かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

“まなご石”の謎

2007-11-16 11:16:42 | 田舎の生活

昨日は、夕方4時過ぎに突然テレビが映らなくなった。我が家は、テレビもインターネットもCATV契約なので、その後当然インターネットも切断されてしまった。不具合の原因究明に時間がかかったようで、やっと8時過ぎに復旧した。おかげで、大相撲中継を見ることができず、久しぶりに音も映像もない中での夕食となった。 

 

それはさておき、我が地区の風習に関して、興味あるコメント(質問)を頂いた。そこで本日は、そのご質問に関する現時点での私見・想像などを書いてみることにします。

我が名取地区には、昔よりお墓に「まなご石」なるものを供える風習があります。例えば、ある方が亡くなられたとすると、葬式の日に、浜に行って「まなご石」をいくつか拾ってきて、それをお墓に供える。あるいは、母の話によると、以前は毎年旧暦の1月14日に、浜から新しい「まなご石」を拾ってきて、墓石の周りに供える、といった風習があったようだ。

この「まなご石」とは何かというと、浜辺にある小石の中で、角が取れ丸くなった真っ白な石のことです。浜には、その他黒い石や青い石がたくさんあるのに、なぜこの白い石だけを特別視して「まなご石」と呼ぶのかは、私にはわからない。たしかに、浜に数ある小石のなかでこの石の白さは目立つし、先人達がこの白い石を美しいと思い、他の地域には見られないので特別な石だ、というようなことを感じたのではないだろうかという想像はできる。ちなみに、この石は既にご紹介した梶谷鼻などにある大理石が、長い時間をかけて波に洗われて磨耗し、丸くなったものです。だから、少なくともこの半島では名取の浜にしかないと思われるので、そのことが特別視した理由かもしれません。 

ところで、私はまずなぜ「まなご石」と呼ぶのかがわからない。おそらく「真砂(まさご)」が訛ったのではないだろうかと思うのだが(または「砂子(まなご)」)、「真砂」は細かい砂のことだから、我が地区でいう「まなご石」とは大きさが違うように思う。

それとも、「愛子(まなご)」、あるいは「まなこ(眼)」のことだろうか? ちなみに、あの嫌われもの、カメムシのことを「まなご」と呼ぶ地方もあるようだが、これは違うだろうなと思う。

名前の語源・由来はさておくとして、ではなぜこの「まなご石」をお墓に供えるのだろうか。私なりにいくつか想像してみました。

お墓には、玉砂利とか化粧砂利と呼ばれるものを敷き詰めているようなので、その変形なのかもしれない。それとも、墓石を建てる習慣ができる以前の、自然石を積んで墓の目印にした習慣の名残かもしれないし、あの世とこの世を境する「結界」の役目があるのかもしれない。あるいは、墓石を柱に見立てたストーンサークルの可能性だって否定できない。 

そもそも、日本の場合、なぜ墓石を建てるのだろうか?その墓石はなぜ柱のように縦に長いのだろうか?海外に見られるように、横長でも、平板でもいいじゃないかと思う。おそらくこの形状は、天(あの世・永遠)と地(この世)を媒介する象徴、つまりは、そこに祀られた人間の霊を柱(この場合墓石)に依って天に送り届ける、という意味から生じたのではないだろうか、などと妄想してみたりする。そして、「」という色は、葬祭や霊などと密接に関係しているように思われる。だから、数ある小石の中で真っ白な「まなご石」が霊の宿る石として選ばれたのかも知れない。きっと、名取の先人達は、真っ白い「まなご石」を神聖なものだと感じたであろうことは想像に難くない。 

とはいうものの、米の御飯など、大病した時か死の間際にしか食べられなかった質素なその昔、この「まなご石」の白さと形を「米の御飯」に見立てて、お墓にお供えしたのではないだろうかとも思えてくる。いやいや、そんな美談めいたことはなく、浜で見た「まなご石」をきれいだと思った先人の一人が、たまたまそれを拾ってお墓に供えたのが始まりで、その後は集落の人たちも真似ただけ、という単純な話かもしれない。

いつ頃から、この「まなご石」の風習が始まったのだろうか?日本の他の地域でも、お墓に小石を供える風習のあるところがあるのではないかと思う。ちなみに、ユダヤ教の儀式に墓に石を供えるというのがあるようだ。

今回は、想像ばかりで明確な回答ができず、煩雑な文章になりましたが、とても興味深いご質問ですので、これからの宿題にしたいと思います。