【大分・国東市】南北朝時代の延文三年(1358)建立の大聖寺の跡地に、南北朝から室町時代にかけて造立された宝塔、宝篋印塔、各種の五輪塔200基余り(約300基とも言われる)が鎮座する。
大小の宝篋印塔は、二階堂六丸母子と家臣の墓とされ、五輪塔群は鎌倉・室町時代に活躍した来浦辺衆の墓塔群とされる。 二階堂六丸母子については、昨日投稿の「大聖寺(国東)」に記した。
大聖寺拝観後、石段下から約百メートル離れた旧大聖寺跡五輪塔群に向かう。
見ると、畑の中に巨大な2本の樹が枝を広げていて、その下に無数の石造物がひしめき並んでいる。
周囲を小さな五輪塔で囲んだ聖域の中に、大小の宝篋印塔や板碑形墓石がひっそりと佇む。 聳える2本の巨木が、まるで子供を育てる鳥が、巣で大きく羽を広げて子供たちを護っているようにみえる。
戻る際、歩きながらもう一度振り返って五輪塔群を眺めたら、なんだか2本の巨木が家臣たちを見守る六丸母子の姿に見えた。
巨大な樹が枝を広げた下が旧大聖寺の跡地
南北朝時代の延文3年(1356)建立の旧大聖寺跡地に鎮座する200基以上の石造物群
南北朝時代~室町時代に造立された五輪塔群
二階堂六丸母子と家臣の墓と称される大小の宝篋印塔や五輪塔(国東塔も)がある
五輪塔は火輪の形などから室町時代作と分かる
五輪塔群の多くは鎌倉・室町時代に活躍した来浦衆生の墓とされる
五輪塔に囲まれた中に佇む板碑形墓石や少し大きな五輪塔
旧大聖寺跡地にひしめいて並んでいる五輪塔群
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