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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

明王院-(1) (福山)

2020年11月02日 | 寺社巡り-広島

【広島・福山市】寺伝では、明王院の前身である常福寺が、平安初期の大同二年(807)、弘法大師空海によって創建されたとされる。
かつて寺院の前を流れる芦田川の対岸(東岸)に、城下神島町の歴代藩主の祈願寺となっていた明王院が存在し、常福寺(西岸)と共に栄えていた。 中世の常福寺は、鎌倉時代後期の南都西大寺流律宗の勧進活動や門前に草戸千軒町という港町があって繁栄していたことから、鎌倉時代末期には本堂を再建し、室町時代前期には五重塔を建立するなど中世の西国屈指の寺院に発展した。
宗旨は真言宗(大覚寺派)で、本尊は十一面観世音菩薩立像。 十一面観世音菩薩像は平安時代前期作で檜の一木造り。 中国三十三観音霊場第八番札所、山陽花の寺二十四か寺第十八番札所。

芦田川と河手川との間の堤防の上にあるバス停「明王台入口」で下車し、堤防の上を歩いて明王院に向かうと河手川に沿って大きく開けた門前に着く。
壁面に5本の定規筋が入った築地塀の中に境内が広がり、石の階の上に山門と五重塔が見える。 右側の築地塀の傍に、竹柵に囲まれて「国宝 明王院」と彫られた巨石の寺号標石がある。 築地塀の間に設けられた門柱から境内に....直ぐ左手に「十王堂」の扁額を掲げた閻魔堂が建つ。 ガラス張りの蔀戸風格子戸の間から堂内を覗くと、閻魔王を中心に彩色された小さな十王像が鎮座している。
石段を上りつめると豪壮な山門が建つ。 門前右手に自然石を用いた手水鉢があり、円形に彫り窪めた水溜の周囲に梵字が刻まれている。 手水鉢の脇に鎮座する鋭い眼光の不動明王像が迎えてくれた。
山門をくぐると、愛宕山を背にして境内が広がり、正面に五色幕を張ったいずれも国宝の本堂と五重塔が東面で建つ。 本堂は約700年前の鎌倉時代の建立で、和様に大仏様と禅宗様の細部意匠を加えた日本で最古の折衷様建築だ。
本堂に隣接して建つ五重塔が、調和のとれた美しいシルエットを見せている。 五重塔は約670年前の室町時代前期(南北朝時代)の建立で、現存する五重塔の中で5番目に古い。 明王院の五重塔は、奈良法隆寺など朝廷や貴族により建立された上位4つの塔とは異なり、当時栄えていた草戸千軒町の経済力が背景にあったものの、地元の住民たちが僅かな浄財(一文勧進)を出し合って建てたというから、実に感動ものだ。

△門前にある巨石に「国宝 明王院」と彫られた寺号標石....5本の定規筋が入った築地塀の奥に堂宇境内が広がる

△門柱の傍に建つ「十王堂」の扁額が掲げられた焔魔堂(十王堂とも称す)

△露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の閻魔堂....慶長の再興で享保十一年(1726)再建(平成二年(1990)修築)....正面の中央間は連子入り桟唐戸で内側に蔀戸、他は全て羽目板で窓無し

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は二手目が尾垂木の二手先で中備は詰組....円柱の上下に粽を設けた禅宗様建築

△閻魔堂に祀られている地獄の王の閻魔大王と十王の坐像

△左右に「福山西國第一番 明王院」と「備後准西國第一番 明王院」の標石が立つ石造り階の上に、山門と五重塔の最上部が見える

△切妻造本瓦葺の山門....慶長十九年(1614)の再建....親柱間の梁上に「中道山」の扁額

△左右の腰長押の上は全て白壁で埋められている/「本尊身代り十一面観音」の聯が下がる....板扉に八双金具と乳金具を施している

△山門前の右手にある自然石を用いた手水鉢と鎮座する不動明王坐像

△円形に彫り窪めた水溜め周りに梵字が刻まれている....鋭い眼光で参詣者を迎える不動明王坐像/不動明王像は蓮花を頭にいただき、辮髪を左肩にたれ、右手に利剣、左手に羂索を持つ

△山門を通して眺めた国宝の本堂

△愛宕山を背にして東面で鎮座する荘厳な本堂(仏堂)と五重塔....いずれも正面に五色幕を張っている

△入母屋造本瓦葺の本堂(国宝)....鎌倉時代の元応三年(1321)の建立で、和様に禅宗様(唐様)と大仏様を取り入れた折衷様建築の代表例

△桁行五間、梁間五間の本堂....向拝の柱は面取方柱で、身舎の柱は総円柱、周囲に切目縁を巡らす

△正面五間は全て連子を入れた桟唐戸

△水引虹梁に下がる鰐口、上に脚間に彫刻を配した本蟇股がある/正面入口の上に掲げられた「観音堂」の扁額

△軒廻りは二軒繁垂木、頭貫の上に台輪を配し、組物は出組で中備は間斗束....丸柱の上部に粽を施している

△側面五間の前二間は連子を入れた桟唐戸、残り三間は横羽目板壁.....失念したが、背面は一間が連子入り桟唐戸で他は横羽目板壁

△大棟端に鬼瓦、拝に猪ノ目縣魚、妻飾は二重虹梁大瓶束で中央に連子窓を配している

△本瓦葺の五重塔(国宝)....南北朝時代の貞和四年(1348)、地元住民の浄財(一文勧請)で建てられた純和様建築

△五重塔は5番目(法隆寺・室生寺・醍醐寺・海住山寺に次ぐ)に古く、中世密教寺院で現存する唯一の遺例....初層の漆塗り須弥壇に南北朝時代作の大日如来坐像と脇侍を安置

△総高約29メートル....初層内部は絢燗豪華な密教世界が広がり、四天柱や板壁などに極彩色の仏画や文様が描かれている(心柱は初層天井で止まっている)/初層周囲に擬宝珠高欄付き切目縁を巡らす

△三間四方で中央間に板唐戸(板扉)、両脇間に連子窓

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は三手目が尾垂木の三手先で中備は間斗束

△軒天井と蛇腹支輪を設けている



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