何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

甚目寺-(3) (あま)

2020年01月13日 | 寺社巡り-愛知

【愛知・あま市】16世紀末に豊臣秀吉から寺領160石を受け、17世紀始めの名古屋開府と共に鎮護寺としての任にあたり、江戸時代初期には初代尾張藩主の徳川義直(家康の9男)から300石を受領した。 以後、歴代尾張藩主の手厚い保護と土着の衆生の篤い信仰を得、「尾張四観音」の筆頭として栄えた。
「尾張四観音」は名古屋城の守り神で、甚目寺観音(甚目寺)の他、荒子観音(観音寺)、龍泉寺観音(龍泉寺)そして笠寺観音(笠覆寺)をいい、名古屋市街を囲むように建っている。 いずれも平安以前創建の寺院で、それぞれ観音菩薩像を安置する古刹。

六角堂の後方に建つ十王堂に....腰高格子戸の引き戸を開けて堂内に入ると、正面に黒い閻魔大王像と金ピカの地蔵菩薩像、左右に閻魔王以外の十王像と胸を大きくはだけた奪衣婆像がズラリと並んでいる。 閻魔大王の鋭い眼光に少し緊張しながら参拝し、そそくさとお堂を出た。
十王堂の隣に建つ仏堂らしくない建物の不動堂に....安置されている本尊の不動明王像は重文で、平安時代後期(12世紀)作の貴重なものだが、拝観叶わずだった。 十王堂から本堂東側に建つ釈迦堂に向かう。 側面に支え棒が設けられた釈迦堂は、中央間が蔀戸、両脇間は舞良戸になっていて、正面に出入口がない珍しい造りだ。
境内の東に建つ東門は、扉や壁が一切ない大きな四脚門で、8本の太い柱の上に銅板葺の屋根を乗せただけの簡素な造りだが、雄大で重量感がある。 また本柱を繋ぐ頭貫の木鼻は象の形になっているようだ。 東門近くに手水舎が建ち、隣に3つの祠が鎮座している。 手水舎に江戸中期造立の手水鉢が置かれ、直ぐ傍に、埋められたとみられる古井戸がある。 東門の北側に「四国八十八ケ所霊場」があり、順路に沿って八十八寺の本尊の石仏が鎮座している。

入母屋造桟瓦葺の十王堂

十王堂には冠をつけ道服を着て笏をもつ十王像などが鎮座....正面に閻魔王と並んで鎮座するのは閻魔王の本地仏の地蔵菩薩像

六道の「地獄の王」の閻魔王/十王像の左端に胸を大きくはだけて鎮座する奪衣婆像....鬼女の奪衣婆は閻魔王の妹

入母屋造桟瓦葺の不動堂....一軒繁垂木で組物無しで小壁....本尊の不動明王像(重文)は平安時代後期の作

不動堂前に佇む雪見燈籠風の異形の石燈籠/不動堂右手の奥の覆屋に鎮座する2つの祠/切妻造桟瓦葺で窓なし白壁の建物は経蔵と思う

本堂の右手に建つ釈迦堂と奥の釈迦院境内の白壁の築地塀に設けられた切妻造桟瓦葺の小さな門

寄棟造(小棟造)桟瓦葺の釈迦堂....正面に出入口が無く、中央間は蔀戸、両脇間は舞良戸

側面は小壁と小脇羽目....側面を支え棒で支えている

軒廻りは二軒繁垂木、組物は実肘木を乗せた平三斗で中備なし

切妻造銅版葺の東門(重文)....寛永十一年(1634)の再建(創建は室町時代)

東門は四脚門で、8本の主柱と控柱いずれも円柱で重量感がある

二軒疎垂木、頭貫上に丸桁を支える2つの平三斗....本柱を繋ぐ頭貫の木鼻は像?

東門から眺めた手水舎、3つの祠、本堂、釈迦堂そして「四国八十八ケ所霊場」

宝珠を持つ地蔵菩薩坐像が鎮座する切妻造桟瓦葺の手水舎と右手に3つの祠

宝暦四年(1754)造立の手水鉢....右は埋められた古井戸か/龍の頭だけの水口

東門の北側に広がる「四国八十八ケ所霊場」の入口

霊場の入口に立つ「四國八十八ヶ所札所巡道」と刻まれた標石/巡道に沿って多くの石仏が鎮座

切妻造堂板葺の家形の線香立と奥に「涅槃の道場」....「涅槃の道場」には擬宝珠高欄付反橋の下で弘法大師空海が眠っているのかな?

白山大権現を祀る流造銅板葺の白山神社....左後方の鳥居は隣接する漆部神社の東鳥居
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