![]() | ことばと思考 (岩波新書) |
今井 むつみ | |
岩波書店 |
いつも立ち寄る本屋さんで発見。帯には『異なる言語の話し手は世界の見え方が違う?!-最先端の審理実験に基づく、科学からの回答』とある。
私がこの本を読んで考えていたのは、聴者にとっての「手話言語の空間・動き・時間・認識」の困難さのことだ。
いつも手話の読み取り学習をやると感じるのだけれど、手話を読もうとしたら口型からの情報を「認識」しつつも、眉毛の上下、うなづきだ、上体の前後だ、などと空間認識にすぐれた能力が求められる。しかしそもそもそうした「三次元の言語を説明」しようという「言葉」がないのだから困難を極める。
まして「空間には基準となるスケール」がない。つまり「身体の斜め前」といっても具体的には①「手首」を、②身体の右45度に、③胸の高さで、④右胸から30センチ話した位置で・・など空間に固定された手話の動きひとつ表すのもたいへんだ。
さらに⑤手の形も様々だし、これに⑥動き(移動)が加わったらホントお手上げだ。
モノとモノの間の関係については、どこにも明確な境界線がない。私たちが存在する三次元の空間上に、空間関係をカテゴリー化するための線など引かれていないのだから。(121ページ)
音声語は一本の線のように文字で書くことができるけれど、手話の場合には例えば身体の周りに三次元の座標軸を引いて、その軌跡をグラフのように示さないと「記録する」ことができない。まして、さっきも書いたようにこれに「時間軸」(左右の手の動きの順番や時間的な「間(ズレ)」の有無)が加わらないと実用的な「記録(記述)」にはなり得ないのだから、「手話文字」がなかなか発明されないのは仕方のないことだと思うし、学習者が指導者の模範どおりにシャドウイングできないのも、そもそも指導者から示された「手(非手指動作を含む)運動の軌跡」を、正確に受け止めることができてない(だって聴者の頭の中に「記録する」方法がない)のが大きな原因じゃないかと感じる。
言語が子どもにもたらすものは、単にコミュニケーションの手段にとどまらない。子どもは言語を学ぶことで、それまでと違った認識を得る手段を得、思考の手段を得るのだ。(182ページ)
言語は、私たち人間に伝達によってすでに存在している知識を次世代に伝えることを可能にした。しかし、それ以上に、教えられた知識を使うだけでなく、自分で知識を創り、それを足がかりにさらに知識を発展させる道具を人間に与えたのだ。(183ページ)
ここを読んで手話による教育の大切さを改めて感じました。特に「教えられた知識を使うだけでなく」ってところはとっても重要じゃないでしょうか。「教える」だけが教師の役割でなく、ろうの子ども自身が「創り出す力」を育むことが教師の仕事ですよねぇ~。
私たちが見て認識するのは注意を向けたものだけである。一般的に私たちが「見た」と表現している行為は、実は「注意を向けて認識した」という行為に他ならないのだ。(191ページ)
筆者はこれらの様々な歩き方に使われる(英語の)動詞を覚えるのに非常に苦労し、いまでも数個の動詞しか思い出すことができない。これは、これらの動詞が使われるのを聞く度に「よちよち歩く」「よろめきながら歩く」など、無意識に日本語に直してしまい。日本語に直した時点で、「歩く」としてしか記憶に残らないせいではないかと思う。(217ページ)
ほんとそうですよねぇ~。手話の読み取り学習やってるとつくづくそう思います。
(表現されているのに)見るべき手話(非手指動作を含む)が学習者に見えてこないのは、そこに注意が向かない(指導者がそこに注意を向けさせていない)ことに大きな問題がある。全日ろう連の示すテキストにはそうした非手指動作を含む「注意を向けさせるべき点」への指導が理論づけられてないように感じる。それはいわゆる「基礎」テキスト(入門の次)のカリキュラム(指導内容)の問題だと思うし、あそこが一番ろう者にとって違和感(指導上の壁になる)ところじゃないかと思う。「基礎」カリキュラムが「日本語の意味をつかんで日本語で翻訳して手話を考える」という発想に立つ限り、この問題(壁)は解消しないと思う。
外国語と母語での世界の切り分け方を意識的に理解することは、外国語の熟達にとって重要だ。(218ページ)
いわゆる「手話独特の表現」なんて紹介されている日本手話単語は、こうした「切り分け方の違い」を一緒に理解しないと意味をつかめない、全然使いこなせない。
子どもは、母語の情報処理を効率よく行うことができるよう、母語にとって関連のある情報には注意を向け、関係ない情報には注意を向けないような情報処理システムを、非常に早い段階から作り上げる。(218ページ)
母語と外国語における語の非対応に気づかない、ということのほか、外国語で必要な情報に自動的に注意が向けられないことが、外国語学習の難しさの原因になっている。(218ページ)
読み取りというと手の動きと口型だけで手一杯なのに「まゆ」だ「あご」だ「うなづき」だと『こんなにたくさんの情報いっぺんに読み取れるわけな~い!』ってことがありますが、実は「無駄な情報ばっかり必死見ていて肝心な情報をスルーしている」てことなのかもしれませんねぇ~。
この先生の講演、聞いて見たいです!