木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

フォルクスワーゲン・シリーズ01Type2(T1)

2008年09月27日 23時06分37秒 | Weblog
これも以前に集めたシリーズですが、やっと整理できました。まずはワーゲン・バス。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20世紀の名車コレクション01アウディA4

2008年09月23日 20時35分48秒 | Weblog
かなり昔に集めたシリーズなんですが、今日部屋の片付けをやって、ようやくアップできるようになりました。一台目はアウディA4の旧モデル。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本手話学会に参加して来ました(その5 日本手話話者はもっと少ない;神田先生)。

2008年09月21日 23時15分27秒 | Weblog
わがふるさと愛知県チームの発表は市田推計批判という内容で、無責任な外野としてはこれはこれでなかなか面白かったです。
これまた一言でつづめて言っちゃうと、2001年に国リハの市田さんらが発表した「日本手話母語話者人口推計の試み」による5万7千人という数字に異議あり、身障手帳1・2級の聴覚障害者数3万5千人がマックス(上限)だろう、という主張でした。
人口推計自体にはあまり興味湧かなかったのですが、予稿集の最後のところで神田さんらが「総人口に対するろう人口が日本は異様に少ない。つまり手話は普及していないのである。」ということで、逆に言うと手話を知らない聴覚障害者が大多数なんだから少数ろう者の日本手話に拘ることなく(正確には神田先生たちは「手話の特定変種に拘泥するような研究や運動ではなく」と書かれています。)「多様な変種について関心をもつべきであり、それにはピジン言語の研究が役に立つと考えられる。」と締めくくられているのです。
伝統的手話母語話者は今後減少傾向にあるし、IT機器の増加などによって若い聴覚障害者の日本語力はずいぶん向上し、彼らの手話はピジン手話(日本語対応手話)化が進んでいる。つまり日本手話の変化が予想されるのだから手話学会も日本手話(JSL)の研究ばっかじゃダメでしょう、とおっしゃっておられるようです。
う~ん、そうなのかぁ~?初参加の私が日本手話学会のことをうんぬんはできませんが、現場で手話通訳者養成に関わっている今の自分としては「日本手話は普及していないのである、ってそれは順序が逆でしょ」って感じです。「日本手話を普及させようという努力はどこにあったのか?」「手話通訳20年選手の自分が相変わらずろう者の手話を読み取れなくて日々みじめな思いをしているのはいったいどういうわけなんだ」と言いたい。
何度も書いて恐縮だけど聴力障害者情報文化センターの石原さんが私たちの研修で語ってくれたこと、すなわち「言語としての手話研究はとっても進歩したけど、その成果がもうそろそろ手話通訳者養成などの現場に還元されてもいいころなんじゃないだろうか」って僕も強く思うのだ、だから神戸まで来たのだ。
これは神田先生を批判したいっていうんじゃなくて、現場の通訳者は「いったいどうやって勉強したら、ろう者の自然な手話を読み取れるようになるんだろうか。ろう者の手話っていったい何なんだって誰か教えてくれぇ~」って今も悩みながら活動していることを知って欲しいということなのだ。だから「(日本)手話は普及してない」んじゃなくて、(特に「手話通訳者」と言われている人たちへの)普及のための努力が始まったばかりなんじゃないかと思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本手話学会に参加して来ました(その4 接続詞とうなづきの関係)。

2008年09月21日 23時01分40秒 | Weblog
神田さんの発表を書く前に「うなづき」のことを書いておきます。
千葉大と早稲田大学の方たちのチームは「日本手話対話における後続うなづきと接続詞の関係の分析」について発表されました。
結論として「後続のうなづき単独で『話題化』『順接』『条件』『ロールシフトを抜ける』という接続詞と類似した機能を果たしている」とのことでした。
また「接続詞とうなづきの共起関係を分析したところ、前後を接続する接続詞が手指で単語として表現された場合、その単語と同期してうなづきが生じやすいが、否定的な単語に関してはうなづきが共起しない」とのことでした。
発表後に神田先生から「先行するうなづきはないのか」「音韻変化はないのか」「ポーズとの関係は」「『~の時』の場合は接続詞とは言えないのではないか」など鋭い突っ込み(質問)を浴びていましたが、しろうとの私としては「そうそう、その『うなづき』が読めなくて苦労するんだよぉ~」って感じでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本手話学会に参加して来ました(その3 森壮也さん発表)。

