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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

橘寺-(1) (奈良)

2016年05月17日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・高市郡】当時この地に「橘の宮」という欽明天皇の別宮があり、敏達天皇元年(572)に聖徳太子が誕生した。 寺伝では、深く仏法を信仰した太子が第33代推古天皇(欽明天皇の第3皇女)に勝鬘経を3日間講讃した夜、蓮華の花が庭に降り積もり、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝いて(三光石)不思議な事が起こった。 これに驚いた天皇が太子にこの地にお寺を建てるよう命じたので、「橘の宮」を改築して橘寺を創建した。
創建の経緯は明らかでないが、「日本書紀」(天武天皇九年(680))に橘寺の尼坊失火の記事があることから、680年以前の天智天皇期(668~761年)頃建立の尼寺と推定されている。 昔は法相宗であったが江戸中期より天台宗に改宗、本尊は室町時代作の彩色の木造聖徳太子坐像。

岡寺から歩いてくると、東門への参道の入り口に「日本仏法最初地 聖徳皇太子御誕生所」の石標が立ち、傍に小さな地蔵石仏が道案内をするかのように佇んでいる。 緩やかな石段の脇に鎮座する地蔵石仏に迎えられ、石段を上りつめると、歴史ある古刹にしては小さい山門(東門)が立つ。 門柱に「聖徳太子御遺跡 第八番霊場」と「新西国霊場第十番」の掛札が掛かっている。 山門をくぐると境内は厳かな空気に包まれていて、石畳の参道の両側と奥に堂宇が立ち並んでいる。
直ぐ左手の鐘楼の隣の土壇に塔跡があり、中央の巨石に珍しい形の大きな心礎が....約1400年前の飛鳥時代にここに高さ約40mもの五重塔が建っていたとのことで驚きだ。 右側の本坊の西端に、聖徳太子が作ったとされる小さな阿字池と日・月・星の光を放ったとされる「三光石」があるが、全然イメージがわいてこなかった。 本坊の並びの先には、板縁に賓頭盧尊者が鎮座する観音堂、左隣に不動明王を祀った護摩堂が建ち、その先の親鸞聖人像そして宝印塔と写経塔が参拝者を見守っている。

川原寺跡近くから眺めた橘寺の遠景

東門の参道に立つ「日本仏法最初地 聖徳皇太子御誕生所」の石標..地蔵石仏が参詣者を見守っている

橘寺門前の石段の脇に鎮座する地蔵石仏が参詣者を迎えている

切妻造本瓦葺で小さな袖塀を設けた四脚門の東門(正門)

門柱に掛かる「聖徳太子御遺跡 第八番霊場」と「新西国霊場第十番」の掛札

東門から眺めた境内..右手の本坊の築地塀に内門が、左手に鐘楼が建つ
 
鐘楼越しに眺めた堂宇境内..右の屋根は観音堂        入母屋造本瓦葺の鐘楼

鐘楼越しに眺めた本坊..鐘楼左は大きな石に囲まれた土壇

黄色の筋塀に囲まれた本坊..切妻造本瓦葺の内門
 
五重塔跡にある巨大な心礎..創建の飛鳥時代に高さ約40mの五重塔が立っていた/心礎は直径約90cm深さ10cmで、円孔の三方に半円形の孔(そえ柱孔)が掘られている

塀や建物の土壁が剥がれた御堂は経蔵かな?
 
本坊西端の建物の傍に聖徳太子に因む阿字池と三光石がある

南面で建つ入母屋造本瓦葺の観音堂..傍にセンダンの古木が聳える
 
観音堂前にある珍しい形をした天水桶が置かれている

観音堂は安永六年(1777)に本堂として建立、元治元年(1864)に現本堂新築に伴い現在地に移築

「如意輪」の扁額が掲げられ、内陣の須弥壇に二重円向背を背負う如意輪観音菩薩挫像が鎮座
 
観音堂向拝..虹梁上の蟇股などの彫刻が素晴らしい/観音堂の縁に鎮座する賓頭盧尊者像

南面で建つ護摩堂

入母屋造本瓦葺の護摩堂

護摩堂には不動明王像が祀られている

本堂前の石燈籠越しにみた観音堂と護摩堂
 
宝印塔と写経塔                            親鸞聖人像
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