何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

岡寺-(2) (奈良)

2016年05月05日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・高市郡】飛鳥寺他の寺が中世以降に衰退したのに対し、岡寺は観音信仰と厄除信仰(日本最初厄除霊場である)に支えられて寺勢を維持してきた。 江戸時代までは法相宗興福寺の末寺だったが、江戸時代以降は真言宗豊山派の長谷寺の末寺となって今日に至る。 地名から岡寺と通称されるが、正式寺号は龍蓋寺という。 龍蓋寺は、義淵僧正が田畑を荒らす龍神を法力で池に封じ込め、大石で蓋をしたという伝説に由来する。

本堂の斜め前に龍神を封じ込めたという龍蓋池から鬱蒼とした樹林の中に続いている奥之院参道を進む。 参道途中に「瑠璃井」という地蔵菩薩と不動明王に見守られた古井戸があり、清冽な水が湧き出ている....が飲めないそうだ。
参道の突き当りに鎮守の稲荷明神社があり、その右手に「弥勒の窟」といわれる弥勒菩薩像を安置した石窟堂がある。 堂前に鎮座する弥勒菩薩とまるで苔の法衣を着たような地蔵石仏に迎えられ、腰をかがめて少しだけ石窟堂内へ。 石窟の奥には二重円光背を背負って蓮華座に坐す弥勒菩薩石像が瞑想しており、照らされて浮かび上がる様は幻想的だ。
石窟堂から岡寺を建立した義淵僧正の廟所へ向かう。 廟所といっても高台にある巨木の間の根元に宝篋印塔がひっそりと立つだけの場所だが、約650年前から義淵僧正がここから堂宇境内を見守るように佇んでいるように感じられる。 義淵僧正廟所から木立に包まれた狭い参道を進んで、台風で倒壊してから514年後に再建された三重塔へ....飛鳥の地を見下ろす高台に朱塗りの三重塔が建ち、明日香村のランドマークになっている。
 
龍蓋池..故事で義淵僧正が龍神を池に封じ込め石で蓋をしたことから龍蓋寺(正式寺名)という
  
龍蓋池の上方に建つ十三重石塔..昭和元年(1926)造立/蓮弁請花座の上に鎮座、初軸の月輪に梵字が刻/稲荷社と奥之院への参道に立つ明神鳥居

瑠璃井..露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の簡素な覆屋に古井戸があり、弘法大師ゆかりの厄除の湧き水とされる
 
瑠璃井を守るように三鈷を持つ地蔵石仏坐像..後方には利剣を持つ不動明王坐像が鎮座
 
清流が流れ落ちる岩の月輪に種子が刻、また右上に不動明王立像が鎮座

参道脇にある仏足石と石造り板碑

奥之院手前の参道..正面奥は稲荷大明神を祀る稲荷社
 
参道脇に佇む舟形光背を背負った地蔵石仏/丸彫りの修行大師像

奥之院に鎮座する鎮守の稲荷明神社..建立年代不明
 
覆屋の中に建つお社(如意稲荷社)/稲荷社近くにある舟形に彫り込まれた苔生した手水鉢

奥ノ院石窟(「弥勒の窟」といわれる石窟堂)..入口の左に弥勒菩薩像、右に地蔵菩薩像が鎮座
 
石窟の一番奥に鎮座する弥勒菩薩像..二重円光背を背負い、宝塔を持ち、蓮華座に鎮座
 
二重円光背を背負い、両手で宝塔を持つ弥勒菩薩像/まるで苔の法衣を着けているような丸彫りの地蔵石仏..右手に宝珠、左手の錫杖は消失?

義淵僧正廟所の宝篋印塔..室町時代延文五年(1360)の造立
 
義淵は奈良時代の高僧で草壁皇子の住居跡に岡寺を建立した/墓所に佇む十三重多層塔..初軸の月輪に梵字が刻

三重塔..昭和六十一年再建..現治田神社境内(旧境内)に立っていたが文明四年(1472)の台風で倒壊
 
御影石の基壇に立つ朱塗りの三重塔..軒先には珍しい琴形の風鐸が下がる

露盤宝珠が乗る宝形造銅板葺の大師堂..堂前に修行大師像と稚児大師像が鎮座
 
大師堂の須弥壇に鎮座する弘法大師坐像..右手に三鈷、左手に数珠を持つ














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