何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

鴫立庵-(2) (大磯)

2024年01月11日 | 史跡探訪-日本編

【神奈川・中郡・大磯町】元禄八年(1695)、57歳の俳人・大淀三千風が鴫立庵に入庵して第一世庵主となる。 三千風は庵内に、元禄十年(1697)に円位堂(西行堂)、元禄十四年(1701)に法虎堂を建てた。 庵内には他に鴫立庵室(東往舎)、俳諧道場(秋暮亭)、観音堂、茶室が建ち、さらに石碑や歴代庵主の句碑など80以上の石造物が建てられている。

★石段を上がると左手に法虎堂が建ち、堂前の左右に元禄期(1688~1704)に建てられた「虎御前碑」と「鴫立澤碑」がある。 法虎堂は初代庵主三千風在庵時に江戸新吉原から寄進されたもので、大磯の遊女で19歳で出家した虎女の木像を安置している。

△東住舎前の小川側竹垣の足元に置かれた宝篋印塔と五輪塔

△石段横の傾斜地に建つ三重塔と石段上の平地に建つ法虎堂(左)と奥に円位堂....いずれも初代庵主大淀三千風により建立

△石段脇に建つ三重塔は昭和十二年(1937)の造立....笠数は5つだが、何故か「三重塔」と表記されている/虎女堂前に建つ「虎御前碑」....元禄十四年(1701)初代庵主三千風が建立

△石段の上の「虎御前碑」傍から眺めた東住舎と門

△石段を上がった所から眺めた左は法虎堂(左)と円位堂....法虎堂の前横に「鴫立澤碑」が建つ

△屋根は正面寄棟造り後方切妻造りで桟瓦葺の法虎堂

△法虎堂には大磯の遊女として有名だった虎女像を安置

△19歳で出家した虎女の木像....虎女は父の仇討を遂げた後に命を落とした曽我十郎の恋人で、十郎の死を悲しんで出家し、生涯各地の寺社を巡礼して曽我兄弟を弔った(伝)/元禄十三年(1700)建立の「鴫立澤碑」(西行五百年忌記念碑)

△法虎堂前傍に建つ「鴫立澤碑」の背面に、月輪に胎蔵界大日如来の種子「ア」が刻まれている

△桟瓦葺の法虎堂の屋根は、前方が寄棟造りで後方が切妻造り

★西行堂と呼ばれる簡素な茅葺の円位堂に、平安後期の歌人で僧の西行法師像(法名:円位)を祀っている。 西行法師像は等身大の大きさで、穏やかな顔そして立てた左膝を両腕で抱えた格好はリラックスしている姿に見える。 円位堂の傍に元禄期造立の宝篋印塔や石燈籠が建ち、円位堂から茶屋に向かう園道の両脇に歴代庵主などの句碑や歌碑、供養塔が佇んでいる。

△入母屋造茅葺の円位堂(西行堂)....初代庵主・大淀三千風が元禄時代に建立

△安置されている等身大の西行法師坐像....西行法師は平安後期の代表的歌人・僧で、法名は円位堂

△円位堂は正面一間側面二間で、前一間は吹き放しで、砂利が敷かれている

△円位堂の外壁は全面が縦羽目板で窓がない

△円位堂の東側の砂利敷道脇に置かれた飾手水鉢/円位堂を飾る青紅葉

△円位堂の傍に西面で佇む三基の石造物....宝篋印塔は元禄十年(1697)の造立、右は安永九年(1780)造立の「芭蕉句碑」

△円位堂前に佇む石燈籠は元禄十年(1697)の建立....右奥の建物は茶室

△円位堂前から眺めた茶室への参道、両側に多くの石碑が建つ....手前の二基の石碑は「西行銀猫碑」(右)と昭和二十六年(1951)建立の「西行上人歌碑」

△俳諧道場(秋暮亭)の南側に立ち並ぶ石碑群

△円位堂の西側に佇む二基の句碑と貞明皇后行啓記念碑....二基の句碑は昭和期建立の第十八庵主と第二十世庵主のもの

△割竹垣傍に佇む二基の句碑と経塚供養塔....右は明和年間(1764~1772)建立の第三世庵主・白井鳥酔句碑、真ん中は天明六年(1786)建立の第四世庵主・杉坂百明句碑、左の径塚供養塔は昭和十一年(1936)の建立

△茶屋への砂利の園道から眺めた法虎堂
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