耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

猫の額に桜咲く

2022-04-20 15:41:36 | 日記
数年前の桜の季節のことです。

ベランダで洗濯物を干していた私の耳に、わが家の前を散歩していた老夫婦の会話が届きました。

「こんな見事な桜に囲まれて過ごせるなんて、このお家の方は、なんて幸せなんでしょう!」

「ほんとだ、羨ましいよ。」

わが家は、桜の木に囲まれ、春には居ながらにして花見を満喫できます。

猫の額ほどの狭い庭ながら、その奥に建物がないので、少し向こうには桜並木が広がります。

まるで、奥行きが数百メートルもある広い庭のようです。

でも、日頃は、それが当たり前のこととなって、その恩恵に感謝することなく過ごしていました。

それどころか、狭い庭に不満すら抱いておりました。

そのとき、老夫婦の話を耳にするまでは・・・。


お二人の会話を聞いて、初めて、自分の家に対してポジティブな思いを抱き、自分に与えられた幸せに気づかされたのです。

誰かの言葉によって、日頃忘れていた自分の長所や恵まれた条件などに意識を向けることがあると思います。

相手が暖かい気持ちで褒めてくれたとき

相手の素敵な質問に答えていたとき

相手が一生懸命話を聴いてくれたとき

そんな心地良い豊かな時間の中で、私たちは自分の中に幸せの種を見出すのです。

ただ、相手の言葉が自分の心に染み入るのは、自分自身がそれをしっかり受け止められるゆとりがあるときに限られるような気がします。

自分自身を受け入れる柔らかな心で、相手の言葉に耳を傾けることにより、私たちの中にポジティブな変化をもたらすのです。

かつて、老夫婦の話が私の心に響いたのは、すでに、私が自分の幸せを受け入れる準備ができていたからだと思います。


春は心沈む季節

2022-02-09 16:13:43 | 日記
立春を迎えると、風は冷たくても、日差しに春を感じます。

茶色の土手に、瑞々しい緑色がチラホラ目につくようになります。

そんな風景に、何かが始まるような予感がして、子どもの頃は、心躍らせたものです。

でも、大人になって迎える春にトキメキはなく、明る過ぎる日差しは、何故か、心の奥に不安感を呼び起こします。

冬の暗さに慣れた目に、遠慮なく降り注ぐ春の陽光が耐え難いのでしょうか?

これは、勿論、私の個人的な思いに限らず、古(いにしえ)から歌に詠まれてきた人の性。

「春愁」という言葉があるのですから、時代を超えてある、人の感情なのでしょうね。

生理学的には、ホルモンの乱れが原因とも言われています。

この一年コロナ禍にありながらも、本やドラマや孫たちとの交流で心満たされ、トキメキの日々を満喫していた私でしたが、数日前から、理由のない不安が頭をもたげてきました。

やっぱり、春だから?

朝目覚めたときに、トキメキと入れ替わるように、虚しさが見え隠れしてきたように思います。

時の流れは変化します。

同様に、心も浮き沈みは避けられないものです。

いつも、トキメイていては、疲れます。

上がったり下がったり・・・下がったり上がったり・・・

その上下運動を経て、心の筋力は鍛えられていくのです。

大切なことは、下がり続けていくことはない、と自分を信頼することです。

季節が変わる如く、再び、喜びや楽しさに彩られる日が来ることを信じることです。

だから、心沈むときは、焦らず静かに、その時を待つことです。

今やるべき、目の前のことを淡々とこなすこと

自分の気持ちの全てをありのままに受け入れること

体を動かし、美味しいものを食べ、ゆっくり眠ること・・・

やがて、心地よい幸せ気分が、再び、少しずつ心に広がって来るはずです。

どんなにつらい時も、そう思って、私は乗り越えて来ました!
(つらいのは春だけじゃなかった、笑)

勿論、そこには支えてくれる家族や友人知人の存在がありました。

その方々に、ありがとう!

どんな時も、人生を信じられた自分にも、ありがとう!


感動は存在感を確かなものにします

2021-11-18 18:09:34 | 日記
ここへきて、コロナの感染者激減という嬉しい状況が続き、長く続いた緊張感から解放されつつあります。

未だかつて経験したことのない異常な日常は、多くの人に不安やストレスを与えました。

一方、経済的な問題やDVなどの家庭環境に問題のない人たちには、立ち止まって自分と向き合い、激変した日常から多くの気づきを得られたことも事実です。

私自身も、いつも何かに追われ慌ただしく過ごす余裕のない日常が一変!

長らく、優先順位の低かった漫画やアニメやドラマを楽しむ時間をたっぷり与えられ、ミーハー魂に火がつき、20代の頃のトキメキを取り戻しました。

これまでの自分を振り返ってみても、小難しい学術書やアーティスティックな映画や難解な小説より、私に爆発的な感動を与えてくれたのは、実は、娯楽性に富んだサブカルチャーだったのかもしれないことに気づきました。

そこから得られたワクワク感、爽快感、胸熱くなる感動は、想定外のプラスのエネルギーを生み出し、私を次の行動へと駆り立てていったことに気づきました。

そういえば、20年前、次々起こる不運に傷つき落ち込んでいた私を救ってくれたのも、チケットをもらったので期待せずに観に行った「キューティブロンド」というB級映画。

正義に目覚めたヒロインの堂々とした態度や諦めない強さや勇気ある行動に大いに触発され、突如、私はヒロインに変身し胸を張って映画館を後にしたことを思い出します。

10年前に家の改築という、大きな決断を促したのも、窪美澄さんの「ふがいない僕は空を見た」という小説の力でした。

重厚な文芸作品のジャンルには入らない、でも、全編にみなぎる「生命の全肯定」という圧倒的なパワーに心震え、半端なく気分が高揚。

今、このエネルギーを利用しない手はないと思い、勢いに乗ったところで、自宅の大改造という大仕事を決断しました。

今思うと、人生の大事な局面で力をくれるのは、「感動」という心の爆発であり、その感動は、主に、サブカルチャーから与えられていたことを、改めて認識しました。

コロナ禍でのお篭り生活によって、久しぶりに漫画やアニメやドラマを大いに楽しみました。

アマゾンプライムビデオを頻繁に視聴するようになり、かつて、世界を席巻したドラマ「ゲームオブスローンズ」に興奮し、さらに、中国ドラマ「君、花海棠の紅にあらず」に感動し、中国ドラマ「琅琊榜」(ろうやぼう)に沼落ちしました。

ストーリーの圧倒的な面白さにワクワクし、義と友情と愛に生きる魅力的な登場人物の言動に感動の涙を流し、まさに、生きていてよかった!と思える豊かな歓びを味わえた幸せな時間です。

「人間は対象において自分を意識する。美しい音楽にききほれる、スポーツに熱中する、絵画に感動する、そのようなことが自分の存在感を確実なものにする。」とは、さる高名な心理学者の言葉ですが、まさに、対象と自分との間で生じる幸せな化学変化が自分の生への肯定感そのものになることを実感した瞬間でした。

不思議なことに、感動に満たされている間は、自分に起こるネガティブな事柄に反応しなくなることに気がつきました。

今、何が起こっても乗り越えていけると思えるポジティブな心境になります。

ドラマの感動を共有する夫は、仲間であり同志のようにすら思え、いつもなら、イラっとする夫の言動に極めて寛容な自分自身に驚いています。

最近、世の中が落ち着いてくるに伴い、私の暇な時間は減ってきました。

再び、サブカルから離れる時間が長くなり、今心を満たしている感動が少しずつ失われていったら、どうしよう?と、一抹の不安がよぎる今日この頃。

夫が安泰でいられるタイムリミットが近いかも・・・


くだらない話をしよう

2021-09-25 18:34:59 | 日記
お篭り生活が長引くことによって、周囲でも、心ふさぐ人が増えてきました。

私の遠方の友人も、数か月前から不眠状態が続き、不安や焦りや孤独感に苛まれたそうです。

これはヤバい!と思い、心療内科を受診したところ、やはり、ウツの初期と診断されたと言います。

その際、彼女を診たおじいちゃん先生の「くだらない話の効用」について話が印象深かったので、ご紹介します。

それは、「取るに足らないくだらない話をする時間が、精神衛生上、とても大切」ということです。

「帰り路でね、スヌーピーのTシャツを着てキティちゃんのバッグ持ったおじさんを見たよ!」

「きっと、この人が犯人じゃない?彼の行動、めちゃめちゃ怪しいじゃん。」

「スーパーの店員、超不愛想で頭にきた。」

帰宅途中の面白可笑しい目撃談

サスペンスドラマを観ながらの会話

ちょっとむかついた話

などなど・・・

そんな取るに足らない話をすること、聞くこと、そして、笑い合ったり憤慨し合ったりすること。

無意味な日常会話が、心を緩めるのに必要だという、大した重要そうには思えないけど、妙に説得力ある医者の話です。

これを聞いて、某一流企業に勤務している知人が言っていた話も思い出しました。

「以前は、会社到着後、まず、コーヒーを飲みながら同僚と談笑し、それからぼちぼち仕事し始めた。

ところが、今は、言葉も交わさず、即、仕事につく。

かつてのあの朝の雑談は、一見無駄に見えて、心のサプリになっていたように思う。」

と彼は懐かしがるようにつぶやきました。

退社後の居酒屋では、上司の悪口が肴になりますが、朝の雑談は、前夜の野球やドラマの話、時には、奇妙な夢の話など、取るに足らない、でも、あまり、深刻にならない話なのです。

こんな「くだらない話」が、実は、張り詰めた心にわずかながら緩みを生み出すのです。

「くだらない話」をし合える相手がいるなら、是非、そうしたたわいない会話を楽しむひとときこそが大事だということ。

もし、そういう相手がいない場合はどうするのか?

一人、くだらない時間を楽しめばいいのです。

たとえ、チコちゃんに叱られても、ボーっと生きてる時間が私たちには必要なのです。

結果を出すこと、充実すること、評価されること・・・

どれも、自分に課すあり方です。

でも、もっともっと、役にも立たないことを妄想したり、何にも考えずただ空を眺めたり・・・

そんなゆるりこの上ない時間をもつようにすればいいのです。

たった一度の人生だから、無為に過ごすことを良しとせず、あれもこれも詰め込んで頑張りがちな人のなんと多いことか!

残念ながら、私も、その一人です。

これからは、「くだらない話」「くだらない時間」を好きになろう。

人生最後の瞬間に思い出すことって、もしかしたら、ごく些細な出来事なのかもしれません。



嫉妬心から探る自分の本当の願望

2021-07-14 14:56:15 | 日記
私たちは、自分自身にさえ本心を見せないことがあります。

私たちは、自分の後ろ姿はもちろんのこと、自分の顔も頭のてっぺんも、鏡を通してしか見ることはできません。

でも、心の中だけは、誰よりも己が知っている、と思い込んでいませんか?

残念ながら、心に浮かぶ思いも、自分を守るために様々な加工を施して、自分に届けているのです。

「きらい」という感情の正体が、実は「好き」であったり、「興味ない」と言ってることが、本当は一番の「関心事」だったりします。

自分は「こうでありたい」「こうであらねば」「こうであってはいけない」といった頭由来の思考は、私たちの本音を隠そうとします。

対して、心由来の感情は、自分を偽ることはできません

そうした自分を映し出す感情の一つに「嫉妬」(妬み)があります。

「嫉妬」は、大なり小なり誰にでも存在する自然な感情であり、決して、恥ずべきものではありません。

むしろ、自分の真の願望を示唆する貴重な感情です。

あまり認めたくない感情ではありますが、自分を知るヒントの宝庫でもあります。

自分が、誰かに、あるいは、何かに、モヤモヤした妬みに近い気持ちを抱いたら、自分の願望を知るチャンスと思って、拒否せず、素直に向き合ってみることをお勧めします。

ところで、嫉妬に似た感情として、「憧れ」があります。

嫉妬と憧れの違いは何でしょう?

憧れは、自分の理想とする物事や人物に強く心惹かれる気持ちであり、トキメキを伴うポジティブな感情でなので、自分自身、躊躇なく受け入れられます。

嫉妬(妬み)は、相手を羨ましく思い、その分だけ悔しさや腹立たしさを伴う、心をざわつかせるネガティブな感情であり、自分が劣勢であることを示しているだけに拒否反応があります。

憧れも妬みも、自分の望む「あり方」をしている対象に向けられた感情なのに、何故、憧れはトキメキであり、妬みはザワツクものなのでしょうか?

その答えの一つとして、次のようなことが考えられます。

憧れは、到底自分がかなわない遠い存在、あるいは、自分が積極的に目標としたい対象なのに対して、

嫉妬(妬み)の対象は、自分が努力次第で届くレベルの範囲の存在にもかかわらず、何らかの理由で、その努力を放棄した存在だからです

その努力を手放してしまった自分自身に対する怒りや情けなさを感じるので、向き合いたくないのです。


憧れも嫉妬(妬み)の対象のどちらも、自分の願望を具体化したものには相違ないので、自分の興味から外れたものに対しては、全く、そうした感情は湧かないものです。

例えば、高級車やブランドバッグに価値を感じない人にとっては、そうしたものを手に入れている人に対しては、羨ましいという思いはゼロに等しい。

もし、自分が世間の価値観に縛られない自由を求めて生きたいと思うなら、たとえ、経済的に恵まれない生活をしていても、信念に基づいて凛とした生き方をしている人に対しては、憧れを感じます。

相手が、かつての友人だったりすれば、己の現在の姿に恥じ入り、嫉妬を感じるかもしれません。

自分は、若い頃の正義感や信念を捨てて、俗世間の欲望にまみれ、主義も哲学もない、なんとくだらない生き様をしているんだろう!と自分に憤りを覚えるかもしれません。

あなたに、おききします。

あなたは、どんな人物のどんなところに触れたときに、心に抵抗感やざわつきを感じますか?心に何か居心地の悪いモヤモヤしたもの、ザワザワ波立つものを感じますか?

今この質問に答えられなくても、日頃、このような感情に襲われた時をチャンスととらえてください!

その答えの中に、「本当は、自分はどうありたいのか?」という真の願望が具体的に浮かび上がるかもしれません。

叶えられる可能性が高いのに、諦めているから、心が騒ぐのです。

今からでも、幾つになっても、遅くはありません。

もう、逃げてはいけません。

「どうせ、~だから」

と言い訳してはいけません。

人生、後悔しないために、もう一度、自分の可能性を信じて、努力してみませんか!



『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。