2008年09月21日 22時30分26秒 | sign language
森壮也さんの発表「ミャンマー手話の分析のための予備的考察」も良かったです。実はこの話の概略は地元のろう会長さんの講演で一度聴いてるはずなんですが、その時は実は手話通訳者養成の読み取り通訳実習としての講演だったものですからどうも内容が頭に残っておらず、今回森さんのお話を聞いて改めてミャンマーの実状を理解することができました。
ミャンマーといえば軍事政権になって首都が強制移転されちゃった国というくらいの知識しかないのですが、ろう者の世界にもその暗い影が色濃く差していることを改めて感じる発表でした。
その新しい首都から離れた南部(たぶん離れているのじゃないかと思う)のヤンゴンのろう学校はNGOによる経営ながら歴史もあり手話による教育もキチンと行われているにも関わらず、もう一つのろう学校「マンダレーろう学校」は社会福祉省管轄下で厳しい政府管理の下にあるとのこと。
そんな国への森さんたちは「標準手話」策定の支援のために招かれたとのこと。でも、簡単に言っちゃうと、政府の意向による「標準」ということでは「ただ支援すればいいというものではない」という問題指摘でした。
そうした状況は中国なんかにもあって
「中国手話と呼ばれる中国政府によって公認された中国の標準手話は、ろう者が日常的に使用している手話とは語順を異にし中国での標準語である普通語と同一の語順である。また手話の文法要素である非手指動作を一切欠いているといっても過言でない。」
のだそうです。
これは「アジアの他の地域でも・・・」って書いたのですが、日本はそうじゃないって言えるのでしょうか。私など1981年に手話を学び始めたころはシムコム手話を教わりながら、(ろう者が実際に会話している手話が読めないのは)「あれは『伝統的手話』といってろう者どうしだけで通じる手話なんだよ」(だからあなたがあれを学ぶことは無理)って言われて育ってきたのです。その状況って25年以上たった今もあんまり変わっていないような気がしてしまいます。
そんな意味で次に紹介する神田先生の発表はちょっとインパクトありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

books116「アフリカのろう者と手話の歴史」亀井伸孝著(明石書店)

2008年09月21日 22時11分52秒 | books
アフリカのろう者と手話の歴史―A・J・フォスターの「王国」を訪ねて
亀井 伸孝
明石書店

このアイテムの詳細を見る

っつうわけで、日本手話学会における亀井さんエブナさんの基調講演がとっても面白かったので、すかさずAmazonで「アフリカのろう者と手話の歴史」をゲット。もちろんまだ読んでませんが、この本を読めば私が神戸で得た感動を皆さんにもお分けできると思うのです。ちょーお奨めです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本手話学会に参加して来ました(その2 亀井さん&エブナさん)。

