何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

楽法寺-(4) (桜川)

2022年11月07日 | 寺社巡り-茨城

【茨城・桜川市】室町初期の建武年間(1334~1338)、初代将軍・足利尊氏の崇敬を受けて316貫文が寄進されて再興したとされる。 江戸時代の慶長十八年(1613)、第十世宥円が駿府城で徳川家康に謁見し、台命(家康の命令)により各宗派の学僧と対論し、法論に勝ったことで家康より賞詞を受け、更に寺領として朱印百五十石を賜った。
寛永二年(1625)、宥円が徳川家康報恩のために建立した東照大権現の祠堂があったが、享保十二年(1727)、山王大権現を合祀して東照山王権現社として再建された。 慶安元年(1648)には三代将軍徳川家光から150石の扶持が寄進され、真言宗新義門流関東談林として十万石の格式が与えられた。 江戸中期に豪商の紀伊国屋文左衛門が参詣し、商売繁盛と海上安全を祈願した。

●奥の院から境内東側に鎮座する東照山王権現社に向かう。 石段右手に御供所が建ち、中には瞑想する僧侶坐像が鎮座して参詣者を迎えている。 観音堂の右隣りに階段左右に九重石塔を構えた窓の無い保管庫が建ち、正面の鉄扉の前に鎮座する宝冠を頂いた延命観世音菩薩立像が宝物を護っている。

△絵馬堂の前から眺めた堂宇境内....右は観音堂(本堂)、左は御供所、奥に多宝塔、鬼子母神堂、奥の院(客殿)などが建ち並ぶ

△切妻造桟瓦葺で吹き放しの裳腰や入口に庇を設けた御供所....安政年間(1854~1860)の建立で、江戸時代の楼閣として特色のある建物

△大棟端に鳥衾を乗せた鬼板、拝は蕪懸魚、妻飾は二重虹梁蟇股(と思う)/供所内に鎮座する歴代住持の一人(と思う)の坐像

△入母屋造桟瓦葺の絵馬堂....昭和九年(1934)、第29世聖衡による建立.... 堂内天井に大小の絵馬数十枚が飾ってある

△観音堂の右隣に建つ切妻造鋼板葺の保管庫....「秘仏・延命観世音菩薩」を安置・保管....扉の前に石造延命観世音立像が置かれ、左右に九重石塔を構え,ている

△保管庫の鉄扉の前に鎮座する天衣を纏った延命観世音菩薩立像(聖観音菩薩像)

△延命観世音菩薩立像は化仏を入れた宝冠を頂き、左手に未開連を持つ/経蔵の階段の左右に佇む九重石塔....初層軸部に四角に輪郭を巻いて中に花(牡丹)が浮彫りされている

●千鳥破風を乗せた軒反りの強い屋根の東照山王権現社が目を引く。 約300年前に再建された一間四方の荘厳な社で、規模は小さいが華やかな細部意匠を有していて見応えがある。 組物も手が込んでいる。 二手目と三手目が尾垂木の三手先で、詰組の両側に鮮やかに彩色された鳥の彫刻を配している。 何よりも興味深かったのが正面の入口の扉で、狭い一間の中に三つ葉葵の紋を配した2つの桟唐戸がある。 一間に2つの扉があるお社を初めて見たが、多分珍しいと思う。

△入母屋造銅板葺の東照山王権現社殿....享保十二年(1727)の再建で、東照大権現と山王大権現を祀る

△元々境内には寛永二年(1625)建立の東照大権現祠が鎮座....享保十二年の再建時に山王権現を合祀した

△軒反りの強い入母屋造屋根に屋根付き鬼板を乗せた千鳥破風を設け、向拝に軒唐破風を設けている

△小振りながらも極彩色に彩られた一間四方造りの東照山王権現社殿

△軒廻りは二軒繁垂木で、垂木先端に金具を打つ、組物は二手目と三手目が尾垂木の三手先、組物間に三手先の詰組(拝と妻飾は失念)

△装飾金具を打った長押上の組物間に三つ葉葵と右三つ巴の紋をいれ、台輪上の組物間に彩色された鳥の彫刻を配す....側縁奥に卍を入れた板張りの脇障子

△東照大権現と山王権現を祀ったため、正面入口に2つの扉が設けられ、扉は三つ葉葵紋を配した桟唐戸/組高欄付き回縁を設け、回縁を支える腰組は三手先....向拝柱の上下部に装飾金具が施されている

△裏参道から眺めた仁王門と手水舎

△堂宇境内の石垣は高さ13メートル、横幅約70メートル、参道に沿う石垣を含めると約200メートルに及ぶらしい....石垣の上から裏参道に覆いかぶさるシイノキの巨木

△南側駐車場から眺めた仁王門と高さ13メートルの石垣の上に建つ御供所




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