前回、「60女は幸せ」と書いたら、
「そんなことはない!それなりの修羅場を乗り越え生きてきたし、今現在も、親の介護で苦労しているぜぇ~。」
というメールを頂きました。(スギちゃんのお母さんからじゃないよ。)
もちろん、「不幸せな60女」もいれば、「幸せな30男」もいるはずです。
でもね、
人の幸不幸は、ある程度は時代の流れや社会情勢に左右されると考えるなら、
日本経済の右肩上がりの成長に沿って歩んできた60代の方々は、
日本経済が沈没し、雇用の不安を抱えつつ、希望を持てない未来に向かってこれからの長い人生を生きていかねばならない若者たちよりは、
やっぱり、恵まれているかな~、と思いますが・・・。
それに、60女が若い頃は、結婚したら、
ほとんどが、専業主婦になった世代
でも、その親の世代のように「嫁」として厳しい姑に奴隷のように仕える苦労はずっと少なくなった世代
夫も、家長として絶対的な権力を振りかざすことはまれで、
ほとんどの時間を企業戦士として会社で過ごす
「亭主元気で留守がいい」の世代
当然のように、毎年夫の年収も上がり、バブル期の豊かさも経験できた世代
親の介護も、昔のように誰にも頼れず自力でやるしかない頃とは違い、介護保険という有り難い制度の恩恵にあずかれる世代
女性の社会進出、という選択肢が意識の中になかった分、
「仕事で成功しなきゃあ」と焦ることもなかった世代
そう、この「選択肢が少ない」という状況って、
意外にストレスが少ないのですよ。
「幸せの国ブータン」においては、
人生の選択肢が少ないことが、幸せの理由の一つである、
と何かで読んだことがあります。
確かに、迷うことが少ない方が人生楽です。
何でも許されるという「自由」って、
自分の能力や意思決定の確かさを試されるだけに
けっこう、厳しいかも~。
女性が社会で活躍できる道を与えられた今日
それを可能にする権利と共に
そうできなかった場合の敗北感も覚悟しなければならないはず。
人生の分かれ道が数多くあり、その度に自分で選択し、
成功も失敗もすべて自己責任にされてしまう現代を生きる若い人たちは、
甘やかされて育てられたあげく、
その試練に立ち向かうだけのしっかりした自己基盤が求められる・・・
ちょっと、かわいそうな気がします
「そんなことはない!それなりの修羅場を乗り越え生きてきたし、今現在も、親の介護で苦労しているぜぇ~。」
というメールを頂きました。(スギちゃんのお母さんからじゃないよ。)
もちろん、「不幸せな60女」もいれば、「幸せな30男」もいるはずです。
でもね、
人の幸不幸は、ある程度は時代の流れや社会情勢に左右されると考えるなら、
日本経済の右肩上がりの成長に沿って歩んできた60代の方々は、
日本経済が沈没し、雇用の不安を抱えつつ、希望を持てない未来に向かってこれからの長い人生を生きていかねばならない若者たちよりは、
やっぱり、恵まれているかな~、と思いますが・・・。
それに、60女が若い頃は、結婚したら、
ほとんどが、専業主婦になった世代
でも、その親の世代のように「嫁」として厳しい姑に奴隷のように仕える苦労はずっと少なくなった世代
夫も、家長として絶対的な権力を振りかざすことはまれで、
ほとんどの時間を企業戦士として会社で過ごす
「亭主元気で留守がいい」の世代
当然のように、毎年夫の年収も上がり、バブル期の豊かさも経験できた世代
親の介護も、昔のように誰にも頼れず自力でやるしかない頃とは違い、介護保険という有り難い制度の恩恵にあずかれる世代
女性の社会進出、という選択肢が意識の中になかった分、
「仕事で成功しなきゃあ」と焦ることもなかった世代
そう、この「選択肢が少ない」という状況って、
意外にストレスが少ないのですよ。
「幸せの国ブータン」においては、
人生の選択肢が少ないことが、幸せの理由の一つである、
と何かで読んだことがあります。
確かに、迷うことが少ない方が人生楽です。
何でも許されるという「自由」って、
自分の能力や意思決定の確かさを試されるだけに
けっこう、厳しいかも~。
女性が社会で活躍できる道を与えられた今日
それを可能にする権利と共に
そうできなかった場合の敗北感も覚悟しなければならないはず。
人生の分かれ道が数多くあり、その度に自分で選択し、
成功も失敗もすべて自己責任にされてしまう現代を生きる若い人たちは、
甘やかされて育てられたあげく、
その試練に立ち向かうだけのしっかりした自己基盤が求められる・・・
ちょっと、かわいそうな気がします