【神奈川・中郡・大磯町】旧島崎藤村邸は大正末期から昭和初期にかけて建築された建物で、菓子で有名な新杵が所有する貸別荘(邸宅?)だった。 藤村は昭和十六年(1941)1月、休養で湯河原町を訪れる途中、大磯の祭り「左義長」の見物に立ち寄った際、温暖なこの地を気に入り、大磯での生活を決意した。
★国道1号線から住宅地に入り、しばらく進むと割竹塀に囲まれた旧島崎藤村邸の前に着く。 教科書でしか知らない島崎藤村だが、晩年ここに住んでいたと思うと感慨深い。 竹穂垣を袖塀のように設けた表門を入る。 正面が建物の西側で砂利を敷いた中、飛石を配した奥に玄関があり、その手前に女中部屋の肘掛け窓がある。 建物内は立入禁止とのことで、表門脇の庭木戸から小庭に入る。
△穂垣造りの割竹塀に囲まれた旧島崎藤村邸....屋根は寄棟造桟瓦葺で、L字に配している(居間の東側の屋根の形は見えず)
△切妻造木皮葺の表門....袖塀のように両側に竹穂垣を配している
△表門から眺めた主屋西側の外観....砂利と飛石を敷いた奥に玄関がある....手前右は女中部屋の窓
△庇を設けた女中部屋の肘掛け窓
△肘掛け窓から覗いた和室六畳の女中部屋
玄関は引き違い格子戸で、上に連子入り欄間がある....外壁は下見板張り
△主屋北側の外観....手前から浴室、台所、納屋そして便所で、浴室と台所に勝手口がある
△表門の脇に小庭への小さな庭木戸がある/上部に菱格子を入れた庭木戸
★小庭に入ると直ぐ左手の濡れ縁がある小庭に面した部屋は藤村の書斎で、晩年の多くをこの部屋で過ごしたそうだ。 濡れ縁の東端に珍しい仕切り壁がある。 縦棒を入れた窓のある脇障子風の仕切り壁は小庭を眺めるのに邪魔な存在だと思うのだが、わざわざ設けたのは何故かな。
書斎の白壁にハギの枝を格子にして、アケビのつるを巻き付けた茶室風の下地窓があり、なかなか趣がある。 書斎東面の外壁側に回る。仕切り壁の外側と書斎の外壁はいずれも板壁に杉皮を張りつけた造りで、仕切り壁は縦張りなのに対し書斎外壁は横張りだ。
△庭木戸からみた濡れ縁がある書斎と庭で、濡れ縁側に銅板葺の庇を設けている....奥の木立に隠れた建物は離れ(立入禁止)
△書斎濡れ縁前の苔生した割竹垣に囲まれた小庭
△濡れ縁から覗いた床の間がある和室四畳半の書斎....奥の廊下の左が女中部屋で右手に内縁がある
△濡れ縁の東端に設けられた脇障子風の仕切り壁....縦棒を入れた窓がある(西端の仕切りに窓なし)....室内に掲げらている静子夫人筆による「明月」の扁額(レプリカ)
△東側の白壁に設けた萩の枝を格子のして作られた茶室風の下地窓....書斎の入口は茶室の躙り口を模しているらしい
△濡れ縁の脇障子風仕切りの外面と書斎の外壁は板壁に杉皮張り....仕切り壁は縦張りで書斎外壁は横張り
△庇を設け萩の木の格子を入れた下地窓の雨戸は下から上に跳ね上げる方式
△書斎の右後方に連なる居間・寝室....広縁(内縁)外側にガラス入り腰高格子戸
△書斎や居間から眺められる小さな飛石や石組みが配された割竹垣で囲まれた小庭
△小庭に置かれた飾手水鉢/小庭に置かれた「涼しい風だね」のオブジェ....永眠直前に藤村が残した言葉
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