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【神奈川・中郡・大磯町】明和五年(1768)、第三世庵主となった白井鳥酔が庵を再興し、その際に俳諧道場(秋暮亭)を増築した。 現在の鴫立庵室(東往舎)と俳諧道場(秋暮亭)はいずれもは昭和六十二年(1987)に復元・改修されたもの。
大磯の鴫立庵は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本三大俳諧道場の一つとされ、現在第二十三代庵主へと続いている。 また、庵内に建てられた石碑の「著盡湘南清絶地」という銘文から、湘南発祥の地とされる。
★円位堂から玉砂利を敷き詰めた園道を進んで茶屋に。 妻入りの茶室の正面は、引き戸の腰高格子戸があるだけ、また、西側面の土壁には面格子を備えた2つの小さなの窓があるだけだ。 茶室裏手の奥隅に観音堂がひっそりと建つ。 観音堂に安置されている本尊観世音菩薩像は、中国革命の指導者で政治家の孫文の持仏だったとされるが….本当かな?
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△茶室手前の参道脇に建つ石碑と蹲踞....一番手前の丸い形は「堅牢地神塔」
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△天和三年(1683)建立の「戸田茂睡歌碑」/茶室の傍に置かれた蹲踞(飾?)手水鉢は昭和十年(1935)の造立
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△入母屋造銅板葺で妻入の茶室....一軒疎垂木の庇の正面に腰高格子戸の引き戸
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△軒廻りは一軒疎垂木....西側面の土壁に面格子を備えた小さな2つの窓がある
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△入母屋造銅板葺で妻入の観音堂....第十七世庵主神林時処人(昭和)による寄進....本尊の観世音菩薩像は、中国の革命家孫文の持仏だったといわれている
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△拝は蕪懸魚で妻飾は狐格子
★敷地西側の一番奥に江戸初期造立の五智如来坐像石仏が東面で鎮座している。 石仏が鎮座するエリアにも、石灯籠や標石、数々の句碑や墓碑が佇んでいる。 盛松稲荷社が鎮座する建物西側(裏側)の狭い参道を通り、割竹垣で囲まれた鴫の井戸がある鴫立庵室(東往舎)の勝手口エリアに.…。 このエリアに一本足蛙のオブジェがある。 これは第十五代庵主が、親交深い正岡子規に贈った約7cmの置物「蛙鳴蝉噪の蛙」の拡大復元像だそうだが、その特異な姿が印象に残った。
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△敷地内西側の一番奥に鎮座する江戸初時代寛文四年(1664)造立の五智如来坐像....小田原の崇雪がこれらの石像を此の地に運び込んで草庵を結んだ
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△左から釈迦、阿弥陀、大日、阿閦、宝生の五智如来坐像....当初崇雪は五智如来を本尊として西行寺を創建するのが目的だった(伝)
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△五智如来坐像が鎮座する敷地内北側に建つ石碑群
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△貞享三年(1686)造立の石燈籠/「鴫立沢標石」....背面に鴫立庵を創設した崇雪が詠んだ句「著盡湘南清絶地」が刻まれ、これが湘南の始まりとされる
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△五智如来像が鎮座する敷地内に明治以降の第十一世庵主大澤壽道らの墓碑・句碑などが建ち並ぶ
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△五智如来像が鎮座する敷地内南側に立ち並ぶ石碑群
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△建物西側(裏側)の参道の途中に鎮座する盛松稲荷社
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△基壇の上に鎮座する流造風で鋼板葺屋根の社
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△建物西側(裏側)の参道から眺めた鴫立庵の茅葺屋根
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△鴫立庵室(東住舎)北側の割竹垣で囲まれたエリアにある鴫の井戸と一本足の蛙のオブジェ
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△北側の庇を設けた勝手口、外壁は下見板張り 鴫の井戸
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△一本足蛙のオブジェ「蛙鳴蝉噪の蛙」の拡大復元像....第十五代庵主原昔人が制作し、親交深い正岡子規に約7cmの蛙の置物「蛙鳴蝉噪の蛙」を贈った
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