かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

亥の子

2007-11-27 11:22:36 | 田舎の生活

一昨日25日は、我が地区で「亥の子」行事があった。本来なら、13日の亥の日に行うのだろうが、今年は25日の亥の日が日曜にあたるので、この日にしたのだと、世話人の一人である友人が話していた。この亥の子行事、旧三崎町内では、もうここ名取地区にしか残っていないとのことである。

「亥の子」は、子供達が秋の収穫に感謝して、五穀豊穣や家内安全などを祈る行事で、旧暦10月の亥の日に行われる。子供達が一軒一軒を巡って、家の前で歌を唄いながら漬物石のような石に繋いだ縄を引っ張りながら上下させて地面を搗(つ)く、というのが一般的なようだ。そして、子供たちに家の人が祝儀を振舞う。ただ県内には、稲藁を4~5センチに束ねてきつく縛り、棒状のもので地面を叩く、という地域もあるようだ。

私が子供の頃には、亥の子の日の夕方から夜にかけて、子供達が気の合った仲間数人で、各家を回って亥の子歌を唄いながら地面を搗き、小遣いをもらっていた。だから、気前の良いお金持ちの家に、先を競って行っていたのではないだろうか。当時は、ほとんどの家は、地面むき出しの内玄関(土間)があったので、そこで亥の子をやることもあったと思う。なお、我が地区では縄に縛るのは石ではなく、木槌だった。

その頃私は、まだ小学校低学年で、高学年になったらやろうと思っていたのか、あるいは他人の家に亥の子に行く度胸がなかったのか、はっきりした記憶はないが、高学年になる頃にはこの亥の子行事が廃れたように思う。だから、私は亥の子をやったことがない。しかし、祝儀(小遣い)が貰えるということが羨ましくて、小さな旅館をやっていた近くの祖母の家に行って、弟か従兄弟と亥の子もどきをやって、祖母から小遣いをもらったことがある。畳の上でやるので、木槌の代わりに枕を縛ってやった。そのうち、糸がほつれて中の籾殻が出てくるというようなはめになった。

我が地区で亥の子が廃れた理由はわからないが、『ウィキペディア』によると、「昭和40年代に、この時期になると準備や亥の子歌の練習に夢中になり、宿題や勉強がおろそかになることなどから、学校が亥の子行事を禁止し廃れてしまった地域もある。」とある。もしこれが本当なら、残念なことだ。学校が、地区の伝統行事を勝手に廃れさせていいものだろうか。

その亥の子が近年、世話をする方たちのおかげで復活したようだ。

さて、今回の亥の子だが、午後4時半から始めますと、有線放送でお知らせがあったので、我が家には何時頃来るのだろうかと待ちわびていると、6時前にやってきてくれた。 

   我が地区の「亥の子歌」

どんと恵比寿 祝いましょう おお大黒のお庭には

 一で 俵ふりまいて    二で にっこり笑うて

  三で 酒つくって      四つ 世の中よいように 

  五つ いつもの如くなり  六つ 無病息災に

  七つ 何事ないように   八つ 屋敷をひきそろえ

  九つ 小倉を建て並べ   十で とうとう納めた

   インノコエー インノコエー

 

ここ名取地区では、「亥の子」のことを訛って「インノコ」というので、「インノコエー」となる。他に、最後に ♪ヤンサラエー ヤンサラエー ♪ というのもあり、全部で4~5曲唄った。

と、ところが、何だか変なのだ。 亥の子歌をきちんと唄ってはいるのだが、歌のテンポがとても速く、まるで「せっせっせ」のようで、力強さもなかった。そして、子供たちの縄を引く動作も元気がなく、ただ突っ立って上下に動かしているだけだった。 

なぜもっと広がってぴんと縄を張らないのか?うちの庭が狭いからか?

なぜもっとゆったりとしたテンポで唄わないのか?腹が減ってあせっているのか?

なぜもっと元気よくやらないのか?楽しくないからか? 

世話をしている人達や子供達には申し訳ないが、そんなわけで、何十年ぶりかで見る亥の子に私は大いに落胆してしまった。せっかく伝統的な行事を復活させ、継承していくのだったら、改善して欲しい、正調に戻して欲しい、と痛感した次第だ。