耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

待ったほうがいいこと

2013-04-24 17:17:45 | 日記
「果報は寝て待て」ということわざがあるけど、

時短が重んじられる現代では、そんな悠長なことは流行りません。

もともと、「待つ」こと自体、しんどいことです。

しんどいけれど、やっぱり待つことが必要なこともあります。

待たないほうがいいこともあるでしょう。

待ったほうがいいことの一つは子育てをする中にあります。

子どものやることに親が待てず、
先々と親が手を出してしまうのは、子どもの成長を阻害してしまいます。

どんなに時間がかかっても、子どもが自分でやろうとしていることには
なるべく手を貸さないようにしましょう。

子どもが、失敗しながらもあきらめずにトライしているうちに
なんとかできたときの満足感と達成感

まさに、それが小さな、いえ、大きな成功体験になるのです。

親が子どもに与えるべきことは、

手助けではなく、
「がんばったんだね。」と努力をほめること。

何度やってもできそうもない時

あぶなっかしくてだまって見ていられないような時

そんな時でも、イライラハラハラしながらも

ただ、見守り続けることは、なかなか根性のいることです。

気の短い人や完ぺき主義の親には、かなりのハードルでしょう。

親が手助けしたら、早いし、安全だし、きちんともできます。

でも、ここは、踏ん張るべきなのです!

急かしたり、手助けしてしまうのは、ある意味親の欲のなせるわざです。

どんなに時間がかかっても、どんなに下手くそでも

子どもが自分でやり遂げた時の満足気な表情は輝いています。

それは、自立の一歩であることを子どもはどこかで感じるからです。

そうした喜びを子どもから奪ってはいけません。



種をまいたら、花開くまでじっと待つこと。

「期待」ではなく、ただ待つこと。

一人ひとりの子が、それぞれ違った花を咲かせることを

その子らしい花を自力で咲かせることを

十年でも、時には、数十年でも、ただ、「見守って待つ」ことが

親であることの楽しみではないか、とさえ思えます。font>






「与える喜び」をわが子にも与えましょう

2013-04-18 13:25:20 | 日記
人の関係性というものは、相対的なものです。

どちらも強いと関係を維持するのは難しくなるので、どちらかが弱くなる必要があります。

どちらも何もしないと機能しづらくなるので、どちらかがやるしかなくなります。

私は、ものごとをサッサかテキパキこなすほうなので、
おのずと子どもは「やってもらうことを待つ」タイプに育ってしまいました。

でも、彼女は心の奥でそんな自分に不満を持っていたはずです。

そんな彼女に変化が見え始めたのは、就職してからです。

入社した4月末、初月給で親に食事をおごってくれました。

「ごちそうさま。ありがとう。」と彼女に親二人が頭を下げ、
「どういたしまして。」と応えた時の彼女の誇らしげな顔が忘れられません。

本当は、なんでもやってもらい、与えられる側であることに負い目を感じて居心地の悪い思いをしていたのでしょう。

だから、ずっと、このときを待っていたのかもしれません。

こうして親の食事代を自分が払っているんだ、という事実が
彼女に初めて「大人」になった自覚と喜びをもたらしたのだと思います。

成人式を迎えたから、「大人」になるのではないのでしょう。

学生から社会人として働き出したから、「大人」になるのではないのでしょう。

どうやら、自分が家族のためにプレゼントや単なるお手伝いを超えた金銭や労働を提供したことが、「大人」としての成長の自覚につながるようです。

もちろん、娘は、一回きりの食事代だけではなく、毎月、ある程度の金額を家にもしっかり入れてくれました。
私は、当然のように、遠慮なく受け取りました。

「自分も家計を支える一人」であるという自覚が、彼女を「大人」にしたのだと確信します。


与えられる存在から与える側に立ったとき、人は、子どもではなくなります

年齢は関係ありません。

40歳を過ぎても、経済的にも日頃の生活全般においても親に寄りかかっていては、その人は、まだ、子どものままです。

それは、親自身の不幸でもあり、

それ以上に本人自身の不幸です。

母の介護をしていた頃、トイレもままならない母の世話をすることは、大変なことではあっても、そのとき、強く感じたのは、

世話ができる立場の幸せでした。

いつもいつも、誰かに世話をしてもらう

いつもいつも、誰かの金銭を当てにして生きている・・・

こんなつらいことはないだろうなぁ、という思いが脳裏をよぎったことは、よく覚えています。

わが子がかわいそうだ、と思って、
子どもがいくつになっても、過保護にしてしまうことは、まちがっています!

人は、誰かを守ろう、と思うことによって、
成長もするし生きる力も生まれます。


パワーの源となる、そうした「思い」を抱くチャンスを
わが子にも与えるべきではないでしょうか。


いけてなくても・・・自分が好き

2013-04-02 10:07:04 | 日記
一ヶ月以上もご無沙汰してしまいました。

生きていますから、ご安心を。

このところ、雑用に追われ、文字通りバタバタしておりました。

つまらない用事なのに、放っておいてはまずいこと、

こうしたものをいくつか抱えていると、けっこう心は重いものです。

今朝も、今週末に控えた自治会の総会でブロック毎の幹事に配る書類に不備があることに気づき、荒れ模様の天気の中、会長宅に駆けこんだりしておりました。

それ程中身のない、ただの忙しさにうんざりしていても、

私が「忙しい」を口にすると、

人は、何かたいそうな仕事に打ち込んでいるように思うらしいのです。

「社会のために活躍しておられるんですね。」
などととんでもない反応が返ってきます。

人並みにできることって、何もないなぁ、と嘆いているのに、

先日も、いとこに

「あなたは、オールマイティだから。」

みたいなことを言われてびっくり!

「オールマイティ」の意味を知ってて言ってるんだろうか?

と思っちゃいました。

自分のことは自分がいちばん分かってる、と思うけど、

セルフイメージも真実とは限らないかもしれない。

自己イメージと他者イメージ、どちらが正解なんでしょうか?

確かに、明らかに優秀なのに、自己評価のものすごく低い人もいる。
(私のことじゃないよ。)

その逆もある。

いけてないのに、「ボク、イケメン」と勘違いしている人、いるいる。

よく、セルフイメージを上げるとそれにみあったことが実現する、というようなことを耳にします。

本当なら、ぜひ、一度、セルフイメージを上げてみたいものです。

でも、イメージって、一朝一夕には変わらない。

地道に努力し着実に成功体験を積み重ねていって初めて変わるような気がする。

やはり、成功に近道はないのです。

そして、

セルフイメージを上げることより大切なのは、

自分がここに存在していいんだ、という自己肯定感です。

どのような自分であろうとも、生きているだけで価値があるんだ、

という絶対的な肯定感です。

立派でなくても、

太っていても、痩せていても

身長が高すぎても、低すぎても

仕事ができなくても

いけてなくても・・・

自分が好きだ、という気持ち。

わが子が自分が好きで、生きることに意欲的であったら、
子育て大成功ですね。

「生まれてきてくれてありがとう!」

の気持ちを忘れず、子どもを育てていくと、

きっと、そのお子さんは

「自分」と「生きること」が大好きな人になると思いますよ





『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。