何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

来迎院-(1) (龍ケ崎)

2023年05月01日 | 寺社巡り-茨城

【茨城・龍ケ崎市】室町時代後期の永正十四年(1517)、常陸国河内郡小野村(稲敷市小野)の逢善寺の末寺として同郡馴馬村に建てられた草庵が始まりとされる。
弘治二年(1556)に比叡山延暦寺の僧覚仙が伽藍を建立して中興し、大旦那となった常陸江戸崎城の城主土岐治英により多宝塔の造営など境内が整えられた。 その後も土岐氏から庇護されたとみられるが、安土桃山時代天正十八(1590)の豊臣秀吉による小田原の役(小田原征伐)の際、土岐氏は小田原北条氏に従ったため、没落した。 宗旨は天台宗で、本尊は阿弥陀如来立像。

■関東鉄道龍ヶ崎駅から薄雲が広がる青空を見上げながら歩くこと約20分、開放的な門前に着くと、境内に聳え立つ多宝塔が目に飛び込む。 参道脇に鎮座して参詣者を迎える六地蔵尊像など風化の激しい石仏群に合掌して多宝塔に。 石仏群の向かいの参道脇に屹立する多宝塔は、荘厳さが漂いどっしりとした重量感がある。 室町後期の創建だが、古色蒼然たる佇まいで当時のままの姿のように感じられる。 約470年前からこの地で静かに世の変遷を見続けてきたのだと思うと感慨深い。

△門前から眺めた境内....境内参道の両側が墓所で、参道脇に石仏群と多宝塔が鎮座し、少し奥の参道に仁王門が建つ

△参道脇に佇む石仏群越しに眺めた多宝塔と仁王門

△参道脇に鎮座する古そうな舟光背型石仏群....風化や磨滅が進んでいるため一部の尊名しか分からず、また、造立年代も不詳

△参道脇に鎮座する舟光背型石仏群と赤い帽子と前垂れをした古そうな丸彫りの六地蔵尊像/仁王門手前の参道脇に鎮座する新しい六地蔵尊像越しに眺めた仁王門

△境内参道脇に建つ多宝塔....関東以北では現存する最古の多宝塔

△室町後期建立の杮葺の多宝塔(重文)....室町時代弘治二年(1556)に改修が行われた....塔高は約13メートル

△裳腰の下層中央間は桟唐戸、両脇間は板壁で欅材一枚の板....周囲に切目縁を巡らす

△下層の組物は出組、中備は中央間のみ束のない間斗束、軒支輪がある....下層内部は後方寄りに来迎柱を立て、須弥壇を設けている

△軒廻りは上層・下層いずれも二軒繁垂木

△上層の円形塔身に円形の切目縁を巡らし、腰組は出組

△上層の組物は四手目が尾垂木の四手先で、深い軒出を支えている

△宝形造り屋根に鉄製の相輪をおき、頂部の三花輪(3段の花輪)から四方に宝鎖、上下層の軒四隅に金属性の風(宝)鐸が下がる/上下層の連結部に白色漆喰の亀腹(饅頭形)がある

■多宝塔の背後に、入滅のお姿の寝釈迦仏が多宝塔を向いて横たえている。 安らかなお顔の涅槃像に参拝してから山門に向かう。 境内参道の途中に建つ朱塗りの山門は、側面に腰壁があるだけの吹き放しの四脚門。 狭い戸口の両側に阿形吽形の金剛力士像が鎮座して参詣者を迎えている。 真ん中に通行止めが置かれているので、山門の脇を通って本堂に向かう。

△多宝塔の後方で多宝塔に向かって鎮座する涅槃像

△入滅の姿を描いた寝釈迦撫仏像....「帰命頂礼釈迦如来」

△涅槃に入った安らかなお顔の釈迦尊....全ての欲求から解放され、完全に悟りの世界に旅立った姿

△境内参道の途中に建つ山門

△切妻造銅板葺の山門(仁王門)

△軒廻りは二軒繁垂木....控柱間の虹梁の中央上に出三ツ斗、親柱間の虹梁の中央上に植物の彫刻を配した蟇股を置く

△親柱は丸柱、控柱は面取り角柱....側面腰部は板張り/梁の上に左右に装飾文様を配した大瓶束が棟木を支えている....拝に猪ノ目懸魚

△左の吽形像は密迹金剛力士           右の阿形像は那羅延金剛力士
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