17時50分32秒 | books
通訳の英語 日本語 (文春新書)
小松 達也
文藝春秋

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小松達也さんといえば、超有名な一流の同時通訳者。
その小松さんの書かれた本の「第1章 通訳の仕事」の最後(37頁)には、「手話通訳」という項目があるのだ。
「第2章 通訳の歴史」では、
私たち言語を職業とする者は言葉の機械になるのではなく、コミュニケーターとして国々や文化を結ぶ橋となり、友好関係促進のために努力する義務がある
というシーグフリート・ラムラー氏の言葉を引用されている。
また小松さんが1960年にアメリカ国務省で訓練では
訓練官が1行から2~3行の英文を読んで止めると、通訳ブースにいる私たちが一言一句落とさずに英語のままそれを繰り返す、今でいうリプロダクション
だったことが紹介されていて面白い。
「第3章 日本語と英語」では、通訳技術の向上に貢献すると思われる「日本語と英語の違い」について書かれていてとても勉強になる。つまり英語に訳すという立場から日本語の言語的な特徴(簡単にいうと日本語の発言の分かりにくさみたいなこと)が短くまとめられているのだ。これは聞き取り手話通訳するときにも大いに参考になる。例えば・・
・センテンスの途中で主語が変わってしまうことがよくある。(102頁)
・日本人のスピーチには切れ目のはっきりしない文が多い。(105頁)
・話し手の頭の中にはどうも主語という意識はないらしい。(107頁)
・(佐藤首相の「善処します」発言について)通訳者は「ていねいさ」の規範が文化によって違うことを知っていることが期待される。(111頁)
・日本語表現の持つ性格でもある。情緒的であり、したがってしばしば曖昧である。しかし通訳者としては、そんな曖昧な表現は困ると文句をいうわけにはいかない。どんな発言でもできるだけ正確に訳すのがわれわれの務めだからだ。(117頁)


そして118頁からは「3.日本的な語彙表現」として様々な例が掲げられていて手話通訳者にとっても勉強会のネタにできる。
■情緒的な表現
・うらむ
・くやしい
・しかたがない
■いろいろな意味を持つ日常的表現
・甘い
・まとめる
・素直な
■政治的な曖昧表現
・生活者
・筋を通す
・前倒し
■身体の部分を使った表現
・骨太の
・腰抜け、及び腰、腰が低い・・・
・血の通った
■日本にしかないもの
・金太郎飴
・おんぶにだっこ
・前座をつとめる
■中国の古典からの引用
・信なくば立たず
・和を以て貴しと為す


「第4章 通訳者への道」でも、手話通訳者の世界にも是非そう言ってもらいたいという指摘ばかりだ。
・(通訳者の報酬について)もっと高くならなければ優秀な人材がこの世界に入ってこない。(145頁)
・語学の学習と通訳の訓練とが混同される傾向が強い。(148頁)
・通訳にとって大切なことが3つある。理解、理解そして理解だ。すべてのコミュニケーションは聞くこと、すなわち理解から始まる。相手の言うことがわからなければ対話は始まらない。(151頁)
・対話においても大切なのは、「言葉」ではなくて「意味」である。通訳研究ではこの「意味」のことを「センス」という。(中略)通訳における理解とはこの「センス」を正確かつ速やかに捉えることである。(152頁)
・通訳に必要な知識には次の3つの種類がある。1つは話の主題に関する知識だ。(157頁)
・2番目は、スピーカーや会合の時期、場所、目的などについての知識である。状況的知識と言われる。
・3番目は一般的知識だ。(中略)通訳者を志すような人は少なくとも日本語の新聞は毎日読まなければならない。主題に関する知識と状況的知識は通訳をする会議の直前になっても身に付けることができるが、一般的知識は普段から知的好奇心を持ち続けることが1番良い習得の方法である。(159頁)
・通訳として最も望ましい形は、話し手の言葉を訳すのではなく、その意味(センス)を通訳者自身の言葉で表現すること。(163頁)
・欧米ではプロの通訳者といえども同時通訳では母国語にしか通訳しないというのが原則である。それだけ同時通訳では自由で速くかつ柔軟な表現が必要なのだ。(165頁)


どれもこれも耳が痛くなるような指摘ばかりです。特に最後のなんか手話通訳者の場合だったら、「読み取りが基本」だっていうことになる。それが十分にできていないのに「私は聞き取り通訳の方が得意です」なんて平気で言えちゃう今の日本の手話通訳者の状況は憂慮すべきものがありますねぇ。
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books98「自転車三昧」高千穂遥著・NHK出版生活人新書

2008年05月05日 16時12分52秒 | books
自転車三昧 (生活人新書 252)
高千穂 遥
日本放送出版協会

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「50歳のときに出会った自転車が体型と体質を、そして人生までも変えてくれた」という宣伝文句に、メタボ対策には自転車だ!と思って本屋さんで即買いだったのですが、読んでみるととても僕にはできそうにない。
そういえば、会社に入った頃は代々木上原にあった独身寮から虎ノ門の職場まで自転車通勤しておりました。代々木公園を抜けて、表参道の坂を上り、青山墓地の桜を楽しみながら、六本木交差点を大きく右折して東京タワーを正面に見ながらペダルをこぐという実に健康的な生活でしたが、今では夢か幻か・・・。
勉強会のある隣のT市までは20キロちょっとなんで、まぁ自転車で行けない距離ではないのですが、手話関係の用事の場合は大概機材一式(ビデオカメラ等)をいつも持って行くのでなかなか自転車で、とは行かなくなってしまいました。
それでも以前はバイクで80キロ近く離れた県庁所在地まで行ったりしていたのだが、バイクはどうしても冬の間乗らないのでいつもシーズンあけるとバッテリーが上がっちゃって、結局それっきりになってほこりをかぶっている。バイクは健康のためというよりガソリン代節約のためだったので、ガソリン代高騰の折、再考の余地がありますな。でもバイクのメンテナンス代とガソリン代の節約額を比べると前者の方がかなり高かったりして・・・。
う~ん、いずれにしても自転車で体型を取り戻すのは難しそうだ。
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