耳をすませば~ ♪

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      『傾聴習慣』のススメ by MAKIE

「こんなはずじゃなかった」を卒業しましょう!

2014-04-30 16:54:48 | 日記
あなたは、自分の今生きている人生を、10年前、あるいは20年前に予想できたでしょうか?

今の自分の日々に対してどんな言葉をかけますか?

1.予想以上にすばらしい!

2.こんなもんだろうね。

3.こんなはずじゃなかった。

4.ひどすぎる!

日本の30代以上の方々にこの質問をしたら、果たしてどんな回答が返ってくるのでしょうか?

感じ方は、年代によっても異なるかもしれません。

30代、40代、あるいは50代前半までは、まだまだ、上を目指したい欲があるからこそ、3番が多いのでは?と予想します。

(それ以上の年代の方々は、もう欲がなくある種のあきらめからくる「こんなもん」を選ぶのでは?)

挫折感から3番を選んだ方には、「私の人生、こんなはずじゃない」と現状を嘆くにとどまらず、
そこから上昇する術を模索し、頑張り続けてほしいと願います。

もし、まだまだ気力体力が残っていれば、

もし、頑張れば結果がついてくると、まだ思えれば、

もし、自分には運があることを、まだ信じられれば、

ですが・・・。

でも、残念ながら、その人の頑張りと人生の成功とは、必ずしも比例しないし、

運のいい人もいれば運の悪い人もいることは事実です。

どんなにまじめに一生懸命頑張っても、なかなか運がめぐってこない人もいるし

大して頑張らなくても、ものごとがうまくいく人もいます。

でも、そういう例は多いとは考えたくありません。

思い描いた未来と現状との間にギャップがあるとしたら、、やはり、それなりの理由があるはずです。

「こんなはずじゃなかった」と自分の運命を恨むだけでは、この先の人生にも期待できません。

「こんなはずじゃなかった」と現状を否定するだけでは、それまでの自分が生きてきた時間を無駄にしてしまうことになります。

たとえ、あなたが今の人生を気に入らなかったとしても、

あなたがここまでの一瞬一瞬を生きてきた事実は確実に存在するのです。

あなたが、そこで、泣いたり笑ったり、悩んだり感動したり、孤独だったり愛し合ったり・・・

その時その時、全身でその時間を生きたあなたがいたのです。

ただ、どこかで、自分の思いと行動とがズレてしまったのかもしれません。

そのズレに目をつぶり、今日まで放っておいてしまったのでしょうね。

もしかしたら、もっと、早い段階で軌道修正が必要だったかもしれませんね。

今、立ち止まり、「こんなはずじゃあ・・・」と思うのであれば、

さらに、10年後に同じように嘆かないようにするためには、どうしたらいいかを考えてみましょう。

一発逆転! 「予想以上に素晴らしい!」と思える10年後にするために

あなたは、これから、何を変え何をしますか?

このGW,じっくり考えてみませんか?

そして、もう、「こんなはずじゃなかった」を卒業しましょう、あなたも私も!





わが子は他者です

2014-04-23 18:39:12 | 日記
まだ、生まれて間もない乳児は、当然、自分と世界との境界線を認識していないはずです。

特に、つい最近までママの体の一部のごとくママの中に存在していたのですから、

ママと自分が別の生命体であるという感覚はありません。

だから、ママの胸に抱かれ、

先日までいつも耳にしていたママの鼓動を感じると安心するのでしょうね。

同じように、ママにとっても、しばらくは赤ちゃんは自分の一部のように感じるはずです。

やがて、自分の体から生れ出たとしても、

子どもは、自分とはまったく異なる人格を持った存在なのだ、と感じてきます。

ところが、自分の一部とは思わなくても、自分の所有物と勘違いしてしまう親もいます。

所有物なのだから、

いつまでも、自分の意のままになる、

いつまでも、愛情という名を借りた欲で縛ろうとする

いつまでも、手放すことを拒否し、自分の手元に置いておこうとする

そのような親が少なからずいます。

そういう人は、所有物である子どものすべて把握している、と思い込んでいます。

子どもが、自分とは異なる感じ方や考え方をすることが理解できないのです。

子どもがご飯を食べようとしないこと

子どもがおもちゃを散らかしっぱなしで遊びに行こうとすること

時には、幼稚園や学校に行きたがらないこと・・・

せっかくママが作った食事を、なぜ、残すの!?

片づけなさい、ってあれ程言ったのに!

幼稚園や学校に行きたくない、なんて信じられない!・・・などなど。

でも、私たち大人だって、

相手が心をこめて作ってくれた食事でも、食欲がなく箸が進まないときだってあるはず。

掃除より楽しみにしているドラマを優先にしちゃうことだってあるはず。

会社に行きたくなくて休んでしまうことだってあるはず。

仮に、自分にはそんなことが起こらないとしても、

自分とお子さんとは、別人格なのです。

自分がそのように思わなくても、お子さんは思うのです。

この世界では、自分以外の人を他者といいます。

お子さんは、この世に生れ出た瞬間から、他者なのです。

そして、親子といえども、他者と自分は一体化したり重なり合ったりすることはできない、ということを肝に銘ずるべきです。

さらに、自分が主体を持った存在であるのと同じく、

他者も唯一の主体を持った存在であると認識すべきです。

未熟な他者であるお子さんに対して、

親がやれることは、見守ること

この世は生きるに値するところだよ、と伝えること

考える力や責任感や自分で生きていける自信をつけてやること。

親の務めは、子どもが自分の意志を持って自分の力で主体的に生きていけるようにしてやることではないでしょうか。

だから、さき先と手を貸したり口を出したりしては、その子の力を奪ってしまいます。

極力介入しないことです。

どんなに時間がかかっても、少々危険が伴っても、

やり遂げたときの達成感、成功体験が、その子の大きな自信につながります。

子どもがつまずいた時、親がどのように関わるか、

その時にこそ、親の技量が試されます。

親が自慢したくなる子どもの成績などは、小さいことです。








あなたの中の小さな子ども

2014-04-13 18:11:46 | 日記
今、寂しいと感じているあなたは、昨日も同じように寂しかったのではないですか?

さらに、一か月前も、いえ、一年前も、十年前も・・・

寂しさを心のどこかで感じていませんでしたか?

さらにさらに・・・

もしかしたら、子どもの頃から寂しい思いをしていたのではないでしょうか?

私たちは、幼い頃味わった感情をいつまでも手放せずにいるような気がします。

それは、白いキャンバスを染めた色だから、なかなか取れないのかもしれません。

それは、白いキャンバスを染めた色だから、強く印象付けられてしまったのかもしれません。

親と過ごせない時間があっても、安心できる居場所があったり

特別大事にされなくても、いつも賑やかで楽しく過ごせたり

少々厳しくても、確かな愛情が注がれたり・・・

そのように、いつも自分が見守られている、と感じることができる子の心には、「寂しさ」が根付くことはないでしょう。

反対に、

たとえ、親と一緒にいても、無視されたり、あるいは否定的言動に晒されたり

家族の言い争いが絶えない暗い家庭環境だったり

いつも、放っておかれ一人ぼっちにされていたり・・・

そんな中で育てば、子どもの心には「寂しさ」や「不安」などのネガティブな感情がはり付いてしまうでしょう。

一度はり付いた感情は自分の一部になってしまうので、もう、そこにあることすらわからなくなってしまうのです。

困ったことに、自分の一部になったものには、愛着を感じるので、

それが感じられる状況を自ら作ってしまう傾向があるようです。

つまり、はり付いたものが「寂しさ」であれば、寂しい気持ちになれる状況を、

「不安」であれば、不安感を抱く出来事をというように~。

もし、あなたの寂しさが慢性的なものであるなら、それを手放すことは容易ではないと思います。

でも、「確かに、いつもどこかで寂しさを感じている」と自覚できれば、それは大きな前進です。

たまたま、今だけ寂しい、不安だと思うのであれば、明日心から笑えるあなたになれるかもしれません。

いや、そういえば、心の底から楽しいと思えるときなんてないな、と気が付いた人は、どうしたらいいのでしょうか?

方法の一つとしては、あなたの中の幼い子どもを癒してあげることです。

まず、目を閉じて、子ども時代のあなたをイメージしましょう。

何歳くらいの子どもですか?

どこにいますか?

どんな服を着ていますか?

どんな表情をしていますか?

何をしていますか?

その子に次のように話しかけてください。

「こんにちは。○○ちゃん(あなたの名前)。

あなたに会いに来たよ。

ずっと会いたかったのに、無視していてごめんね。

あなたを大切にしたくて、あなたを抱きしめたくて会いに来たよ。」

そして、その気持ちをその子に示してください。

しばらく一緒にいて見守ってあげてください。

その子の話を聴いてあげてください。

その子をやさしくなでたり、抱きしめたりしてください。

二人で楽しい時間を過ごしてください。

やがて、やわらかな光につつまれ温かな空気が流れることを感じてください。

再び、その子に次にように話してください。

「よく頑張ったね。あなたがどんな子どもで何をしても、いつも私はあなたの味方だよ。

あなたは私の大切な宝物。これからも一緒だよ。」

しばらく、安心した気持ち、愛されている気持ちをその子と共に味わってください。

そして、言います。

「あなたの本当の居場所は私の中だよ。」

強く抱きしめてあげてください。

胸に手をあてながら、しばらくこの感覚を味わってください。

「○○ちゃん、ありがとう。ずっと、一緒だからね。」

一体感を十分に味わったら、静かに目を開けてください・・・


言葉はこの通りでなくてかまいません。

ただ、あなたの中の小さな子どもを愛おしみ、温かい言葉をかければいいのです。

あなたの中の子ども、それは、幼い頃のあなたです。

幼い頃、何らかの事情で寂しい思いをしたあなた自身をあなた自身が癒してあげればいいのです。

うまくいかなければ、何度でも試してみてくださいね。

あなたの中の子どもが幸せそうな笑顔になるその日まで、あきらめずに続けてみてください。

いつか、寂しさで汚れたキャンバスが再びきれいになるかもしれません。

きれいによみがえったキャンバスに、今度は、あなたの意志をもって素敵な絵を描いてくださいね。








劣等感は幻想?

2014-04-06 18:18:49 | 日記
もともと髪が細くて少ない私なので、最近では、かなりの薄毛になってしまいました。

幸い、白髪はないので、一度も染めたことはありませんが、

夏の強い紫外線の影響か、毎年秋には抜け毛が目立つようになり、11月になる頃には、つむじの辺りが割れて地肌が見える状態になっているはず。

「いるはず」というのは、つむじは私の目には見えないので、多分、そんな悲惨な姿なんだろうと想像しています。

誰も、「禿げてるよ」とは言えないでしょうしね。

そう、自分のことは自分がいちばん知っている、というのは、うそです。

第一、自分の顔も頭のてっぺんも後ろ姿も、肉眼で見ることはできないのです。

私たちは、悔しいけど、一生自分の全身を知ることはないのです。

姿だけではありません。

自分の行動も性格も能力だって客観的には捉えられないのです。

だから、ときどき、「自分って、何?」と自分がわからなくなり不安に襲われたりするのです。

人間に飼われているうちに、自分を人間だと思い込む動物は、自分の本当の姿を知りません。

たぶん、自分も人間と同じ容姿をしていると勘違いをしているのかもしれませんね。

鏡を見て自分の姿をある程度は把握している私たちだって、基本的には、彼らと大きな違いはないような気がします。

だって、自分の全身を肉眼で、しかも、自分の思いのフィルターを通さずに見ることは不可能なのですから。

本当は、そこにいる自分ってどんな感じなのか、なんてわからないのです。

自分の存在を客観視することはできないにもかかわらず、

私たちは、自分をいつも評価したがります。

「自分は、魅力的じゃないな。」

「自分は、うまくできなかった。」

「自分は、誰にも注目されなかった。」

だけど、人は自分のこと以上に相手のことにそうそう関心を向けません。

その証拠に、私が年中会っている友人に、「秋になるとますます髪の毛が薄くなり恥ずかしい」と言うと、
「私には、まったく変わらないように見えるけど~。」(つまり、いつも同じように薄毛?)という返事が返ってきました。
(春から夏にかけてはそれなりに毛量が増えるんだけど・・・)

そう、こんなもんなんですよ。

顔におでき1個でもできると、見っともなくて人に会えないなんて思うけど、他人にとっては、おできのない相手の顔もある顔も同じなんですよね。

人は、こちらが思うほど、相手をよく見ていません。

そして、自分自身は、自分のことを知ることはできないのです。

自分に対してはいちばん関心があるのに、

自分のことはいちばん自分がわからない、という不幸・・・

いえいえ、これは、幸せなことなのかもしれませんよ。

「自分のことはわからない」と開き直れば、こんな都合のいいことはありません。

わからないことをわかったつもりになって、あれこれ悩むことは無駄ということですから。

劣等感なんて、幻想です。








『傾聴習慣』のススメ    ハッピーイヤー

多くの人は、自分の話を聞いてもらいたいのです。 だから、コミュニケーション最強ツールは「聞く技術」! 相手の話に耳を傾けることは、「相手を大切にするあり方」です。 それだけで、人間関係が変わります。 あなたに幸せをもたらします。 だけど、「聞く」ことは、「話す」ことより、数倍難しい。 だから、「聞く技術」は、学ぶ必要があります。 そして、学びを通して、心の深さ、神秘、愛を知ります。