2008年09月21日 21時14分12秒 | sign language
今回、「想定外」の面白さだったのが、亀井さんとエブナさんの基調講演でした。
「想定外」なんて実に失礼な話なんですが、タイトルが「フランス語圏アフリカ手話(LSAF):その歴史・現状・未来」で、茨城の手話さえ毎週戸惑っているばかりの私として「何故にアフリカかい?!」って感じで、実は全然期待していなかった(ホント失礼です!スミマセン)のですが、これがすんごく面白い講演でした。
お二人の講演によれば、西・中部アフリカのろう者たちは、アフリカに手話を広めた「ろう者のためのキリスト教ミッション(CMD)」の影響でアメリカ手話(ASL)を用いているのですが、それらの地域はフランス語圏(もちろん様々な民族諸語があるのですが、植民地時代の影響でフランス語が公用語とされている国々)とも重なるために、フランス語(口形など)をベースにしたアメリカ手話なんだそうです。それを「フランス語圏アフリカ手話 Langue des Signes d'Afrique Francophone(LSAF;エル・エス・アー・エフ)」と命名しようというのがお二人の発表でした。
亀井さんは音声日本語で発表され聞き取り手話通訳が付きましたが、エブナさんの国際手話による発表は亀井さんが読み取り通訳し、その声を聞き取り手話通訳とパソコン要約筆記による書記日本語で情報保障するという形でした。聴者である私はエブナさんの国際手話をずっと見ながら、耳から亀井さんの音声訳を聞くという贅沢な(ずるい)経験をしてしまいました。
最初に亀井さんが「アフリカにおけるアメリカ手話伝播の歴史」や「アフリカろう教育の父アンドリューフォスター」のことを話してくださり、次にエブナさんがLSAFの現状ということで実際にいろいろなLSAFを紹介してくれました。
例えば「水」という手話はASL(アメリカ手話)では、あごのところで「W」を表す(Waterだからね)んだけど、LSAFではフランス語の「水=eau(「オ」と読みます)」から「e」の形をあごのところで表すとのこと。それでもってフランス手話(LSF)の「水」は日本手話の「10」みたいな形で全然違うんです。
また父(英語=father、仏語=Papa)の場合は、アメリカ手話の「父」の手形(5指を伸ばした右手の親指を額に当てる?)なんだけど口形が「パ」つまりフランス語の「パパ」になるんだそうです。他にもいろんな事例を紹介して「音声フランス語ベースのアメリカ手話」であることを説明してくださりとても興味深く聞くことができました。
それでもって第3部は再び亀井さんの説明で「研究の将来に向けて」というお話。お二人はナント!「DVDによるLSAFの辞典」を作ってしまったとのこと。すごい! 3,300件7時間40分に及ぶDVDとのこと。それは辞典であり、文法書であり、例文集であり、スキット・会話集でもあるというスーパーDVD。
また亀井さんのお勤め先の東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所でLSAFの集中講義(5週間150時間)を敢行し10名の方が受講されたとのこと。そこでは毎日寸劇をやったりアフリカの文化講演会をやったそうです。そうかぁ寸劇かぁ~。最後は受講生による卒業発表劇もやられたそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ETV特集「手の言葉で生きる」(9月21日日曜日午後10時から)

2008年09月21日 21時08分08秒 | sign language
もうあと1時間後のなので今さら書いてもあんまり意味ないですが、手話通訳の勉強会をやってる仲間からの情報をお知らせします。
9月21日(日)、つまり今夜10時から11時まで、NHK教育テレビ「ETV特集「手の言葉で生きる」」が放映されるそうです。
新聞の番組案内には『8歳の小さな手が紡ぐ手話の世界』とありました。
また、NHKの番組紹介には、
「私たちは“聴覚障害者”ではありません。“手話を使う人”です」
「手話」がどのような言語であり、「手話を使って生きる」ことがどのようなことなのか、私たちは本当に知っているだろうか。 じつは「ろう者」の人たちがネイティブに使う独自の手話は、「日本語」の文法とは異なった言語なのである。

神奈川県立平塚ろう学校、小学2年生の教室。小さな手をひらひらとさせて、5人の子どもたちが日本語の勉強をしている。幼いころから耳の聞こえない「ろう者」独自の手話で生きてきた子どもたちが、初めて日本語を習う教室である。カルタをとってひらがなを覚え、手話にはない「て・に・を・は」が分からず困惑する子どもたち。自身もろう者の加藤小夜里(さより)先生は、一つ一つ身振りと豊かな表情で子どもたちを導いてゆく。

日本のろう学校小学部で行われてきた「ろう教育」は、かつて手話を使うことを禁じ、「口話(口の形と発声を覚えさせる)」を行って「正しい日本語」を教えることを追求してきた長い歴史がある。ろう学校の教育内容が変化し、手話が使われ始めたのは最近のことで、まだ限定的であり、多くは日本語の語順に対応させた手話である。

