かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

僕のTシャツ(5:キリマンジャロ前編)

2007-11-01 11:20:36 | 旅行

ヘミングウェイの短編「キリマンジャロの雪」の冒頭に、「・・・頂上に近く、ひからびて凍りついた一頭の豹の死体が横たわっている。こんな高いところまで豹が何を求めてやってきたのか、だれも説明したものはいない。」とある。

自分にとっては、かなりの冒険心だったかもしれない。アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロに登ってみたいと思うようになったのだ。他の旅行で知り合った方たちの中に、何名かキリマンジャロ登頂経験者がいて、その方たちから話を聞いていると、行ってみたくなり、ひょっとしたら自分にも登れるのではないだろうかと思うようになったからだ。その方たちの話によれば、キリマンジャロ登頂は、特別な技術を必要とするものではなく、それほど大変なことではないと言う。あの市毛良枝さんや椎名誠さんも登っている。しかし不安がないわけではなかった。行くと決めてからは、毎日出勤時の駅までの道を、かなり急ぎ足で歩く程度のトレーニングはやった。

そんなわけで、1993年某ツアー会社に申し込みをして、年末・年始を利用してケニアへ飛び立った。  

成田を午後出発して、カラチで航空機を乗り換え、翌日午後ケニア・ナイロビに到着した。到着した日はナイロビに泊まり、翌日アンボセリ国立公園へ行き、広大なサバンナでサファリを楽しんだ。そして、象やキリンの背景にそびえるキリマンジャロの雄姿を見ることができた時は、これで登頂できなくてもいいや、この旅の目的の半分以上は達成できたと思った。子供の頃夢中で見た、『少年ケニヤ』の大地に自分がいることに感動した。金髪の美少女ケイトはいないが、ワタル少年になった、かも。

そして、アンボセリのロッジで買ったのが、今回のTシャツだ。二頭の象の尻尾が絡み合ったこの絵柄、なかなか微笑ましくてこれを選んだ。

アンボセリを後にして、さていよいよ、キリマンジャロを目指すべくタンザニアへ向かい、国境の町ナマンガに到着する。この町では、国境の道路沿いに仰々しい遮断機があり、金網で仕切られていた。そして、パスポートや入国許可証のチェックがあったため、30分程足止めされた。しかし、マサイ族の方々は、そんなうっとおしいものは関係なく、平然と行き来している。聞けば、この町に国境ができたのは新しく、国境など存在する前からマサイの方々は、ケニアとタンザニアにまたがるこの地に、牛や羊を放牧しながら住んでいたという。だから、ヨーロッパ勢が突然、勝手につくった国境線など、誇り高い彼らにとって何の意味も持っていないのだろう。黒褐色の肌と細長い足、マサイの方々はとても凛々しく見えた。

タンザニアに入ったその日は、アルーシャ国立公園内をドライブし、フラミンゴやカバさんを見物した。そして夕方、キリマンジャロの見えるモメラロッジに到着した。す、すると、それまで厚い雲で覆われていたキリマンジャロの頂上が、次第にくっきりと姿を現した。グッド・タイミングでロッジに到着したと思い、部屋に荷物を運ぶ時間さえもったいなくて、急いで三脚を立て写真を撮り始めた。と、ところが、撮影を終わろうとしたその時、さらに雲は切れていき、今度はキリマンジャロのすぐ左上に、な、なんと、まん丸いお月様が現れた。 これは、すごいプレゼントだと思い、もう一度気合を入れ直して気の済むまでバシャバシャ、シャッターを切った。 

 

翌朝目覚めると、ロッジのすぐ近くまでキリンがやってきて、草を食べていた。そのロッジを後にして、いよいよキリマンジャロの登山口マラングゲートへ向かう。マラングゲートで登山手続きを済ませ、ガイド、ポーターたちとともに登山開始だ。  

ところが、どうもこの日は風邪気味になり、肩がとても重く感じられた。そのため、登山を開始しても、私のペースは上がらない。そして、かなり疲れて1日目の山小屋マンダラハット(2,727m)にやっとの思いでたどり着くことができた。ロッジ到着後、しだいに熱が出てきて、お腹の調子もおかしくなりだしたため、夕食時は全く食欲がなかった。それでも、少しでも口に入れようと思い少しは食べた。そして、グループの皆さんに迷惑をかけてはならないと、食後すぐに寝袋に包まり、「明日から登山を続けられるだろうか」という不安な気持ちになりながら、ひたすらじっと眠り、汗を出すことに努めた。   ≪つづく≫