何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

大聖寺 (国東)

2015年08月14日 | 寺社巡り-大分

【大分・国東市】南北朝時代の延文三年(1358)に宗慧上人によって建立された天台宗の寺院。
安土桃山時代の天正十八年(1590)に付近の火災が延焼して堂宇が焼失したが、約半世紀を経た江戸時代の正保年間(1644~1648)頃、来浦の若宮八幡宮別当寺の僧・順慶が旧跡地の近くに中興し今日に至っている。
大聖寺の開基である二階堂六丸にまつわる哀話が来浦の若宮八幡宮縁起に記され、来浦地区の人々に「六丸公母子」として語り継がれている。 縁起によると、二階堂六丸母子は、将軍足利義詮の命で筑紫の強賊退治のため鎌倉から筑後に派遣された父二階堂左京之進を慕って来浦にたどりついた時、左京之進の戦死を知った。 ここで六丸母子はこの地の豪族田原親宏の保護を受けていたが、親宏の内室の嫉妬による讒言が原因で親宏によって殺害された。
来浦の若宮八幡宮は、六丸母子を殺害した親宏が、六丸母子の亡霊を慰めるため鶴岡八幡宮を勧請して建立したもの。 天台宗で本尊は不動明王像。 <六郷満山霊場第28番>

県道から寺へ続く農道を進むと、ほどなく石段参道の下に着く。 参道を見上げると両側に杉の木が鬱蒼と生い茂り、石段途中に佇む仁王像がこちらを睨んでいる。 石段をゆっくり上って仁王像に....いままでみてきた満山の仁王像に比べて力強さがなく、どことなくおおらかな感じがする風貌だ。
途中の放生池を左に見ながら進み、石段を登りきったところに簡素だが風格を漂わせる形の良い鐘楼門が建つ。 楼門をくぐると直ぐ正面に本堂、右に庫裡、左に春日大明神参道の石段と台輪鳥居が....。
境内には多層塔、国東塔、石燈籠など幾つかの石造物が佇んでいるが、古くない造立のようだ。 その中にあって江戸中期以降作とみられる青面金剛の笠付庚申塔が印象的だった。

石段参道の入口..石垣の上に佇む石造物、墓石に「..大和尚」とあるので歴代住持のものか
 
ここから両側に樹林が茂る緩やかな石段の参道が始まる..石段途中に立つ仁王像が見える

参拝者を迎える丸彫りの石造り仁王像
  
寛政3年(1791)銘がある台座に立つ吽形・7阿形の仁王像..天衣は頭上ではなく肩から後ろ首にかかる、力強さが感じられない風貌だ/参道の途中にあるお墓かな

山門近くの参道左手にある放生池

参道の途中から眺めた大聖寺の遠景

石段下から眺めた山門..簡素だが風格を漂わせる

切妻造桟瓦葺の二重門式の鐘楼門..文政8年(1825)建立
 
鐘楼門から眺めた落ち着いた境内と本堂            本堂に向かって立つ地蔵尊像

寄棟造桟瓦葺の本堂..向拝がなく石燈籠がないと古民家のようだ
 
本堂には本尊の不動明三尊像の他、阿弥陀如来像、文殊菩薩像などを安置..境内には多層塔、国東塔などの石造物が佇む
  
切妻造桟瓦葺で平入り大師堂/切妻造桟瓦葺で妻入りの十王堂/苔生した手水鉢

境内に佇む笠付庚申塔..像の姿形から江戸中期~後期作と推察
 
悪疫を調伏する青面金剛の笠付庚申塔/本堂右に建つ寄棟造桟瓦葺で裳腰を設けた庫裡

本堂左の春日大明神参道の石段と鳥居..「春日大明神」の額が掛る台輪鳥居、手前に慈母観音像が鎮座
  
「春日大明神」への石段と台輪鳥居/石段の上に小さな「春日大明神」の祠が鎮座

「春日大明神」から眺めた本堂境内
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