何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

来迎院-(2) (龍ケ崎)

2023年05月07日 | 寺社巡り-茨城

【茨城・龍ケ崎市】江戸時代に入り寛永八年(1631)に玄幸により再興された。 その後、寛永二年(1625)創建の天台宗上野寛永寺の庇護をうけ、寛政三年(1791)、寛永寺から二百両を拝領して本堂や庫裏など堂宇が再建された。 正式名は箱根山宝塔寺来迎院と号する。

■本堂前の参道脇に「南無千手観世音菩薩」「南無延命地蔵菩薩」など数本の赤い幟がたなびき、石造りの観音菩薩や地蔵菩薩など数躯の仏像が鎮座している。 注目したのは、前に四方仏形の飾手水鉢を置いた「身代わり洗い観音菩薩立像」と、参拝者の願いを聞こうとして右の大きな手の平を耳に当てた「願かけ地蔵尊坐像」だ。
本堂に向かって左手にインドの故事とみられる線刻が施された大きな台座があり、上に地蔵尊像と地蔵尊を見守るように2頭の龍像が鎮座している。

△南東に面して建つ入母屋造本瓦風銅板葺の本堂....堂前参道に「南無千手観世音菩薩」「南無観世音菩薩」「南無延命地蔵菩薩」の幟がはためく

△正面は三間で、中央間は上に欄間を設けた腰高格子戸、両脇間は腰高格子窓

△水引虹梁の中央上に2つの斗を頂き、脚間に菊紋を配した蟇股/向拝の面取り柱に2頭の獅子の木鼻は掛鼻のようだ

△軒廻りは一軒繁垂木、組物は平三ツ斗、中備なし....正面と側面に擬宝珠高欄付き切目縁

△石燈籠越しに眺めた本堂の正面/向拝の軒から下がる鎖樋と蓮の花を模した天水桶

△本堂前に鎮座する地蔵尊像と宝冠を頂く2体の観世音菩薩/左手に未開蓮を持ち、化仏(阿弥陀如来坐像)を配した宝冠を頂く聖観世音菩薩立像

△像前に四方仏形の飾手水鉢を置いて鎮座する「身代わり洗い観音菩薩立像」/数珠を持ち蓮華座に鎮座する「願かけ地蔵尊坐像」

△本堂に向かって左手前に鎮座する地蔵尊像と2頭の龍像/地蔵尊像の大きな台座にインド風の線刻がある....インドの故事に由来するものか?

△地蔵尊像の後方に大きな石燈籠が立ち、丹塗の涅槃堂が建つ

△合掌する地蔵尊像と地蔵像を見守る2頭の龍像

■台座の後方に大きな石燈籠があり、自然石の特徴を残した加工にて造られている。 石燈籠の右隣に一間四方の涅槃堂が建つが、屋根を支える柱に転びがあってかなり珍しい。 境内の北東側の山裾に弁財天と稲荷大明神を祀る石祠があり、古そうな四方仏形の飾手水鉢を介して赤い帽子を被った子育地蔵尊と9躯の舟光背型水子地蔵尊が立ち並んでいる。 墓所を背にした簡素な仏堂に「南無阿弥陀仏」の襷をした尊名不詳の3躯の仏像、そして不動明王立像が鎮座。
また、その右手に変形の二重式宝篋印塔2基が立ち、1基には「来迎院寺子屋発祥の碑」とあり、案内板によると「寛政六年(1794)、15世住持秀瑞大和尚が子供たちに読み書きやソロバンを教え始めたのが始まり」で、碑の下に貴重な教材が納められているとあり……教材をあれこれ想像しながら来迎院を後にした。

△自然石の特徴を残した加工にて造立された石燈籠/切妻造銅板葺の涅槃堂....一間四方で転びのある柱で屋根を支えている

△境内の山手側に建つ入母屋造柿葺(と思う)の鐘楼

△二軒繁垂木で大棟端に鳥衾を乗せ菊紋を配した鬼板、拝に蕪懸魚、妻飾は狐格子....格天井から梵鐘が下がる

△山裾の境内の隅に鎮座する左から弁財天、稲荷大明神、子育地蔵、水子地蔵

△右は稲荷大明神、左は弁財天の石祠      四方仏形の飾手水鉢

△切妻造銅板葺の御堂に鎮座する赤い帽子をかぶった3体の坐像....いずれも南無阿弥陀佛と書された数本のタスキを掛けしている/不動明王立像

△「来迎院寺子屋発祥の碑」(右の仏塔)....案内板に「寛政六年(1794)、15世住持秀瑞大和尚が子供たちに読み書きやソロバンを教え始めたのが始まり」とあり碑の下に貴重な教材が納められている

△2基の二重式篋印塔....左は一部後補、右も後補で幾つかの異なる石塔の一部を寄せ集め組合せ積み上げたものと思う/簡素な造りの雪見燈籠風の石燈籠

△本堂前左手は庫裏だが、多宝塔が建つ古刹を感じさせる境内では違和感を感じる

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