ラーメン好きとして、最近読んだ新聞記事の中で一番感動した記事。
「ラーメンで支援の輪」
2011.3.26.土 読売新聞より
文京の店主ら 避難所で無料提供
東日本巨大地震の被災者に温かいラーメンを食べてもらおうと、文京区湯島の人気ラーメン店「阿吽(あうん)」の店主、水本タケヒロさん(38)らが、被災地の避難所でラーメンの無料提供を始め、「心も温まった」と喜ばれている。今後1年間は規模を拡大しながら続ける方針。全国500店以上のラーメン店から協力の申し出もあり、ラーメンを通じた支援の輪が広がっている。(石川純)
全国500店以上が賛同
「心温まる1杯のラーメン。最後のスープまでありがたくいただきました」「久しぶりの温かいラーメン。この味は忘れることはできません」。テーブルに置いたノートには、こんな書き込みが相次いだ。
23日昼、宮城県気仙沼市立鹿折(ししおり)中学校の避難所となっている体育館。寒風にさらされる屋外で、水本さんを含む6人のラーメン店主らが提供した約800食の豚骨ラーメンには300メートルの行列ができた。家を失い、憔悴(しょうすい)し、震えながら避難生活を送る大人や子どもたちは、温かいラーメンをすすると笑顔を見せてくれた。
「いとこが被災した阪神大震災では何もできなかった」と水本さん。「今の自分ならラーメンで支援ができる」と、知り合いのラーメン店主らと「ラーメン義援隊」を結成し、ブログやツイッターで賛同を呼びかけた。
有名ラーメン店からチャーシュー、製麺会社から麺、「一緒に現地に行きます」という店主など、北海道、博多、東京など500店以上から協力の申し出があった。第1陣として17~18日、気仙沼市に詳しい仲間が同市内で被災者に提供。水本さんは22~24日の第2陣に参加した。食材、プロパンガス、水……。必要なものはすべて持参。風で火が安定せず、お湯を一定の温度に保つのに苦労した。
23日夜。ラーメン作りを終えて片付けをする水本さんたちの周りに避難所から60人近くの人たちが集まった。
「我々は頑張ります」「ありがとう」。何もかも失った人々からの感謝の気持ちが心に染みた。「気仙沼を必ず元のきれいな街に戻すので、見ていて下さい」。あるおじいさんの言葉は力強く、決意がみなぎっていた。
「ラーメン屋であることが誇らしい」。今後も気仙沼市内だけでなく、南三陸町や石巻市など被害の大きい場所で東京の店との間を行ったり来たりしながら、賛同する仲間たちと続けていく予定だ。
「行政やNPO法人といった組織ではないが、ラーメンで結びついた仲間たちと応援していきたい。復興を担う人たちの活力になれば」
(2011年3月26日 読売新聞)
「ラーメンで支援の輪」
2011.3.26.土 読売新聞より
文京の店主ら 避難所で無料提供
東日本巨大地震の被災者に温かいラーメンを食べてもらおうと、文京区湯島の人気ラーメン店「阿吽(あうん)」の店主、水本タケヒロさん(38)らが、被災地の避難所でラーメンの無料提供を始め、「心も温まった」と喜ばれている。今後1年間は規模を拡大しながら続ける方針。全国500店以上のラーメン店から協力の申し出もあり、ラーメンを通じた支援の輪が広がっている。(石川純)
全国500店以上が賛同
「心温まる1杯のラーメン。最後のスープまでありがたくいただきました」「久しぶりの温かいラーメン。この味は忘れることはできません」。テーブルに置いたノートには、こんな書き込みが相次いだ。
23日昼、宮城県気仙沼市立鹿折(ししおり)中学校の避難所となっている体育館。寒風にさらされる屋外で、水本さんを含む6人のラーメン店主らが提供した約800食の豚骨ラーメンには300メートルの行列ができた。家を失い、憔悴(しょうすい)し、震えながら避難生活を送る大人や子どもたちは、温かいラーメンをすすると笑顔を見せてくれた。
「いとこが被災した阪神大震災では何もできなかった」と水本さん。「今の自分ならラーメンで支援ができる」と、知り合いのラーメン店主らと「ラーメン義援隊」を結成し、ブログやツイッターで賛同を呼びかけた。
有名ラーメン店からチャーシュー、製麺会社から麺、「一緒に現地に行きます」という店主など、北海道、博多、東京など500店以上から協力の申し出があった。第1陣として17~18日、気仙沼市に詳しい仲間が同市内で被災者に提供。水本さんは22~24日の第2陣に参加した。食材、プロパンガス、水……。必要なものはすべて持参。風で火が安定せず、お湯を一定の温度に保つのに苦労した。
23日夜。ラーメン作りを終えて片付けをする水本さんたちの周りに避難所から60人近くの人たちが集まった。
「我々は頑張ります」「ありがとう」。何もかも失った人々からの感謝の気持ちが心に染みた。「気仙沼を必ず元のきれいな街に戻すので、見ていて下さい」。あるおじいさんの言葉は力強く、決意がみなぎっていた。
「ラーメン屋であることが誇らしい」。今後も気仙沼市内だけでなく、南三陸町や石巻市など被害の大きい場所で東京の店との間を行ったり来たりしながら、賛同する仲間たちと続けていく予定だ。
「行政やNPO法人といった組織ではないが、ラーメンで結びついた仲間たちと応援していきたい。復興を担う人たちの活力になれば」
(2011年3月26日 読売新聞)