番組では、加藤先生の教室で学ぶ子どもたちの半年間の姿を追った。ろう者同士が豊かにコミュニケーションする「手話」と、日本社会で読み書きし生活するために必要な「日本語」、二つの言語と格闘する子どもたちをドキュメントする。日本社会が手話をどう位置づけてきたのか、「手話」という言語を使う人たちと、私達がどのような社会を築いてゆくのかを考えたい。
語りは、女優の大竹しのぶさん。

と、あります。また、ソネットのテレビガイドには、
「ろう者」が自然に身に着ける独自の言語「手話」の豊かな表現の世界。そしてろう学校で初めて学ぶ「日本語」の世界。二つの言語と格闘する子どもたちをドキュメントした。
という概要と共に番組詳細として
「ろう者」が幼いころから自然に習得する“手の言葉”=手話は、「日本語」の文法とは異なった独自の言語だ。そこには、ろう者同士が豊かにコミュニケ―ションする「手話」独特の世界がある。しかし、日本社会で読み書きし生活するためには、別な言語である「日本語」を学ばなければならない。神奈川県立平塚ろう学校で初めて「日本語」を学ぶ5人のろうの子どもたちと先生の格闘を、半年にわたり見つめた。が紹介されていました。どんな番組かとても楽しみです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本手話学会に参加して来ました。(その1 何語で議論するの?)

2008年09月19日 01時08分07秒 | sign language
明石焼きの写真だけで終わってしまっては、「第34回日本手話学会」とはいったい何だったのか訳が分からないですから、今お風呂の中で思いついたことを書いておきます。
手話学会の中でも以前議論がなされたとのことでしたが、それは「手話学会では何語で議論がなされるのか?」というテーマです。
手話学会ですから議論の対象はもちろん「手話」なんですが、その「手話」の定義からして永遠のテーマって感じですよね。今回の発表の中でも中京大学の神田先生が「手話の特定変種に拘泥するような研究や運動ではなく、多様な変種について関心を持つべきであり、それにはピジン言語の研究が役立つと考えられる。」と書かれていたりして、それはそれで大変面白かったです。(いったいそれはどういう意味ですか?と質問をしようとしたのですが、時間がなくて切られてしまった。)
「面白かった」などと不用意に書くとまたお叱りを受けそうですが、「大多数の聴覚障害者は日本手話使用者ではないのだからピジン言語について研究した方が役立つ」という論理っていかがなものかなぁ~。
一方手話には「書記語」が決まっていないので予稿集やパワポなど発表のベースは当然「書記日本語」なわけです。そしてろう者は自ら手話で発表して「読み取り通訳」が音声日本語に訳します。学会の「読み取り通訳」ですから当然ハイレベル・・なんですが、森会長の発表の時などはちょっと??と感じる部分もありました。それは「通訳が間に入ることによるバイアス」と言ったらまた語弊がありますが、「何語で発表するのか?」ってやっぱり大きいなと感じました。通訳を介して発表を「聞いている」人と、直接森会長の手話を理解する人の間には、そもそも議論に最初から「溝」というか「距離」が生じてしまうおそれがある。

もう一つ興味深かったのが、学会後の夜の懇親会です。ここは「日本手話ベース」なのかというと、聴者は「音声日本語」ベースです。私も「議論」できるような「日本手話」の力量がないので、言いたいことを言いたいと思うほど「音声日本語」にシフトしてしまいます。
手話学会の発表はどれも面白くて書きたいことがたくさんあるのですが、それについて論じようとする自分の言語が音声日本語でいいのか?という素朴な疑問(違和感)を感じた次第です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石焼き

2008年09月15日 19時03分57秒 | Weblog
手話言語学会の帰りに三宮から新神戸まで北野坂をぶらぶら歩いていて見つけた明石焼きのお店「菊兆」。お店の中でも食べられますが、私は持ち帰りにしてもらって新幹線の待ち合い椅子で食べました。
おつゆにきざみネギも付いてとっても美味しかったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする