耳をすませば~ ♪

      心の声が聞こえる

      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

ナマズになれるか?

2011-05-23 12:04:32 | 日記
友人の友人が飼っているナマズが、3月10日に暴れて水槽から飛び出したそうです。

それで、友人の友人は、11日は、外出せず家にいたといいます。

やはり、ナマズくん(さん?)、何か地震のサインをキャッチしたのでしょうか。

私たち人間にも、本来はそうした災害を予知する能力がそなわっていたはずです。

残念ながら、人は、言語と引き換えに、そうした直感を手放したのでしょう。

私たちは、言葉を使い始めたことによって、思考するようになりました。

言葉の獲得が、大いなる文明をもたらしたことも事実です。

でも

私たちは、言葉で縁取られた形にごまかされ、
ものの本質を感じる力を失ってきたように思われます


例えば、今の季節美しく咲き誇る薔薇

薔薇を見たときに、「あ、薔薇だ」とわかると、
自分が認識している「薔薇」の概念が頭に浮かびます。

すると、今目の前に見える薔薇を見る目がくもってしまいます。

薔薇は、薔薇の数だけあります。

その一つ一つも、一瞬一瞬違った姿を見せるのです。

無限にある薔薇を、私たちは、自分の頭の中にある「薔薇」に集約してしまうのです。

もし、今目の前に見えるものを、「花」「薔薇」という言葉から離れ、

そのものをじっくり感じてみたら、新しい世界を体験できるかもしれません。


人に対しても、同じです。

相手の年齢、職業、経歴、時には、性別までも意識から排除して、その人そのままと向き合うと、その人について、より広くより深く知ることになることでしょう。

その人の心が見えてくるかもしれません。

自分の感性を全開させて、そのもの、その相手と向き合う・・・

自分の五感のすべてを使って、感じてみる・・・


そのとき、私たちは、未知なるもの、
でも、実は、すでにそこにあるのに見えていなかった大切な何かを知ることができるでしょう


やがて・・・

ナマズのように、地震を予知する能力も取り戻せるかも?



退く?進む?あなたなら、どうする?

2011-05-20 18:02:30 | 日記
あきらめる? 

あきらめない? 

ものごとが、行きづまった時、人は迷います。

目標に向かって頑張っても、なかなかうまくいかない時

恋をして相手に愛情を示しても、報われそうもない時

私たちは、いさぎよく撤退すべきか、奮起して前に進むべきか、
迷います。

世の賢人は言います、「最後まで頑張ることが大切だ!」と・・・

でも、もし、最後まで頑張っても叶わなかったら、
自分の無力さを確認するだけで、それもつらいものです。

そして、「最後」って、いつ?

叶った時が最後じゃないの?

叶わなかったら、永遠に「最後」は来ないのでは?


あきらめる?

あきらめない?
 



どちらが正解か、誰にもわかりません。

カウンセラーやコーチに話すうちに、自分の気持ちが決まるかもしれません。

占い師に背中を押されて決断するかもしれません。

どんなに深く考えて決断しても、あるいは、直感で素早く決めても

どちらが正解なのかは、先にならないとわかりません。

では、どうしたらいいのでしょう?

私は、次のようにお勧めしています。

決断する時に、

自分が結論を下したことに悔いをもたない、と心に刻むこと。

そして、

キッパリあきらめたら、自分のいさぎよさをほめ、

あきらめなかったら、粘った自分をほめてやること


どちらにしても、自分が選択した結果を、「よし」とすることです。

 「よし」とするとは、受け入れることです
受け入れて責任を持つことです。

いったん、そのように心に決め、覚悟して生きていくと、
迷いや後悔は少なくなり、

結果、人生はいい方向に進んでいきますよ、きっと!!






イケメンは見える理由(わけ)

2011-05-18 21:06:47 | 日記
夫と一緒に散歩している時、向こうから、長身でかっこよく爽やかな若い男性が歩いてきました。

すれ違った後、夫に、

「イケメンだったね」とつぶやきました。

すると、夫に、

「イケメンは見えるんだね。」と言われてしまいました

左眼は黄班前膜症、右眼は白内障を患っている私は、日頃、
「1メートル先の人の顔もよく見えない」と嘆いていたのです。

えへっ!

求めているものは、見えるんです! 


私たちが、<見ているもの>は、実は、意識の中でしっかり選択したものなのです。

本当は、視界に入るすべてのものを、視覚はキャッチしているはずです。

でも、私たちは、それらの一部しか、見ていないのです。

見えるのに、見えない。

意識を向けたもの以外は、見えないのです。

ラーメン好きには、ラーメン屋の看板が、真っ先に目に飛び込んでくる。

車好きだったら、憧れの車にすぐ気がつく。

おばさんが、目ざとくイケメンを見つけるのも、自然の道理。(←開き直り)

そう、私たちは、自分の興味のあるものに意識は集中し、情報をキャッチします。

視覚、聴覚、あるいは、嗅覚、時には、第六感という神がかり的能力まで動員して、情報やチャンスを掴み引き寄せます。

今まで、そばにあっても、目に入っていなかったものが、興味を持った途端に、急にはっきりと見えてきます。

聞こえていなかった言葉が、耳に飛び込んできます。

だから

夢を抱き、夢そのものと実現までのプロセスを、明確にし具体的にしていくと、その一つ一つに関連することを、自分の五感、直感がキャッチし、情報やチャンスとして、どんどん自分に引き寄せるのです。

これって、決して、スピリチュラルなことでもミラクルでもありません。

自分の意識がなせる自然の技なのです。


あ、そうそう、「イケメンは見えるんだね。」の夫の言葉に

「だから、あなたのことは、どんな遠くからでも、よく見えるよ。」

と返しときました







   

ゲシュタルト初体験 その2

2011-05-13 12:08:27 | 日記
~前回の続きです~

ゲシュタルトセラピーを初体験しました。

ゲシュタルトセラピーについては、前回簡単に説明したとおりです。

これまで、何回かワークショップに参加しても、
クライアントとしてワークを受けたことはありません。

その理由は2つあります。

一つは、みんなに、自分をさらけ出す勇気がなかったから。

もう一つは、理性がブレーキとなって、たぶん感情を出せないだろう、と思ったから。
理性に支配されていては、ワークは意味をなさないものになります。

後の理由のほうが大きかったかな~。

頭で考えた言葉で、その場を取り繕ったワークでは、自分のみならず、見ている他の参加者にも、感動の薄いつまらないワークになってしまうことはわかっています。

そんなダメなワークの主役にはなれない、という思いが強かったのでしょう。

でも、今回は、なぜか、絶対受ける!という決意で参加しました。

ファシリテーターの河村葉子さんが、
包み込むような慈愛にあふれた物静かな方だったから、決意はより固まりました。

そして、体験したのです!  

「たまに、底知れぬ不安感に襲われることがある」

という私の訴えに、葉子さんは、家族構成を尋ね、
それから、家族分の椅子を用意し、
私に、自分を中心にどんな位置関係にあるか、をイメージしながら椅子を並べるように言いました。

私は、自分とやや斜め向かい合わせにくっつけて母を、その脇に兄を、母と私からやや距離を置いて父の椅子を置きました。
そして、自分の椅子に座った、そのとき・・・!!! 

母のすさまじいばかりの強い愛を一瞬で体中に感じ、
その愛のパワーのすごさに圧倒されると同時に、母へのさまざまな思いが一気に噴き出し、涙があふれてきたのです!

気を失いそうになるほどの強烈なエネルギーでした。

思い出した今ですら、泣けてきます。

理性がブレーキ? 

ハハハ、開始直後にこのありさまだよ~

父も母も兄も、今はこの世には存在していない人たち。

なのに、椅子を置いただけでこのインパクト!


なんなんだぁ、これは? 

一体、自分に何が起きたのか?

わからぬまま、ワークは進められる・・・。

きわめて静かに・・・受容的に・・・意識に深くわけ入って・・・

つぎつぎと湧き上がる母への思い

私を心の底から愛し、私の健康を心配し、私の幸せを願ってくれた母への感謝の気持ちであふれた私の胸に、突如、湧き上がってきた憎悪

重過ぎる・・・!

重いのよ~!お母さんの愛が~!! 

そして・・・

毎日繰り返される愚痴。

どんな思いであなたの愚痴を聞いていたか、わかる?お母さん!

親の愚痴は、暴力よ! 

どんなにつらかったか、わかる?お母さん!

・・・気がつくと、椅子に向かって、強い口調で泣きながらつめ寄る私がいた。

葉子さんが、私に母の椅子に座るように言う。

母の椅子に座ると、私は母になる。

母の言葉で語る私・・・

 「ごめんね。あなたが、そんなに傷ついているとは思わなかった。
  でも、あなたを本当に心から愛していたことはわかって!」

語り終えると、スゥーッと気持ちが落ち着く母を感じました。

・・・

こんなふうにワークは進められ、兄とも父とも語り合い、
すべてが、心地よい状態に流れていく・・・

怒りから感謝へ、父と母の娘として生を受けたことへの喜びに満たされ・・・

私は、再び椅子を並べる。

父を真ん中に、左に母、右に兄、という具合に三人の椅子をピタリとくっつけ、私の椅子からは向かい側に少し離して並べ替えました。

さらに、葉子さんが、私に指示します。

「これから、どのように生きていくか、をお父さんお母さん、お兄さんに伝えてください。」
  (「再決断」というそうです)

スッキリすると同時に、心も体も新鮮なエネルギーに満たされ、すがすがしい気分になった私が、これから、どのように生きていくかを三人に語りました、力強く・・・。

所要時間、1時間20分。こうして、ワークは、終わりました。

葉子さんという素晴らしいファシリテーターに導かれ、
「今ここ」から過去に戻って、
心深く潜り込んでいたどろどろした澱みを探り当て、
「今ここ」で吐き出すことができたように思います。

この日から3日経った今も、この体験に感動し元気をもらっています。

あの得体の知れない不安感は見事に消え去りました。

な、な、なんなんだ、これって!? 






ゲシュタルト初体験 その1

2011-05-11 17:27:48 | 日記
ゲシュタルトセラピーを初体験しました!

ゲシュタルトセラピーとはドイツ人のフレデリック・S・パールズが提唱した心理療法です。

 「今ここ」で起きていることに気づいていくことで、自分自身を統合し、本来の自分を取り戻していくことを目指します
今の好ましくない心の状態、今起きている問題は、過去の何らかの心のつまずきと関係しています。
過去にどんなことがあり、それが今どんなふうに自分に影を落としているかを、「今ここ」の気づきの中から探っていくのです。


これまで、何回かワークショップに参加し、目の前で繰り広げられるドラマに驚いたり感動したりしてきました。

クライアントとなってワークを受けたほとんどの方が、自分の過去に帰り、その時の感情に満たされ、涙を流します。
そして、過去の未完の問題と向き合い、その時から心にため込んでいた思いを、「今ここ」で吐き出します。

時には、怒り狂い、怒鳴ったり、泣き叫んだりします。

まさに、古い膿があふれ出てくる瞬間です。

やがて・・・

心は、スッキリ軽くなり、

険しかった表情が、晴れ晴れと明るく穏やかに変わっていく様子を
私は、何度も目撃してきました。

幼い頃体験した寂しさや怯えが、40年も50年も、いえ、吐き出さない限り、死ぬまで心の底に残っていることを知り、愕然とさせられます。

今回は、そのゲシュタルトセラピーを

私自身が、みんなが見守る中で、体験したのです!

続きは、次回のお楽しみで~




『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。