【大分・国東市】創建や縁起は不詳であるが、寺伝から室町時代の康安年間(1361~1362)の頃、この地に住みついた鎌倉武士・猪俣則政の末孫で信心が篤い元右衛門が四国八十八ヵ所を巡拝した際、善通寺の仏前で霊夢に弘法大師の声を感得。 歓喜した元右衛門は帰国後、弘法大師像を彫り、小庵を建てて安置したのが始まりで、安永年間(1772~1781)の頃。
その後、元右衛門の孫源三郎が大師尊像に加えて多くの尊像を刻んで明治四年(1871)に完工、これを機に出家得度し仁梅と称し、天台宗寺門派の養覚院(建久年間創建)を譲り受けてこの地に移し、明治十九年、長慶寺に改称した。 寺宝の一つに「幽霊掛軸」があり有名とのこと。 天台宗で本尊は准胝観世音菩薩像。 <六郷満山霊場第27番>
小雨降る中、静寂が漂う門前に着く。 右手に「一隅を照らす人は国の宝なり」と刻まれた石碑....その方に移動すると、山門背後の樹林の奥に白壁の本堂が少しだけ見える。
山門をくぐって石段を上りきると、両側に立つ仁王像が迎えてくれる。
直ぐ正面に白壁に花頭窓を設けた本堂、そして境内右手にまさに山寺のような大師堂が建つ。 大師堂には、弘法大師をはじめとする無数の石仏が整然と鎮座....大師の霊夢に感応した元右衛門と石仏の彫刻に奔走した源三郎(仁梅)の思いが感じられる。
庭園内には参拝者を見守るように幾つかの石造物があるが、低木に隠れるように佇む宝篋印塔が目に留まった....隅飾突起がものすごく小さいのに興味が湧いた。
樹林に囲まれ静寂が漂う門前..切妻造桟瓦葺の山門(四脚門)
境内の遠景..伝教大師聖訓が刻まれた石碑が鎮座
山門から10数段の石段の上に境内に建つ本堂
入母屋造本瓦葺の本堂
堂宇境内入口でどっしりと構える吽形と阿形の仁王像 境内に佇む地蔵尊像
入母屋造本瓦葺の本堂..本尊の准胝観世音菩薩像と脇仏として不動明王像と毘沙門天像を祀る
質素な向拝..軒下の柱に喚鐘が下がる
本堂前庭に建つ切妻造桟瓦葺の鐘楼
寄棟造桟瓦葺の大師堂..両側の花頭窓には趣がある
弘法大師石仏、四国霊場に因む88体の石仏、西国33観音霊場に因む33観音石仏が鎮座
庭園内に鎮座する3基の五輪塔と石造仏龕
五輪塔..軒厚の火輪などの形から鎌倉時代~室町時代作と推/石造仏龕に鎮座するのは頂部に十一面をいただく千手観音像か/反りかえる隅飾突起が異様に小さい宝篋印塔
堂宇境内の入口に佇む石仏
観音菩薩座像..姿形から尊名は分からず/古い石碑の前で休む弥勒尊像/聖観音菩薩像
5基の五輪塔..火輪の形から鎌倉時代~室町時代作と推
自然石をくりぬいた大きな手水鉢
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