【神奈川・中郡・大磯町】江戸時代の寛文四年(1664)、小田原の崇雪という人物が、平安末期の歌人・西行法師が大磯あたりの海岸を吟遊して詠んだといわれている歌にちなみ、西行法師ゆかりの地として知られる鴫立沢のほとりに標石を建て、五智如来像石仏をこの地に運んで草庵を結んだのが鴫立庵の始まりとされる。
★JR大磯駅から国道一号線沿いに建つ鴫立庵に向かう。 歩道に面したこんもりした木々の緑の間から、一段低くなった所に石橋や茅葺の建物が見える。 階段を降りると直ぐ右手に2基の「鴫立澤標石」が建つが、小さい方は初代庵主の大淀三千風が入庵した元禄時代のものだ。 国道の喧騒から一転、静寂に包まれた敷地内を流れる鴫立川の水音がかすかに聞こえてくる。大きく様変わりしたが、この辺一帯は鴫立澤と呼ばれる景勝地だったようだ。
△国道1号線の歩道に面した入り口から眺めた鴫立庵
△石橋の手前右側に建つ二基の「鴫立澤標石」....左は最初に建てられた標石で、初代庵主三千風が元禄八年(1695)頃に入庵したと刻まれている....右は昭和四十八年(1973)大磯町が建立
△石橋の手前左手に建つ三基の石碑
△安政四年(1775)造立の「第三世庵主・白井鳥酔追善句碑」/左は昭和十二年(1937)造立の「大磯八景歌碑」、右は第一世庵主・大淀三千風と第二世庵主・大本朱人の句碑
△敷地内を流れる鴫立川に架かる重厚な石橋....石橋の先に建つ鴫立庵の門
△国道1号線の下から流れ出ている鴫立川は相模湾に注いでいる....この辺一帯は「鴫立澤」と呼ばれた景勝地だった/石橋は文政八年(1825)造立で欄干が低い/簡素な橋桁
★鴫立川に架かる欄干の低い重厚な石橋を渡ると、庵域は門と穂垣造りの割竹垣で仕切られている。 門をくぐると直ぐ右手に茅葺屋根の鴫立庵室(東住舎)と俳諧道場(秋暮亭)とが建ち並び、正面奥の石段の上の平地に円位堂が鎮座している。 鴫立庵室と俳諧道場とは繋がっているが、俳諧道場は一段高い位置に建っている。 鴫立庵の俳諧道場は日本三大俳諧道場の一つとされるので中を拝観したかったが、叶わなかった。 某イベントの準備とかで鴫立庵室と俳諧道場のいずれも雑然としていた。
△石橋の上から眺めた鴫立庵の北側の外観....門と穂垣造りの割竹垣で仕切られている
△切妻造桟瓦葺の門....左右に小さなスレート葺きの袖塀を設けている
△門前から覗いた敷地内....正面奥の石段の上に建つのは円位堂
△門から眺めた全景....右手に東面で鴫立庵室(東住舎)と俳諧道場(秋暮亭)が並び建ち、石段上の平地に円位堂が鎮座
△敷地内から眺めた門....門扉は木枠に細い竹を張り詰めた造り
△寄棟造茅葺の鴫立庵室(東住舎)....東面は全面が内縁で沓脱石が置かれている....内縁の庇は板葺きに茅を敷いた造り(と思う)
△東住舎の軒廻りは一軒疎垂木、内縁は榑縁、部屋は腰高明障子で仕切られている....訪問時はイベント「大磯うつわの日」の準備で少し雑然としていた
△内縁側から見た東住舎玄関側(北側)の八畳敷の部屋....同じ八畳部屋が南側に連なる
△鴫立庵室の縁側傍から眺めた俳諧道場と少し奥に建つ円位堂
△寄棟造茅葺の俳諧道場(秋暮亭)....鴫立庵室と繋がっているが一段高い位置に建つ
△俳諧道場は初代庵主三千風入庵後約70年を経て庵を再興した際に増築した建物....日本三大俳諧道場の一つとされる
△軒廻りは一軒疎垂木で、軒を支える丸桁は角材ではなく丸太
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